エピソード 4ー4
バルサズの背中を見送り、私はようやく片がついたのだと実感する。
グラセッド商会はもちろん、迷惑なお隣さんとはこれで縁を切れる。バルサズがこれからどうなるかは分からないけれど、少なくとも私が関わることはないだろう。
晴れ晴れとした気持ちで伸びをして、それからノエルさんのもとに戻る。彼はちょうど、騎士達に指示を出し終えたところだった。
「殿下――と、お呼びするべきですか?」
「いや、私はあくまで商会の長だ」
「……分かりました。では、ノエルさん。さきほどはありがとうございました。イージーワールの伯爵にはなにかと辟易させられていたので助かりました」
「役に立てたのならなによりだ」
彼はそういって笑う。
「……これが、先日言っていた追加の対価ですか?」
「そうだ。アルステリア領主の妹になら、これがよいと思ってな」
しれっと、私の正体について言い当てられた。私も途中から隠す気がなかったし、バレてるかなとは思っていたので驚かないけれど。
「いつから気付いていたのですか?」
「最初に会ったとき、名前を聞いただろう」
私は小首を傾げた。
ルミナリア様の名前ならともかく、私と同じ名前なんて珍しくない。あのときはウィッグで髪色も隠していたし、普通なら気付かないはずだ。
なのに気付いたとしたら――
「もしや、噂の主である私を探していたのですか?」
「噂? あぁ、イージーワール伯爵が流した噂の件か。そちらはついでだ。俺がアルステリア領にいたのは、農具の件だ。収穫量が上がったと聞いたからな」
「農具? あ、あぁ……」
そっか、そっちかぁ。
王家と関わりのあるクラウンリンク商会。
そのトップ、それも王族がアルステリア領に来ていたと知ったときは、てっきり噂の件で私をスケープゴートにする予定があるから、なんて思っていたけど……違ったらしい。
「それともう一つ、アルステリア領には以前から興味があったからな」
「……え? それは、どういう意味ですか?」
「それは――と、そなたも聞くがよい」
ノエルさんが、お兄様に声を掛けた。
「殿下、なにか御用でしょうか?」
「いまの俺はクラウンリンク商会の商会長だ。かしこまる必要はない」
「しかし――」
「公然の秘密とはいえ、一応は正体を隠している身だ、配慮せよ」
「……かしこまりました――いえ、分かりました、ノエルさん」
お兄様が口調をあらためると、ノエルさんは満足げに頷く。
「それでいい。では話を戻そう。俺はまえからアルステリア領に興味があった。それと関連する話だが、交易品に黄金花の蜜酒を加えたい」
初めて聞く品目に私は首を傾げる。けれど、お兄様は「黄金花の蜜酒をご所望なのですか?」と聞き返した。お兄様はそのお酒を知っているようだ。
「お兄様、黄金花の蜜酒というのは?」
「ああ、おまえはお酒を飲まないから知らないか。アルステリア領でのみ咲く香気花の蜜を醸したお酒だ。お父様とお母様が好きだったそうだ」
「お父様とお母様が?」
「ああ、今度呑んでみるといい。おまえももう、お酒を飲める年だからな」
「……そう、ですね」
もしも両親が生きていたら、いつか勧められていたのだろうかと思って、少ししんみりしてしまった。
私は頭を振って視線をノエルさんに戻した。
「クラウンリンク商会は、以前からそのお酒に興味を抱いていた、ということですか?」
「少し違うな。俺の商売仲間が、アルステリア子爵――ああ、先代の話だが、その先代から、うちの領地にはとびっきりの特産品があると聞かされていたんだ」
「聞かされていた、ですか?」
「ああ。結局、それがなんだったのかは分からずじまいだったそうだ。それがずっと気になっていてな。クラウンリンク商会がアルステリア領に来たのはそれが理由だが、自ら出向いたのはそれが理由だ」
「……では、それが黄金花の蜜酒だとわかったのは何故ですか?」
「呑めばわかる、そういう類のものだ」
つまり、ノエルさんは黄金花の蜜酒を呑み、交易品に値する商品と認めたという意味。
それが分かって嬉しくなる。
「……でも、その商人は、どうして分からずじまいだったのですか?」
「それは……」
ノエルさんが言葉を濁した。
そのとき、お兄様が「もしや……」と呟いた。
「お兄様には心当たりがあるのですか?」
「ああ。分からずじまいになったのは恐らく、お父様とお母様が殺されたからだ」
「え、それって……まさか!」
脳裏に浮かんだのは、ノエルさんが言った言葉。イージーワール伯爵には、邪魔なライバルの命を奪った容疑が掛かっている、と。
そんな私の予想を肯定するように、ノエルさんが小さく頷いた。
「おまえ達の両親を襲ったのは、恐らくイージーワール伯爵の部下だ」
「――っ」
イージーワール伯爵が、お父様とお母様を殺した犯人。
それを理解して、いますぐあいつを殺せと、イリスに命じたくなる。怒りに突き動かされて一歩を踏み出そうとしたそのとき、お兄様に腕を引かれた。
「……お兄様?」
「イージーワール伯爵は法によって、その罪を償うことになる」
「……分かって、います」
私は領主の妹だ。
法で裁けるのなら、それに従うべきだ。
……だけど、お父様とお母様は、アルステリア領を豊かにしようとがんばっていた。そしてそれは、あと少しで達成されるところまで来ていた。
なのに、無慈悲な誰かに殺された。
それを知って、たまらなくなる。
「……お父様、お母様。夢の達成を目の前に、さぞ、無念だったでしょう……っ」
視界が滲み、涙が頬を伝い落ちた。
両親の無念を思って身を震わせていると、お兄様にそっと肩を掴まれた。
「リシェル。両親の悲願を、いまここで果たして上げなさい」
「……私が、ですか」
顔を上げると、お兄様は優しげに微笑んでいた。私は手の甲で涙を拭い、ノエルさんに視線を向ける。彼もまた、私の言葉を待っているようだった。
私は背筋を伸ばし、ノエルさんを見上げる。
「……ノエルさん、黄金花の蜜酒は交易するに値する商品ですか?」
「ああ、もちろんだ。もしダンジョンの素材がなかったとしても、俺は黄金花の蜜酒の交易を提案していただろう。ゆえに、交易品に加えたい」
彼の言葉で、お父様とお母様の悲願が叶った。それを理解して、胸に熱いものがこみ上げてくる。
「……ありがとうございます。ぜひ、黄金花の蜜酒を交易品に加えさせてください」
私の思いを汲んでくれたノエルさんに、感謝の想いを込めて深々と頭を下げる。
地面の上に、ポタポタと熱い雫が零れ落ちた。
草原に柔らかな風が吹き、私の髪を優しく撫でる。それは、まるで――誰かが私の背後に寄り添ってくれているようだった。
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