エピソード 4ー1
クランハウスにある応接間。
赤い絨毯の上に置かれたローテーブルを挟み、私とノエルさんはソファに座って向き合っていた。彼はローテーブルの上で指を組むと、わずかに身を乗り出す。
「今日来たのは他でもない。我々の取引がいまも有効かの確認にきた」
予想通りの言葉。私は考える振りをしながら、ミリアの淹れてくれた紅茶を口にした。最初の頃は未熟なところが目立ったけれど、いまではだいぶ上達している。
ほのかな香りを楽しみながら、私はノエルさんに視線を戻した。
私と彼が交わしたのは、イージーワールの領主が掛けた通行税をなんとかして欲しい。そうしたら土地を売る、という約束だ。
でも、ダンジョンの中から、山脈の北側、王都付近へと抜けるトンネルが発見された。いまとなっては、イージーワール領の通行税がどうなろうと、たいした影響はない。
彼はそれを知って、取引が有効かを確認に来たのだろう。
私としては、約束を大切にしたい。なにより、私はこうなることを知っていて、クラウンリンク商会を利用した。ここで取引を反故にするのは、私の信条に反する。
「ご存じのように、セーフエリアから山脈の北側へ抜けるトンネルが見つかりました。もはや、イージーワール領の通行税をなんとかしてもらう必要はありません」
私がそう口にすると、ノエルは「そうだろうな」と苦笑した。だが、その目は真剣そのもので、その後に続く私の言葉を待っているかのようでもあった。
私はそんな彼に「とはいえ――」と続ける。
「クラウンリンク商会とは予定通りに取引をするつもりです」
「……それは、土地を売ってくれる、ということか?」
こちらの思惑を探るような視線を向けられる。
「もともと、クラウンリンク商会に土地を売ることはこちらにも利のあることです。原因がなんであれ、問題が解決したいま、土地を売ることに異論はありません」
「……心より感謝する」
彼はソファに座り直して深く息を吐いた。こちらがどのように出るか分からず、相当に気を揉んでいたのだろう。その表情が幾分か和らいだ。
「売る土地は、前回お伝えしていた場所でかまいませんか?」
「むろんだ。それと、そちらの誠意に応え、こちらからも提案がある」
「……提案、ですか?」
なんだろうと小首を傾げる。
「今日ここには、ダンジョン内のトンネルを使って来た。ダンジョンの中にあるにもかかわらず整地されており、魔獣すら出ない、広く快適な道だった」
「ええ、報告は受けています」
そう答えるとき、私は少しだけ緊張していた。次の瞬間、『まるで意思ある誰かが、交易のためにトンネルを作ったみたいだ』と言われるのではと思ったから。
でも、彼の言葉は予想と違っていた。
「だが、トンネルの外から王都までに街道はない」
「……ええ、その通りです」
アルステリア領の領都とダンジョンを結ぶ街道はお兄様が整備中だけど、元々は道なき道を走っていた。王都側も同じ状態で、誰かが整備する必要がある。
まさかと視線を向けると、彼はふっと笑った。
「ダンジョンの出口から王都まで、クラウンリンク商会が整備を引き受けよう」
「……よろしいのですか?」
いまの私は、クラウンリンク商会が王室と関わっていることを知っている。だから、可能か不可能かでいえば、十分に可能なことも理解している。
でも、彼にそこまでする義理があるかどうかは別問題だ。
「ああ。こちらにとっても必要なことだからな。それと、もう一つあるのだが……これは後日、結果が出てから報告しよう」
彼はそう言って茶目っ気混じりに笑った。
――こうして、私はクラウンリンク商会との取引を成立させた。冒険者ギルドのときと同じような条件に加え、街道の整備をしてもらえるのなら悪くない。
そして、セーフエリアは急速に発展を始める。
セーフエリアの私が所有していた土地は全体の四分の一程度。そのうち半分くらいに宿屋に酒場、それに鍛冶屋や薬屋といったお店が建ち始めている。
冒険者も一気に増え、セーフエリアも賑わうようになった。
ちなみに、まだ所有者のいないセーフエリアの土地には誰も手を付けない。管理者が現れた時点で、建物が撤去される、という設定があるからだ。
とはいえ、冒険者のテントや、仮設の厩舎などはちらほらと見受けられる。
そして、セーフエリアが活気づくことで、領都から買い入れた食料が運ばれてくる。その対価を得ることで、領都の民の収入も少し増えている。
私達の望んだ、豊かなアルステリア領が少し顔を覗かせた。
「あとは……イリス、素材の確保はどうなっている?」
「追加召喚のワーウルフに採取させていた分なら、倉庫に積み上げてあるのよ?」
「なら、貴女がダンジョンで確保したというていでファリーナのもとに少し持ち込んで、最強の剣を一振り打ってもらって。交易品として宣伝に使うから」
「了解なのよ」
クラウンリンク商会との取引で目玉商品として売り込む、その見本。ファリーナの造った強力な剣なら、必ずや交易をする上での武器ともなってくれるだろう。
そうして一ヶ月ほどが過ぎ、急ピッチで進められた街道の整備も終わった。もっと掛かるかと思っていたのだけれど、クラウンリンク商会の本気を見た形だ。
そんなある日、街道の開通式が大々的におこなわれることになった。場所は王都の近く、ダンジョンへと続く新しい街道のまえだ。
アルステリア領からは、領主であるお兄様と私、それにファリーナや冒険者ギルドの面々。王都からはクラウンリンク商会のノエルとその部下の者達。
そして、この利権に食い込みたいどこかの領主や、商人達が集まっている。
そんな中、ノエルさんによる演説がおこなわれ、それから私とノエルさん、それにお兄様とレイシャさんの四人で、魔導具による祝砲を打ち上げた。
それを切っ掛けに、クラウンリンク商会の馬車がセーフエリアを目指して走り出した。参列客から拍手が起こり、ノエルの元に利権に食い込みたい者達が押し寄せる。
その勢いに気圧され、私とお兄様はファリーナ達が待つ隅っこに逃げた。ちなみに、騒ぎにならないように、ファリーナにはローブを纏ってもらっている。
「リシェル、あとで王都の鍛冶屋を案内する約束、忘れないでくださいね」
「ええ、ちゃんと覚えてるわ。私も見たいものがあるし」
ファリーナは探求欲を満たし、私は交易で使えそうななにかを探す。
そんな計画をしていると、そこに見覚えのある商人がやってきた。グラセッド商会の商会長、私とお兄様を窮地に追いやった裏切り者だ。
こちらから願い下げだ――みたいなことを言っておいて、いまさらなんのようだと冷ややかな視線を向ける。それでも、謝罪の言葉くらいは聞いてもいいと思っていた。
なのに――
「アルステリア領にダンジョンが見つかったのなら、交易をする商会が必要でしょう? いかがですか? うちならば、すぐにでも交易が始められますよ」
彼が告げたのは、自分の売り込みだった。謝罪ならともかく、何事もなかったかのように取引を持ちかけられるのはさすがに想定外だ。
相手をする価値もないと無視をして立ち去ろうとすると、商会長が「お、お待ちください!」と焦った様子で追いかけてきた。
そこにお兄様が割って入る。
「ダンカン、今後、グラセッド商会とは二度と取引をしないと言ったはずだ」
「――そ、そうでしたかな?」
しどろもどろになる商会長。
というか、彼はダンカンって言うのか、いま知った気がする。
そして、私達のやり取りが聞こえたのか、周囲の視線が集まり始めた。そんな中、お兄様は皆に聞こえるように絶縁を言い渡す。
「この際だからはっきり言っておこう。これからも、アルステリア領はグラセッド商会とは取引をしない。グラセッド商会と取引のある商会も同じだ!」
「そっ、そんな! それでは、うちがダンジョン産の素材を扱えないではないか!」
お兄様の言葉に、商会長は顔色を変えた。
グラセッド商会と取引をすると、アルステリア領産の素材を取り扱うことが出来ない。そうなれば、アルステリア領と取引をした他の商会も、グラセッド商会と手を切るしかなくなる。
つまり、彼はいままで懇意にしていた商人達からも見放される、ということだ。
商人として終わりだろうけど、彼の自業自得だから同情はしない。お兄様も同じように感じているのか、冷ややかな目を向けた。
「それがどうした? 陸の孤島にある弱小領地との取引など願い下げだと、高らかに笑っていたのはそなただっただろう?」
「い、いえ、あれは、そのっ、そう! 言葉の綾というもので……」
見苦しい言い訳を始める。
成り行きを見守っていた別の商会の者達は、グラセッド商会が盛大にやらかしたことを理解し、ライバルが減ったと笑みを浮かべる。
そんな中――
「どけ、ダンカン。商機を見誤ったおまえはもう終わりだ」
茫然自失の商会長を押しのけ、イージーワール伯爵が私達のまえに現れた。




