エピソード 1ー4
「な、ななな、なんですかこの非常識な建物は!」
私が見たことも聞いたこともない様式の建築物。こんなのは王都にだってないと断言できる。だって、高価な透明のガラスが無数に使われているから。
これほど美しく、それでいて無防備な建築物が、この世界にあっていいはずがない。
「……非常識?」
ルミナリア様がこてんと首を傾けた。
「だって、盗賊に盗んでくれと言わんばかりですよ」
「……ふむ、現地人はそういう感想になるのか」
ルミナリア様は少し不服そうな顔をした後、「あれらは強化ガラスだ。たとえ破城槌でも壊すことは出来ないから安心するがいい」と笑った。
「……破城槌で壊れない?」
脳裏をよぎったのは、ガラスではなくダンジョン産の素材。だが、破城槌でも壊れないほど透明な板ともなれば、それこそどれだけの値が付くか分からない。
「こんな建物を持っているなんて、貴女は何者なんですか?」
「言っただろう、ルミナリアだと」
「いえ、名前ではなく……」
「それより、早く中に入るぞ」
ルミナリア様は玄関に歩き出した。
彼女が玄関に近付くと、目の前の扉が自動で開いた。
「な、なんですかこれは!?」
「自動ドアというものだ。異世界の技術が面白くてな。原理は違うが採用してみた」
「……ルミナリア様は錬金術師なのですか?」
「錬金術? いや、ただの引きこもりだ」
「そ――」
そんな訳ないでしょ! という突っ込みはギリギリで呑み込んだ。私はもう絶対に突っ込まないと決意をしながら、家の中に入っていくルミナリア様の後を追いかけた。
玄関を通り抜けると、そこは巨大なエントランスホールだった。深紅の絨毯が敷き詰められていて、二階へ続く階段や、いくつもの扉が並んでいる。
ルミナリア様は、まっすぐに正面の扉へと向かう。
そして二つある扉のうち、左側を指し示した。
「この部屋をおまえにやろう」
「私に? あぁ、そう言えば、私はここで働くんでしたか」
エントランスホールの近くにある部屋は、使用人の私室であることが多い。そう思っての推論だったのだけれど、ルミナリア様は首を横に振った。
「それはなしだ。私の箱庭は、ダンジョン化しておまえに贈るつもりだからな」
「箱庭を……ダンジョン化?」
「その辺りの説明も後だ。まずは部屋に入れ」
ルミナリア様に促され、扉を開け――息を呑んだ。重厚な木の扉の向こうに広がるのが、数十畳もある豪華な一室だったから。
片隅には天蓋付きのベッド。真ん中には革張りの大きなソファーと大理石のローテーブル。その向こうには、大きくて真っ黒な鏡のようなものなどが置かれている。
「な、なんですか、ここ?」
「おまえの部屋だと言っただろう」
「いや、広すぎなんですが……」
「一部屋にすべてを集約したからな。ほら、こっちを見てみろ」
ルミナリア様に勧められ、ガラス張りの壁のまえにある机に案内される。
正面には黒い鏡のような物が三枚、横に並んでいる。そして作業スペースには、文字が刻印された鍵盤のようなものが置かれていた。
「これをこうすると――」
ルミナリア様が横にある箱に触れると、鏡だと思っていた三枚の板に精巧な姿絵が映し出された。ルミナリア様に似た女性が愛らしいポーズを取っている。
「もしや……姿写しの魔導具ですか?」
「あぁ、あれか。少し違うが似たようなものだな。これはパソコンと言ってな。使用方法は多岐にわたるが、ひとまずは情報収集のためのデバイスだと思っておけ」
「……デバイス、ですか?」
「ああ、その辺りも分からないんだったな。少し知識を分けてやろう」
ルミナリア様はそう言って私の首に手を回すと「少し屈め」と頭を引き寄せた。それに従うと、私のおでこに、ルミナリア様のおでこが押し当てられる。
……び、びっくりした。一瞬、キスされるかと思った。って言うか、ルミナリア様の瞳、綺麗だな。睫毛も長いし、すっごい美少女だ。
「少しキツいぞ」
「え――痛ったぁ!?」
静電気に触れたような痛みがおでこに走った。
「よし、問題はないな」
「問題はあったんですが……」
おでこを押さえながら、私から身を離したルミナリア様を涙目で睨む。
「これでも、負担が減るように必要最低限の知識に絞ったんだ、諦めろ」
「……さっきから、なんの話をしているんですか?」
「もう一度パソコンを見ろ、使い方が分かるだろう?」
ルミナリア様が指さしたのはパソコンのモニター。同時に、そこに映し出されているのがホーム画面であることも理解する。
「……すごい。さっきまで、なにか分からなかったのに」
「おまえの脳に知識を焼き付けた。この部屋にある家電の必要最低限は分かるはずだ」
「焼き付けたって、そんな簡単に……」
記憶や知識の転写なんておとぎ話の中でしか登場しない。それをたやすく成し遂げる彼女は本当に何者なのかと、私は思わず彼女の姿を見下ろした。
……見た目は、低身長の女の子なんだけどね。
でも、あまり子供っぽさはない。スタイルの比率が大人のそれだからだろう。たぶん、周囲に比較対象がなければ、彼女が低身長であることに誰も気付かない。
「リシェル、こっちに来い。さきに他の設備も説明しておく」
ルミナリア様はそう言って、モニターの向こうにあるガラス張りの壁に歩み寄ると、そこにあったガラスの扉を開けてバルコニーに踏み出す。
促された私が後に続いて手すりから覗き込むと、下の方に森が広がっていた。
「……ここって、草原……というか、一階でしたよね?」
平地の一階にいたはずなのに、バルコニーから森を見下ろしているのが謎すぎる。しかも、遠くには滝が見えて、上空には青い空が広がっていた。
「そもそも、ここってどこなんですか?」
「さっきの大空洞の中だ」
「……なのに空があるんですか?」
「その方が見栄えがいいだろう?」
ルミナリア様が笑うけれどそうじゃない。どういう構造なんだと突っ込みたいけれど、突っ込みどころが多すぎて突っ込めない。
そんなことを考えていると、ルミナリア様が突然服を脱ぎ始めた。
「ルルル、ルミナリア様!?」
「ここに温泉があるんだ」
「は? 温泉?」
言われて気付く。バルコニーの端、隣の部屋との境界辺りに温泉があることに。
「さっき、シャワーを浴びようとしていたところにおまえが訪ねて来てな」
ルミナリア様はそう言いながらその肢体を陽の下に晒すと、丸くくぼんだ空間に足を踏み入れた。対人センサーかなにかに反応して、天井からシャワーが降ってくる。
水滴が彼女の滑らかな肌に当たって弾けると、艶やかな曲線を描いて滴り、細い指先を伝って床に消えていく。どこか幻想的な光景。
ルミナリア様はほうっと息を吐き、私にちらりと視線を向けた。
「おまえも入れ」
その声に我に返った私は思わず顔を赤らめた。
「こ、こんな、野外でお風呂なんて恥ずかしくて無理です!」
「野外と言っても、私とおまえ以外には誰もいないぞ」
「だ、だからって、こんな白日の下で……」
「明るいのが嫌なのか? なら、そこの調光パネルで操作しろ」
「……部屋の明るさを変えても意味ありませんよ?」
私は首を傾げるが、ルミナリア様は「そのとなりだ」ともう一つのパネルを指さした。
「こっちですか? こっちはどこの――」
言いながらゲージを動かした私は息を呑んだ。
真っ昼間だった空が、一瞬で夕方になったからだ。
「……は? まさか、これ……」
言いながらゲージを動かす。
上に動かせば朝になり、下に動かせば夜になった。
「ま、まさか、外の時間を操っているんですか?」
「いや、環境を変えているだけだ。時間を変えている訳ではない」
「……い、味が分からないんですが」
「意味が分からずとも、暗ければいいだろう? ほら、服を脱いでこっちに来い」
「いえ、ですから……」
恥ずかしい。というか、なぜ執拗にお風呂に入らせようとするのかと訝しみ、もしかしてと自分の身体を掻き抱く。するとルミナリア様は溜め息を吐き、仕方なさそうに口を開いた。
「おまえは気付いてないだろうが、この世界の人間はなんというか……そう、清潔感に欠けているんだ。おまえは、その中ではマシな方だと思うが……」
「え、それって、もしや……」
「こっちに来い、綺麗に洗ってやる」
「うぐっ」
お風呂を勧められた理由を知った私はちょっぴり傷付きながら服を脱いだ。
「……はあ。ここは天国ですか?」
頭のてっぺんからつま先まで、ボディーソープやシャンプーなどを駆使して洗い尽くされた私は、ルミナリア様と並んで温泉に浸かりながら夜空を見上げていた。
身を隠すために屋敷を出たのが遠い昔のようだ。
湯船に浮いた桶の上からアイスティーを手にしてストローを咥える。ルミナリア様がどこからともなく取り出したそれは、綺麗な氷が浮かんでいた。
ほのかな甘さと酸味を含むアイスティーが、温泉でのぼせそうな身体を冷やしてくれる。
快適すぎる空間。どれか一つとっても規格外。
いまの私はきっと、王族よりも贅沢をしている。ここまですごいのなら、もしかしたら本当にダンジョンも用意してくれるかもと期待してしまう。
「ルミナリア様、ダンジョンの件ですが……」
「ああ、そうだったな。では、この大空洞をダンジョンにする」
ルミナリア様がパチンと指を鳴らすと、不意に一陣の風が吹き抜けた。
「これで大空洞はダンジョンになった」
「……はい?」
「だから、ダンジョンだ。むろん細かい設定はこれからだが、アルステリア領にダンジョンが誕生したことは間違いない」
間違いないと言われても――と困惑する。
ルミナリア様の言葉を信じたいけれど、にわかには信じられない。期待と不安を抱く私のまえで、ルミナリア様は「手の甲を確認してみろ」と言った。
反射的に湯船から手を上げると、お湯が伝い落ちる右手の甲に紋章が刻まれていた。
「……これは、ダンジョン発見者の……」
始まりの竜が創ったと言われるダンジョンのシステム。その中に、最初の発見者や階層踏破者は、セーフエリアの管理権限を得るというものがある。
その証である紋章が、たしかこんな形だった。
「そうだ。そして――」
ルミナリア様がパチンと右手を鳴らす。とたん、右手の甲がわずかに熱を帯び、そこに刻まれた紋章が少し豪華になった。
「……これは?」
「それはダンジョンマスターの権限だ」
「……ダンジョンマスターの権限、ですか?」
「ダンジョン発見者に可能なのはセーフエリアの管理だけだろう? だがそれはダンジョンそのものをカスタマイズできる権限だ。これで、このダンジョンはおまえの管理下だ」
最初、私はその言葉の意味を理解できなかった。
でも十秒ほど掛けて理解して、私は恐る恐る問い掛けた。
「私の、管理下……?」
「そうだ。素材の配置や再配置されるまでの間隔、魔獣の配置はもちろん、ダンジョンの構造そのものを好きにデザインすることが可能だ」
「冗談、ですよね……?」
すべてが規格外で、発言もびっくりするようなことばかり。なにを疑い、なにを信じればいいのかが分からなくなる。
だけど、もしも事実なら、アルステリア領は最高の環境を手に入れたことになる。領主の妹である私なら、アルステリア領になにが必要なのか手に取るように分かるから。
あまりに自分にとって都合がよすぎて、これがすべて質の悪い冗談なんじゃないかという考えが否定できない。そうして困惑する私に、ルミナリア様は「意識しろ」と言った。
「……なにを、ですか?」
「ダンジョンの存在だ。いまなら分かるだろう?」
彼女がそう口にした瞬間、私はたしかにダンジョンの存在を感じ取った。上手く言葉に説明できないけれど、ダンジョンが自分の一部であるかのように感じられる。
――本当に、アルステリア領にダンジョンが……出来た?
ダンジョンのあるなしで領地の評価が変わる世界。アルステリア領は素敵な領地なのに、ダンジョンがないと言うだけで馬鹿にされ続けてきた。
でも、そんな日々も今日で終わる。
領地を少しでも豊かにしようと奮闘し、志半ばで死んでいった両親も報われる。それを実感した瞬間――ドクンと心臓が跳ねた。
いつのまにか視界がぼやけ、涙が頬を伝い落ちた。
「リシェル……悲しんでいるのか?」
私は首を横に振り、手の甲で涙を拭って笑う。
「ルミナリア様、感謝します」
「……いや、言っただろう、これは詫びだと。私の方こそ、迷惑を掛けて悪かったな。少しは罪滅ぼしになったか?」
「十分すぎて、私の方に返しきれない恩が出来ましたよ」
ルミナリア様のお詫びが豪華すぎる。
というか、ダンジョンを創造するなんて人間の所業じゃない。私はあらためて、「貴女は、何者ですか?」と何度目か分からない質問をした。
「だから、ルミナリアだと言っているだろう?」
返ってきたのはいままでと同じ答え。だから私は、あり得なさ過ぎて最初に排除した疑問を、もしかしてと口にする。
「……始まりの竜、ルミナリア=コード様、ですか?」
「何度同じことを聞くつもりだ?」
ルミナリア様が辟易したように答える。
それを聞いた私の感想は、『そっか、創造神様だったかぁ』だった。
普通に考えれば、こんなところに創造神がいるなんてあり得ない。ルミナリア教団に彼女が創造神ですなんて言えば不敬だと石を投げられるだろう。
でも、ダンジョンを創造できる存在を、私は他に知らない。
「そっか、創造神様だったかぁ……」
「ふむ、意外とあっさりと受け入れたな」
ルミナリア様が少しだけ意外そうな顔をする。
「いえ、まぁ、いまでもちょっぴり疑っていますが、ダンジョンの件も含めて、規格外のことばかりでしたし、それに……今日は驚き疲れました」
私はそう言って、お湯を両手で掬って顔に掛ける。
「そっかぁ、創造神様だったかぁ……」
「ふむ。さっきから同じことしか言っていないが……さては現実逃避をしているな?」
ルミナリア様が小さく呟く。
私はそれに答えることも出来ず、無言で空を見上げた。
どこまでも広がる夜空。この不思議空間をルミナリア様が創りだしたのだとしたら、私は世界を創造した始まりの竜にお詫びさせた人間……ということ?
「これから、どうなっちゃうんだろう」
湯けむりの向こうで微笑むルミナリア様の姿が、まるで幻想のように揺らめいて見えた。