エピソード 1ー2
ファリーナと手を取り合い、領地で物作りを始めたのが一年前。農具一つでどの程度の変化が訪れるかは不安だったけれど、その成果は明確に表れた。
収穫量も二割と言わず、四割くらい増えている。これは農具だけではなく、ファリーナの知る異国の知識を取り入れた結果である。
彼女は、貧困に喘いでいたアルステリア領に恵みをもたらした。
そして、その話が周辺の領地へ広がると、噂を聞きつけた商人が農具を買い付けに来るようになり、ダンジョン産の素材もわずかながらに仕入れることが出来るようになった。
ささやかながら、陸の孤島に交易の風が吹いた。
ラナがその素材を使い、いくつかの魔導具を作る。それが出回り始めると、アルステリア領の名前は少しずつ知れ渡っていった。
アルステリア領は少しずつ、だけど確実に、豊かな領地になっていく――はずだった。
状況が変わったのは、いまから三ヶ月ほどまえのことだ。アルステリア領の北端にある険しい山脈から、毎日のように地鳴りが聞こえるようになった。
原因は不明で、領民達は不吉の前兆だと騒ぎ始めた。
過去の資料を洗ったけれど、北の山が噴火したような記録はない。崖崩れなども警戒したけれど、そこまで近くに街がある訳でもなく、直接的な被害が発生する可能性は低かった。
だけど、問題があった。
それは、バルサズやグラセッド商会に逆恨みされていることだ。アルステリア領が有名になるにつれ、彼らの裏切りも世に知られることになり、彼らの評判が傷付いた。
それが私達のせいだと彼らは逆恨みして、アルステリア領の悪口を流布している。
結果、山で頻発している地鳴りは、アルステリア領の領主の妹――つまり私が、マリエス族を呼び出すために怪しげな儀式をおこなったことで発生したという噂が流れた。
正直なところ、アルステリア領の民達はその噂を信じなかった。それどころか、噂を流した
として、グラセッド商会の評判はさらに落ちた。
だけど問題は、山の向こう側には王都があったことだ。
険しい山脈を超えることは叶わないけれど、直線距離で言うとアルステリア領は王都とかなり近い。ゆえに、山の地響きは、王都でも不吉の前兆だと騒がれていた。
そこに、地鳴りを起こした犯人がいるという噂が流れ、怒りの矛先が私に向いた。アルステリア領の住民は信じずとも、王都の住民は噂を信じてしまったのだ。
そしてほどなく、私はお兄様に呼び出された。
執務室に足を運ぶと、お兄様は私を見るなり神妙な顔でこう言った。
「リシェル、おまえに北の山脈で発生している地鳴りの原因究明の調査を命じる」
私は思わず瞬いて、「本気で言っているのですか?」と聞き返した。
「むろん、本気のはずがなかろう」
「……ええっと?」
どういうことかしらと首を傾げる。
お兄様は小さく溜め息を吐き、「噂の件は知っているな?」と口にする。
「地鳴りの原因が、私がおこなった怪しげな儀式というやつですよね?」
「そうだ。しかも、マリエス族を呼び出すためという、こじつけが過ぎる噂だ。誰が流した噂かは考えるまでもないが――問題は、その噂が王都でも流れていることだ」
「……まさか、国王陛下がその噂を信じると?」
「陛下はそのように愚かな人ではないよ。だが、政治的判断をなさらないとは限らない」
最初、その言葉の意味が分からなかった。
でもすぐに、スケープゴートという言葉が思い浮かぶ。
「民を安心させるために、私を罰する、と?」
「そのようなことをしないと思いたい。だが……」
その先は聞かずとも分かった。もしも山で災害が起これば、国民は不安や憤りのやり場を探すだろう。そんなとき、ちょうどよいスケープゴートがあれば、それを利用しない手はない。
「アルステリア領なら、切り捨ててもかまわないと、そういう訳ですか」
そうだとしたら悲しいなと、私は唇を噛んだ。
そんな私の頭を、お兄様が優しく撫でる。
「あくまで可能性の話だ。だが、絶対にないとは言い切れない。両親に託されたおまえを万が一にも不幸にする訳にはいかないからな。原因究明の調査に出ているという名目で、しばらく身を隠しておいて欲しいんだ」
「……そして、問題があれば逃げろと言うのですね」
お兄様は私の問いに答えず、わずかに微笑んだ。
「おまえはいままでずっとがんばっていたからな。少し長い休暇だと思えばいい」
「……お兄様がそう言うのなら」
不満がないと言えば嘘になるけれど、私が留まることでお兄様に迷惑を掛けることもあるかもしれない。そう思ったから渋々ながら了承した。
すると、お兄様は私の手に革袋を押しつけてきた。
「……これは?」
「当面の生活費だ」
中を覗くと、金貨が詰まっていた。遊んでいても数ヶ月は暮らせるほどの金額だ。それだけで、お兄様が私のためを想って屋敷を離れるように言ってくれているのが分かる。
私はその中から数枚だけ摘まみ上げ、革袋はお兄様に返した。
「これだけあれば大丈夫です」
「……リシェル、気を遣わずともいいんだぞ。うちも収穫量が上がったおかげで、以前よりは金銭的に余裕があるからな」
「そのお気持ちだけで十分です、お兄様。私に多く使う余裕があるのなら、少しでも領地のために使ってください。それが私の願いです」
「……分かった。くれぐれも気を付けてな」
そうして屋敷を出ることになった私を、ファリーナが見送りに来てくれた。彼女はエントランスホールで私のまえに立つと、「事情は聞きました」と気安い口調で話しかけてくる。
ここ一年で、私と彼女はすっかり打ち解けている。
「ファリーナ、急なことでごめんね」
「いえ、事情は聞いています。でも――帰ってきますよね?」
「ええ。今回のはあくまで保険的な処置だから、一、二ヶ月もすれば戻ってくるわ」
「……分かりました。貴女の帰りを待っています。それと、貴女が帰ってきたら打ち明けたいことがあります。だから、必ず帰ってきてくださいね」
ファリーナはそう言って微笑んだ。
だけど、私の背後を見て不安そうな顔をする。
「……もしかして、一人で行かれるのですか?」
「その方が身軽だからね」
私が身を隠すのはアルステリア領の街の中、決して治安の悪い場所じゃない。
それに、領主の妹として自分の身を守る術は身に着けているし、侍女もろくにいなかったから、身の回りのことは一人ですることが出来る。
なにより、ぞろぞろとお供を連れていたら身を隠すのも難しい。だから大丈夫と笑うけれど、ファリーナは心配そうな顔をした。
「……リシェル、お気を付けて」
「大丈夫だって。お土産話を持って帰ってくるから少しだけ待ってて」
「……分かりました。その日を楽しみにしています」
私は涙目で微笑むファリーナ達に見送られ、生まれ育った屋敷をあとにした。
その後、私が向かったのは領都にある冒険者ギルドだ。
――と言っても、アルステリア領にダンジョンはない。この街にある冒険者ギルドは、雑用の求人、あるいは害獣退治や、盗賊退治、護衛などがメインのお仕事となっている。
私はその求人に目を付けた。
目立つプラチナブロンドは黒髪のウィッグで隠してるし、姿絵が出回っている訳でもない。正体がばれる心配はないだろうと、私は堂々と冒険者ギルドに足を踏み入れた。
そうして掲示板で求人情報を眺めていた私はある求人に目を留めた。
「三食昼寝付き、口の硬い秘書募集って……なにこれ?」
見出しだけでも怪しいが、応募条項もすごかった。
経営マネジメント能力や財政管理、人材管理能力、事務処理や、対外的な交渉が行えるコミュニケーション能力の技能、あるいは実績がある人。
要求スペックがとんでもなく高いのに、業務内容や報酬は書かれていない。
「……一体、なにをする仕事なのかしら?」
「怪しいですよね、それ」
私の呟きに答えたのはギルドの受付嬢だった。
急に声を掛けられて警戒するけれど、自分の正体がばれた訳ではないようだ。それに気付いた私は平静を装って、受付嬢のカウンターまえへと移動した。
「あの募集についてなにか知っているの?」
「残念ながら、書かれている以上のことは分かりません。そんな訳で、張り出されてから三ヶ月ほど経つんですが、まだ誰も応募していません」
「要求スペックも凄いわね」
「ですね。募集要項のスペックを満たしているなら、うちで雇いたいくらいですよ」
「……冒険者ギルドで?」
些細な疑問。
だけど、それを聞き返したことが、私の運命を変える分岐点となった。
「だってこれ、ほぼ受付嬢に必要な条項ですよ」
「……ギルドの受付嬢って、こんなに必要な技能が多いの?」
「見習いなら別ですが、最終的にはこのくらい必要ですよ。かくいう私も、この募集要項をほとんど満たしています」
「そう、なんだ……」
冒険者ギルドの受付嬢に必要な技能。募集主はそんな技能を持つ秘書を使って、一体なにをしようとしているのかしら?
「どうかしましたか?」
問われた私ははっとなり、慌てて首を横に振る。
「なんでもないよ。ただ、それだけの技能があるなら、よその領地でもっと割のいい仕事がありそうだなと思っただけ」
誤魔化すための一言。だけど、受付嬢はわずかに表情を曇らせた。
「そうかもしれませんね。でも、私はこのアルステリア領が好きですから。たしかにダンジョンはありませんが、素敵なところもたくさんあるんですよ?」
寂しげな、それでいてなにかを呑み込むような表情。彼女は、アルステリア領を悪く言われたことに憤りを抱いている。
「ごめんなさい。アルステリア領を悪く言うつもりはなかったの」
「あ、いえ、こちらこそすみません!」
私が慌てて謝罪すると、受付嬢もまた慌てたように頭を上げた。
アルステリア領を、こんな風に思ってくれている人がいるんだと、それが嬉しくて私は笑みを零した。それから、あらためて求人情報に目を向ける。
……そうだね。行くあてもないし、少し調べてみようかな。
「決めた。私、あの求人に応募してみる」
「……いいんですか? あの手の依頼の場合、仕事内容までは保証できませんよ?」
「もちろん、それは本人に会って確認するわ」
「分かりました。では、この住所の家に向かってください」
渡された地図の場所を確認し、私は受付嬢にお礼を言って踵を返そうとする。と、隣の受付から「頼むよ! 俺達、なんでもやるから!」と子供の声が聞こえて来た。
見ると、十代半ばくらいの子供達が受付カウンターに詰めかけていた。
「……あれは?」
「あれは孤児院の子供達です。年長組の子供達が仕事を探しに来るんです。出来るだけ仕事を回してあげたいとは思うんですが……」
受付嬢が遣る瀬ないといった面持ちで言葉を濁した。
「孤児院には十分な支援金を出しているはずだけど……」
「ええ。ですが、事情がありまして」
「……事情?」
いまは首を突っ込むことではないと分かっているけれど、領主の妹として無視することも出来ないと、私は詳しい話を聞いた。
「この国では十六歳を超えると成人として扱われ、孤児院で保護される対象から外されます。ですが、この領地ではなかなか仕事が見つからず……」
「補助金の対象外の者を保護している、だからお金が足りないのね」
孤児院がルールを破っていると言えばそれまでだ。
だが、子供達が必死に仕事を探しているのは見れば分かる。それでも仕事を見つけられないのは、領主の、私達の力不足が原因だ。
私は唇を噛んで、鞄からなけなしの金貨を一枚カウンターに置いた。
「……これは?」
「私、綺麗な場所が好きなの。だから、次に来るまでにもう少し掃除をしておいて」
「清掃の依頼……ですか? ――っ」
「その場しのぎにしかならないかもしれないけど、それでも……ね」
無視できないと拳を握ると、受付嬢はハッとした顔をする。
「分かりました。ギルドを清潔に保つよう、定期的に依頼を出しておきます」
受付嬢は金貨を受け取ると、隣の受付嬢になにかを耳打ちした。続けて、耳打ちをされた受付嬢が子供達になにかを伝え、子供から歓声が上がる。
それを見届けた私は踵を返してギルドをあとにした。