エピソード 1ー3
「ここ、かしら?」
受付嬢に教えてもらった住所――領都の片隅にある小さな一軒家。とても秘書を雇えるような裕福な家には見えないと思いつつも、扉をノックする。
ほどなく、「誰だ?」と女の子の不遜な声が響いて扉が開いた。そこに現れたのは十代になったばかりくらいの見た目の女の子。
顔立ちは大人びていて、黒くサラサラのロングヘアーは育ちの良さを感じさせる。
薄手のキャミソールの上にぶかぶかのジャケットを羽織り、下はホットパンツにニーハイソックスというラフな格好。
彼女の細められたアメシストの瞳が、私の姿を捕らえた。
「……ふむ、領主の妹がなんの用だ?」
ひゅっと息が零れた。
私が領民の前に出ることはほとんどない。それに姿絵なども出していないので、私の姿を知る者はほんの一握りだ。ウィッグを被る私の正体にはそうそう気付かないはずだ。
なのに、彼女はどうして?
警戒心を抱きながら、私は惚けてみせる。
「……なんのことでしょう? 領主の妹はプラチナブロンドだと聞いていますよ?」
「そうなのか? なら……あぁ、ウィッグで変装しているのか」
あっさりと見破られる。
理由は分からないけど、誤魔化すのは無理そうだ。
「……どうして私が領主の妹だと?」
「おまえの魂に情報が刻まれているからな」
「……?」
意味が分からない。この娘は何者だろうと訝しむ私に対し、彼女は「そのまえに、なんの用か語るべきではないか?」と言い放った。
「失礼しました。私はギルドの求人情報を見てここに来ました」
「……領主の妹が平民に紛れて働く、と?」
「少なくとも私はそのつもりでここに来ました」
私がそう答えると、女の子は「……まあいい、入れ」と口にして奥へ引っ込んだ。私はその後を追って家の中に。短い廊下のさきにあるリビングへと足を運んだ。
そこにぽつんとテーブル席があり、女の子はその向かいに腰を下ろした。
「そこに座るといい」
「では失礼して――え?」
腰を下ろして顔を上げると、テーブルの上に紅茶とお菓子が用意されていた。さっきまでは、テーブルの上になにもなかったはずなのに。
だが、女の子はとくに気にした風もなく「おまえも飲め」と促してくる。
……大魔道士? それとも稀代のペテン師?
私はなにを相手にしてるのかしら?
警戒心を抱きながら、恐る恐る紅茶に口を付ける。ふわりと広がる優雅な香り。味わい深く、ほのかな甘みがある。私でも飲んだことがないくらいのよい茶葉を使っている。
……人を雇うだけの財力はある、という訳ね。
たとえこれが見栄だとしても、相応の財力はあるだろう。
私は姿勢を正し、あらためて女の子へと視線を向けた。
「既にご存じのようですが、私はリシェルと申します。ギルドの掲示板にあった、求人の情報を見てここに参りました」
「うむ」
女の子はそう言って鷹揚に頷く。
その続きを待つが、女の子はクッキーを食べ始めた。
「……えっと、貴女のお名前は秘密、と言うことでしょうか?」
「ん? あぁそうか、こういうときは名乗るべきなのだな。すまないな。生まれてこの方、対面でコミュニケーションを取ったことがなくてな」
子供っぽくない口調で、尊大なことを口にする。しかも、対面でコミュニケーションを取ったことがないというのはどういうことだろう?
なんだか不思議な女の子だ。
「私はルミナリアだ」
「ルミナリア様、ですか……?」
名前を聞いてもう一度困惑した。
この世界を創造した始まりの竜と同じ名前だったからだ。
……まあ、子供にルミナリアと付けてはいけない、という決まりはないものね。
「ではルミナリア様とお呼びしても?」
「うむ、かまわない。それでリシェル。おまえは私の秘書になってくれるのか?」
「そのまえに、業務内容を教えていただけますか?」
「私が創っている箱庭の管理だ」
「……箱庭、ですか?」
箱庭――小さな箱の中に作った自分だけの世界。
貴族の中には部屋一つを箱庭にする、なんて者もいるが、それでも部屋一つだ。決して、管理に求人の募集要項にあったスキルを必要とするようなことはない。
……それとも、なにかの比喩?
違法な薬草の栽培でもしていて、それを密かに売りさばく人が必要、とか?
「あぁ、この領地の法に触れるような仕事ではないから安心しろ」
「――そう、ですか」
いま、私の心を読んだ? いや、表情を読み取られたのね。貴族や商人ならあり得る話だもの。少なくとも、この子は見た目通りの子供ではなさそうだ。
「こちらからも質問だ。あらためて聞くが、領主の妹がなぜ求人に応募した?」
「……それは」
真実を話すか否か少し考えを巡らせ、私はある結論に至った。
「――いま、王都とアルステリア領を騒がせている噂をご存じですか?」
「噂? 残念ながら俗世に疎くてな。どのような噂が流れているのだ?」
ルミナリア様はクッキーを口にしながら続きを促した。
私はそれに応じ、山で地鳴りが続いていること。それが原因で王都やアルステリア領の民が不安がっていること。そして私が原因だというデマが流れていることを話した。
「そ、そのようなことになっているのか?」
「ええ。なので、私はしばらく身を隠すことになったんです」
どうせ調べればすぐに分かることなので、正直に打ち明ける。ルミナリア様が噂を信じて敵対するという可能性も零ではないけれど、私には勝算があった。
「秘密厳守のお仕事ですよね? ルミナリア様が私の正体を吹聴しないでくださるなら、私もルミナリア様の仕事について決して口外をしません――というのはいかがですか?」
一方的に秘密を守るよりも信頼度は高いはずと提案した。だけど、彼女は私の予想に反し狼狽えた顔で、額から汗を噴き出させていた。
「……ルミナリア様?」
「い、いや、その……すまない」
「それは……どのような謝罪でしょう?」
思い浮かんだのは、巻き込まれる可能性を嫌って雇用の拒否。最悪の想定は、噂を信じて、私を領民に差し出そうとすること。
でも、答えはその二つのどちらでもなかった。
「その地鳴りの原因、たぶん私だ」
「………………はい?」
想定の外の外。まったく予想もしていなかった言葉を、私はしばらく理解できなかった。それでもたっぷり時間を使い、ようやく言葉の意味を理解する。
「ルミナリア様が、儀式かなにかをおこなった、と?」
「いや、箱庭を創っていた」
「……ちょっと、意味が分からないです」
隣の家から騒音が――という規模ではない。数キロ離れた位置から地鳴りが響く箱庭造りなんて聞いたことがない。
「山脈の地下の空間を歪曲させて……まあ、見せた方が早いか」
ルミナリア様がそう口にした瞬間、視界が唐突にぶれた。
「は? え……なに?」
ルミナリア様の背後にあった殺風景な壁がなくなって、その奥に木々が見える。続けて頬を優しい風が撫で――私は椅子を蹴立てて立ち上がった。
周囲を見回せば、いつの間にか大自然に囲まれている。まるで、私とルミナリア様、それにテーブル席だけを、大自然の中に一瞬で移動させたかのような状況。
だが、ルミナリア様は気にした風もなく、紅茶を一口飲んで私を見た。
「あれが地鳴りの原因だ」
ルミナリア様がそう言って側面を指さす。
そこにそびえる巨大な斜面、そこに巨大な洞窟の入り口があった。
「……まさか、ダンジョン?」
理論は一切分からない。
でも、地鳴りの原因というのなら、ここはアルステリア領の北にある山脈の麓だ。もしそこにダンジョンが出来たのなら、アルステリア領は生まれ変わる。
その期待が、他の疑問すべてを吹き飛ばした。
だけど――
「ダンジョンではない。箱庭だと言っただろう?」
「そう、ですか」
ダンジョンではないと否定されて落胆する。
だけど、ルミナリア様は私の様子に気付かず話を続けた。
「私はここ二十年ほど、冒険者達が未知の領域で魔獣を狩って得た素材を集めながら力を付けていくという、異世界のゲームにはまっていてな。それをオマージュした箱庭を作っていたのだが……って、聞いているのか? 聞いていなさそうだな。おい、リシェル」
リシェルと名前を呼ばれて、私はようやく我に返る。
「す、すみません。その……ダンジョンだったら、アルステリア領が豊かになると期待してしまって。だから、少し落胆してしまって」
「豊かに? それはどういう意味だ?」
「え? 言葉通りですよ。ダンジョンからは様々な資源が得られますから。ダンジョンの近くにある領地がどれだけ発展しているかは、言うまでもないでしょう?」
「おぉ、なるほどな。ふむ……そういうことなら」
頬に指を添えて考えに耽っていたルミナリア様が不意に笑みを浮かべた。
「リシェル、迷惑を掛けたお詫びに、おまえにダンジョンをやろう」
「……はい?」
「詫びダンジョンだ。運営からの詫び石みたいなものだな」
素直な感想を口にするなら『なに言ってるんだろう、この子』である。
「……ダンジョンをくださるというのは、どういう意味ですか? 転移の力を持っているのは理解しましたが、ダンジョンをくださるというのはさすがに……」
「にわかには信じられないか? だが事実だ。私を信じてこの手を取るのなら、おまえにダンジョンを渡そう。……さぁ、どうする?」
ルミナリア様がその小さくてしなやかな手を差し出してくる。
このときの私は、どちらかと言えば疑っていた。でも、ダンジョンが手に入るのなら、アルステリア領を豊かにすることが出来る。
わずかでも可能性がある以上、私はこの手を伸ばさずにはいられなかった。
私は席を立ち、おっかなびっくりルミナリア様の手を取った。
すると、ルミナリア様がわずかに目を細めた。
「……ほう? 意外に鍛えているな。魔術だけでなく、剣術の訓練もおこなっているのか?」
「嗜み程度ですが……分かるのですか?」
「むろんだ」
彼女はそう言って笑うと、私の手をすくい上げた。身長差は二十センチほど。私の首くらいにルミナリア様の頭がある。
それでも、悠然と私の手を掴んでエスコートする彼女の姿は絵になっていた。
「少しふらつくから気を付けろ」
ルミナリア様が私を見上げてそう口にすると――再び周囲の景色が変化した。
私はバランスを崩すけれど、ルミナリア様がしっかり手を握ってくれる。私はそれを支えに踏みとどまって――それから周囲の景色に息を呑んだ。
広がるのは、見渡す限りの草原。青い空には太陽が輝き、優しい風が大海原のように敷き詰められた草を揺らしている。
そして目の前には未知の様式の――豪邸がそびえ立っていた。