表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/3

二章

 朝陽が監房に入れられてから、彼の体感で半日ばかりが経過した頃、急に外の様子が騒がしくなる。たくさんの足音が鳴り響き、また複数の息に似た音が足音に掻き消されずはっきりと聞こえてきた。

 次第に外の様子が落ち着いてくると、今度は微かに金具をいじるような音が聞こえてくる。しばらくすると、朝陽たちを閉じ込めていた扉が開いた。部屋の中がとても暗かったせいか、朝陽は眩しさに目元を手で(かざ)した。

 銃を向けた状態で、外に出ろと看守が手振り身振りで指図する。朝陽と白夜はそれに従うと監房の外に出た。

 白夜が朝陽の前に立ち、朝陽はそのあとについていく形で狭い通路を歩いていき、階段の一番下まで下りていく。

 階段を下りて再び通路を歩いていくと、次第に通路の幅が広がっていき、何やら声や物音が聞こえてくる。そして、明かりが漏れてる部屋らしきところまで来ると、看守から背中に銃で(つつ)かれ、朝陽たちはその中へと入っていった。

 部屋の中に入ると、そこには朝陽や白夜と同じ服を着ている囚人たちがたくさんいた。その大半が木でできた長いテーブルの前で、同じく木でできた長椅子に腰掛けて、食事を摂っている。

 朝陽たちがこのだだっ広い部屋に入ったその瞬間、囚人たちの視線がふたりに向けられる。無表情であったり、睨みつける感じであったり、ニヤニヤしてたりなど、囚人によって様々だ。朝陽たちが確認できる範囲では、どれも男の囚人たちばかり。朝陽は彼らの視線を向けられた瞬間、ドクンドクンと鼓動が鳴るのを感じる。

 白夜は囚人たちが集まる人混みを通りながら、早く食い物を手に入れ空いている席を見つけようと、どんどん先へと進んでいく。朝陽は白夜に置いていかれないように、必死についていったものの、他の囚人と身体をぶつけないようそちらに注意が向きすぎたせいで、いつの間にか白夜と逸れてしまった。

 朝陽は白夜の姿が見えなくなったことで、不安がさらに増し、少しずつ足を速めて白夜を探した。だが、早歩きのせいで、他の囚人と肩がぶつかってしまう。

 しかし、朝陽は相手に一言も謝らないまま、早く白夜を見つけようと先を急ごうとする。だが、それを阻むかのように、何者かが白夜の肩に手を置いた。

 朝陽が振り返ると、いかにもごろつきといった感じの、人相の悪い短髪の囚人が、朝陽の肩を軽く叩きながら、ニヤニヤした顔を見せてくる。その他、この囚人の仲間と(おぼ)しきこれまた人相の悪い囚人二人が隣に立っていて、ニヤニヤした顔を朝陽に向けていた。

「なあ、ちょっと、そこの兄さん。おれ今、あんたに肩ぶつけられたんだけど、あんた、謝りもせず、そのまま素通りしたよな。痛かったんだよなあ」

 朝陽はこのように言われたものの、謝る気持ちはさらさらなかった。黙った状態で相手を見る。

「なあ、兄ちゃん。聞こえないのか? なんで謝んないのかって訊いてんの」

 すぐ謝罪をして揉め事にならないのが一番だとわかってはいるのだが、革命戦士という自尊心が邪魔をして、強がってる態度を見せてしまう。

「なんでだ?」

「あっ、はい?」

「なんでおまえみたいな奴に謝らなきゃいけないんだ?」

 朝陽のこの言葉を聞いて、朝陽に絡んできた囚人たちが、一斉に高笑いした。

「おい、聞いたか。なんでおまえみたいな奴に謝らなきゃいけないんだ、ってよ」

 朝陽と肩がぶつかった囚人が、仲間のほうを見ながらこのように言うと、再び朝陽のほうに顔を向けた。

「おい、一体それはどういう意味なんだい?」

「おまえらみたいなチンピラに教える義理はない」

 朝陽はこう言ったあと、この三人組から離れて、再び白夜を探そうと歩こうとする。しかし、再び肩に手を置かれてしまい、朝陽が振り返ると、肩がぶつけられたあの囚人が、朝陽の顔面を思いっきり殴った。朝陽は後方に突き飛ばされた形となり、大の字になって倒れた。

「おい、ふざけんじゃねえぞ。このクソガキが! さっきから言いたい放題言いやがって。おい、おまえら! 今からたっぷり可愛がってやるから、こいつを立たせろ」

 残り二人の囚人がニヤッと笑うと、左右から朝陽の腕を掴み、朝陽は動きを封じられる。そして、先程から言いたい放題言われたこの囚人が、ニヤッと舌舐めずりした状態で朝陽に近づくと、思いっきり腹に拳を叩き込む。

 朝陽は苦痛で顔を歪ませ、小さく苦しそうな声を上げる。その様子を見て快感を覚えたのか、この囚人は満足そうな笑みを浮かべながら、さらに二発ぶち込んだ。

「まだこんなもんじゃねえぞ。どうやらおまえはずいぶん調子に乗ってるようだから、時間をかけてみっちり躾けてやる。覚悟しとけよ」

 腹を殴られ苦しみながらも、この男の言葉に抵抗するかのように、全力で身体を左右に揺さぶり、自分の両腕を掴んでいる残り二人の囚人をなんとか振り解こうとする。そうしているうちに、再び自分の腹を殴った男が近づいてきたので、それを見計らい、足を前へ蹴って、自分を殴った囚人を前方へ突き飛ばした。

 朝陽に蹴られたこの囚人は、後方へと突き飛ばされ、他の囚人とぶつかってしまう。だが、ぶつかった囚人が微動だにしなかったので、倒れることはなかった。朝陽を痛めつけていた男は激怒し、朝陽をさらに痛めつけようと早歩きで近づこうとする。しかし、朝陽に突き飛ばされた際にぶつかってしまった他の囚人から、自分が朝陽にしたのと同様、肩に手を置かれた。肩に手を置かれたその瞬間、男は振り返り怒った顔を見せる。

「邪魔すんじゃねえ! てめえ、何勝手に……」

 この囚人が邪魔されことにキレて、怒りをぶつけようとしたその瞬間、肩に手を置いた何者かに顔を思いっきり殴られ、後ろに吹っ飛ばされてしまった。短髪の囚人は朝陽のいるところを通り過ぎて、さらに後ろにいる他の囚人三人とぶつかってしまい、もろとも倒れてしまった。殴られた囚人は、口を半開きに白目になった状態で、大の字の状態で倒れていた。

 殴られ気絶した男の仲間である残り二人が、仲間に暴力を振るったこの何者かの仇を取ろうと、朝陽から離れて相手のほうまで歩み寄る。そして、二人はまっすぐ相手の姿を見た。

 二人の目の前には、とてつもなく大きな男が立っていた。骨格や筋肉が大きいいかにも頑丈な身体の持ち主で、身長は二メートルを優に超えている。あたりを見渡しても、この囚人より大きな者は誰もいない。脂ぎった長めの髪に、髭を生やしている。大男は二人の姿を見ると、不敵な笑みを浮かべた。

 大男と目が合った囚人二人は、途端に顔が真っ青となる。二人とも身体が震えてしまい、上手く動けない様子だ。

「おまえら、あいつの仲間か?」

 大男が顎を動かしたその先には、倒れているお仲間の姿が見える。白目のまま気絶した状態で、何やら痙攣してる様子が目に入る。二人は振り返って一緒に連んでた仲間の姿を確認すると、再び大男のほうへと顔を向けた。大男は変わらずまっすぐ二人を見ている。

「で、どうなんだ?」

 大男の言葉になんと答えたらいいのかわからないといった様子で、二人とも怯えた表情を見せていた。大男がゆっくりと彼らに近づくと、二人組のうちの片方が腰を抜かしてしまい地面に倒れてしまう。大男は倒れたほうに目を向けると、じっと何かを見つめる。それから数秒後、大男は腰が抜けて倒れた男の股間を、自身の大きな足で思いっきり踏みつけた。

 股間を踏みつけられた男は大声を上げたのち、白目になり泡を吹いた状態で気絶した。

「おいおい、こっちが訊いてんだからさあ、早く答えてくれないと困るだろ。まったく」

 相手が気絶してからも、さらに捻るような感じで股間を踏んでいく。その際、何やらぶちっと音が鳴った。三人組の最後の一人は、倒れてるお仲間二人の様子を見て、こめかみから汗がどんどん流れていた。大男はそんな坊主頭の囚人に目を向ける。

「で、どうなんだ? おまえ、あいつの仲間だよな?」

 再び同じことを訊かれて、坊主頭の囚人は素直にうなずいた。

「そうかそうか、やっぱそうだよな。だったら、さっさと答えろよ。時間がもったいないじゃねえか。でさあ、え〜と、なんだったけ? あっそうそう、おまえ、オレにぶつかってきたあいつの代わりに、謝ってくれるんだろ? しかもさあ、あいつからぶつかっておきながら、邪魔するなよ、とかぬかしてきやがったんだよ。オレ、痛かったんだぞ。せっかく謝ってもらおうと思ったら気絶しちゃうしさあ、ほんとどうしようもねえ奴だよ、まったく。もうこうなったら、おまえに謝ってもらうしかないよな。で、どう落とし前つけてくれんだ?」

 大男の言葉と威圧的な視線に、坊主頭の囚人は思わず相手の顔から目を逸らし、視線を下に向けた。その様子を見た大男は、坊主頭に近づき肩を軽く叩いた。

「オレはこう見えても寛大(かんだい)な男でな、言うこと聞くんだったら許してやってもいいぜ」

 大男に自分の言いなりになるんだったら、許してやると言われたものの、坊主頭の囚人はどう返事をしていいかわからない様子で、言葉がまるで出てこなかった。

「……おい、聞こえなかったのか? えっ、どうなんだ⁉︎」

 大男は今まで絶えず不敵な笑みを浮かべていたが、相手が黙ったままなので、今度は鋭い目つきで相手を見下ろす。坊主頭の囚人は、この威圧感のある視線と恐怖に逆らうことができず、ごく自然と頭を縦に振った。大男はこの様子を見てニヤリと笑う。

「そうかそうか、だったら約束通り許してやろう」

 大男はそう言うと、今度は坊主頭の耳元でこう囁く。

「じゃあ、今日からおまえはオレのものだ。いいな?」

 大男の言葉に、坊主頭は思わず涙を流す。

「じゃあ、そういうことだから、こいつオレと一緒の部屋にしてくれ。なっ、いいよな⁉︎」

 大男は後ろを振り返り、看守に向かって大声で許可を求める。看守はニヤリと笑うと、頭を縦に振った。

 大男も看守が首を縦に振ったのを見てニヤリと笑うと、今この瞬間に自分の所有物となった男のほうに目を向ける。すると、この所有物と化した男が、自身の股間目掛けて蹴りを入れようとする寸前で、ぴたっと動きを止めたところが目に入った。

「おい、これは一体どういうことだ?」

 坊主頭の囚人はこんな奴と一緒の部屋になっていいようにされるぐらいなら、この場で不意打ちを喰らわしてやろうと思い、蹴りを入れようとした。しかし、先程まで続いているこの恐怖に打ち勝つことができず、蹴りを入れる寸前で身体が動かなくなってしまった。こんな怯えた様子であるこの所有物を、大男は威圧的な目で睨みつけた。

「おい、これは一体どういうことなのかな?」

 大男に訊かれたことに対し、坊主頭は身体より一層震えて答えることができずにいる。

「おい、聞こえなかったのか? どういうことなんだって、訊いてんだろ! おまえさあ、もしかして、オレ様の大事な大事な、このおちんちんを、蹴ろうとでもしたのかな? おい、どうなんだ⁉︎」

 大男の強弱をつけた口調、そして最後のほうの声量とそれに伴う威圧感に押され、大男からでもはっきり聞こえるほど、坊主頭の心臓の鼓動が激しさを増していた。もう、それだけで死んでしまうのではと思えるほどに。

「もし、オレのちんぽを傷つけようとして、こんな馬鹿みたいなことやろうとしてたなら、もちろん、わかってるよな?」

 大男の眼光がさらに鋭くなった。所有物として見られているこの男の脳裏には、もう絶望の光景しか映らない。反撃しても地獄、大人しく従っても地獄が待ってるだけ。本当にどうしたらいいのか、わからなくなっていた。

「さあ、どうなんだ⁉︎」

 大男の怒鳴り声に完全に屈服してしまったのか、圧倒的なまでの威圧感に押される形で、坊主頭の囚人は上げていた足を床へと下ろした。普通に立った状態に戻ったその瞬間、声を上げて泣き始めた。

「そうだ。わかればいいんだ。あとでたっぷりと可愛がってやるからな、覚悟しろよ」

 大男は泣いている囚人の肩をぽんと叩くと、朝陽が突き飛ばし、そして自分にぶつかってきた、あの囚人のところまで足を運ぶ。そして、気絶してる男の目の前まで来ると、足を高く上げ思いっきり股間を踏みつけた。ぐちゃ、っと音が聞こえ、近くにいた囚人たちは痛そうに顔を歪ませた。

 大男は自分にぶつかってきた男の睾丸を踏み潰し、満足そうな笑みを浮かべると、今度は朝陽の下まで近づいてくる。朝陽は自分に近づいてくる大男の姿を見て、恐怖で身体が動けなくなっていた。そしてついに、大男が朝陽の目の前まで来てしまった。

「おまえ、新入りだろ? 名前、なんて言うんだ?」

 大男の太くて威圧的な声に、朝陽は恐怖で震えが止まらなくなっていた。しかし、なんとかその恐怖と戦いながら、なんとか声を出す。

「……あ、あさ、あさ、ひ、あ、さひ……朝陽」

「そうか、あさひ、っていうんだな、おまえ。オレはビッグ・ディック(巨根野郎)ってんだ。よろしくな、あさひ」

 ビッグ・ディックが自身の名を口にしたその瞬間、ビッグ・ディックの目が大きく開き、一気に瞳孔が拡張した。これを見た朝陽は、鼓動が大きく鳴り響き、震えがさらにひどくなる。その様子を見たビッグ・ディックはさらに近づき、朝陽の身体に触れようと手を伸ばそうとした。

「すみませんが、彼、僕の連れなんですよ。お願いですから、ちょっかいかけないでもらえますか。それに早くしないと、僕ら三人とも、今日食べるものがなくなるかもしれませんし」

 ビッグ・ディックが朝陽の身体に触れようとするその寸前に、白夜が人混みを掻き分けて、ふたりのそばまでやってきた。

「なんだ、おまえの連れか」

「ええ」

 白夜は朝陽の隣に立つと、ビッグ・ディックに向かって笑みを浮かべた。その笑みは朝陽に向けるものとまるで変わらず、どこか嘲笑的だ。

「相変わらず気味が悪い奴だな、おまえ」

「お褒めに預かり光栄です」

「別に褒めてねえよ」

「そんな、もっと素直になってくださいよ。僕だったらいつでも、遊び相手になりますから」

「いい。おまえは好みじゃないんだ」

「そんな冷たいこと言わないでください。僕ならいつでも大丈夫ですから」

「おまえ、ほんとはオレのこと馬鹿にしてるだろ? あんまし調子に乗ってると、おまえもどうなるか、わかってるよな?」

「別に馬鹿になんかしてないですよ。それは本当です」

 ビッグ・ディックは他の囚人と同様、威圧的な視線を白夜に送る。それから十秒程度お互い無言の状態が続いたが、ビッグ・ディックのほうが根負けした様子で、何やら気乗りしないような表情へと変わった。

「なんだかしらけちまったな。え〜と、おまえ、あさひ、だっけ? もう行っていいよ。おまえ、連れてけよ」

「じゃあ、一緒に行こうか」

 白夜に肩をそっと叩かれると、朝陽は今までの緊張がすっかり取れたかのように、自然と身体が動けるようになった。

 白夜は肩を寄せるように、朝陽の腕を引っ張り、ビッグ・ディックのそばから離れ始める。それから数歩歩くと、白夜はビッグ・ディックのほうに振り返った。

「今度暇なときがあれば、いつでもお相手してあげますから。僕はここにいる誰よりも寛容なので」

「オレの機嫌が悪くならないうちに、オレのそばから離れたほうがいいぜ。次、また余計なこと言ったら、わかってんな?」

「どうやらそういうことみたいだから、早く行こうか。ね、朝陽」

 白夜はそう言うと、朝陽が逸れないように腕をしっかり掴んだ状態で、ビッグ・ディックの下から離れた。

 あれから朝陽と白夜は食べ物の匂いがするところまで向かうと、薄いパン切れ一枚と少ない量のスープが入った金属製の食器を看守から受け取り、他の囚人にぶつからないように気をつけながら、空いてる席へと向かった。

 運良くふたり同時に座れる場所が見つかると、朝陽と白夜は腰掛ける。腰掛けて時間を経たないうちに、白夜は食い始めるのだが、これとは反対に、朝陽はまだ飯に手をつけずにいた。

「食べないの?」

 白夜から訊かれたため、朝陽はパンやスープに目を向ける。パンの表面はどこもかしこもカビが生えていて、正直口に入れる気にはなれなかったが、朝陽は恐る恐る口に入れた。パンを一口齧ったあと、スープを啜る。豆を煮たようなスープであったが、まったく味がしない。誰が食べても味を楽しめるような食事では決してない。食中毒の危険性がある、味という娯楽がない、ただただ最低限生かすためにだけ存在する、そんな食事であった。

 朝陽はなんとか空腹感を満たすために、ゆっくりと食べながらも、他の囚人に絡まれないように、周囲に目を配る。この大きな部屋には所々看守がいるのだが、こんなに大勢の囚人たちがいるのに、恐怖心どころかまったく平気な様子。朝陽はそのことが不思議でたまらなかった。それが気になり、白夜に小声で訊ねた。

「なあ、ここの看守たち、あまり警戒していないように思うんだが。これだけ囚人がたくさんいれば、一斉に暴れ出して、いつ脱獄されてもおかしくないだろうに……」

「確かに、荒っぽい囚人がこれだけたくさん集められていれば、普通ならそう考えるだろうね。でもね、今までそういうことは起きたことがないんだよ。不思議なことにね。まあ、ここの監獄の出入り口は君も知っての通り、あの穴から続く暗い階段のあるところだけみたいだから、あそこ塞がれてしまったら、もう誰も出られないよ。まあ、他に隠し通路でもあれば別だけど。でも、あの穴しか出口がないと聞かされてる以上、もし暴動なんて起こそうものなら、すぐに穴を塞がれてしまい、食い物にもありつけない。いや、それどころか息もできなくなってしまって、数刻経てばみんなお陀仏になる可能性だってある。だからこそ、彼らは脱獄しようという気にはなれないんじゃないかな。つまり、それぐらいのこと考えられる想像力ぐらいはあるわけだよ、多分。まあでも、囚人同士の喧嘩はよく起こるから、そこは気をつけなよ」

 白夜は少し間をおくと、その間食事を済ませてしまい、話を再開する。

「脱獄の話だけど、それはあの大男、ビッグ・ディックも同じさ。彼、今まで男女子供関係なく、百人以上強姦して捕まったらしいけど、あの男でさえ、看守に襲いかかったり、暴動を起こそうなんてことは一度もなかった。恐らくだけど、彼にとって、案外この場所は居心地がいいのかもね。不味いけれどただで飯にはありつけるし、性欲はたくさん囚人がいるからいつでも満たせるからね。君も見ただろ? あの坊主頭の彼が泣いているところを。あの大男と同じ部屋になった者のほとんどは、彼の慰み者になってしまう。ビッグ・ディックって名乗ってるぐらいだから、とんでもなく大きいんだろうけど、彼と同室になった者は大抵みんなすぐ壊れてしまうんだ。精神が崩壊した者もたくさんいるみたいだし、いや、もういつの間にか姿も見せなくなった、そういうことも結構あったっけ。ははははっ」

 白夜の言葉に、朝陽はこめかみから汗が一筋流れる。

「この蟻地獄には、他の囚人たちにとっての絶対的な恐怖がふたりほどいてね、そもそもこのふたりがいるから、暴動や脱獄騒ぎが起きないのかも。もし彼らが暴れ出したら、命がいくつあっても足りないだろうからね。このふたりのうちひとりは、さっき会ったビッグ・ディックで、あと、もうひとりが……」

 白夜の言葉が一旦途切れる。彼は何かに気づいたようで、ニヤリと笑った。

「あともうひとり、ちょうど今、彼がここに来たようだ」

 白夜が見ている方角に、朝陽も目を向ける。

「悪魔の子、ミハイル」

 朝陽と白夜の視線の先には、この大きな部屋の中へと入ってくるひとりの男の姿があった。肌はとても白く、剃髪(ていはつ)された頭に、青みがかった灰色の瞳。身体は白夜と変わらないぐらい、とても痩せ細っていた。

 ミハイルがこの部屋に入ってきた途端、近くにいた囚人たちが、彼とぶつからないように距離を取り始める。だが、ミハイルはそんなこと気にもしないかのように、先を歩いていく。

 しかし、これだけ大勢の囚人がいるため、距離を取ろうにもどうしても距離が取れない囚人が現れてしまう。

 そして、他の囚人に押される形で、一人の囚人がミハイルにぶつかってしまう。ミハイルはぶつかったことに反応し、この囚人の肩に噛みついた。

 肩に噛みつかれた囚人は悲鳴を上げた。ミハイルはそんなことお構いなしに、肩の肉を噛みちぎった。肉を食い終わると、今度は近くにいた他の囚人の顔面を思いっきり殴って、殴られた囚人は後方へと突き飛ばされる。さらにはまた別の囚人の腕にも喰らいついてしまう。

 腕に噛みつかれた囚人は、最初に被害に遭った囚人同様、大声で泣き叫んだ。このままでは流石にまずいと思ったのか、看守が三人駆けつけ、ミハイルに銃を向ける。

「ミハイル、今すぐやめろ。五秒数える。やめなければ、すぐ撃つからな」

 看守に銃を向けられても、ミハイルは腕に噛みついたまま、無言のままだ。

「一、二、三、四……」

 四秒数えても、まだ噛みついたまま」

「ご〜」

 看守が五と言い終わる直前、ミハイルは腕を口から離した。腕はひどく出血していて、腕を噛まれた囚人は涙目の状態で顔を歪めながら、数秒後大の字で床に倒れた。

「ミハイル、懲罰房から出たばかりだろ。今度また問題起こしたら、また懲罰房行きだからな。って、これ何回目だよ、ったく」

 しばらく膠着状態が続いたが、ミハイルの様子が落ち着いたのを確認すると、看守たちはミハイルから離れていく。看守たちが離れてからしばらくすると、ミハイルは何事もなかったかのように歩き始める。もちろん、他の囚人たちは、ミハイルにぶつからないように気をつけながら、顔を引きつらせていた。

「悪魔の子ミハイル。今まで千人以上殺してきた、正真正銘の悪魔だよ」

 悪魔の子ミハイル。白夜が言う通り、ここに来るまでの間、千人以上の人間を殺してきた。ここの監獄は二人一部屋が決まりだが、彼だけは特別独居房で、二週間前も他の囚人に襲いかかり、五人に重症を負わせて、先程まで懲罰房に入れられていたと言われている。ミハイルを含めて、全囚人、懲罰房に入れられると、この期間、水だけが与えられ、食い物が一切もらえないという決まりだ。

 朝陽はミハイルのあまりの凶猛性を目の当たりにしてしまい、途中で食事を取ることすら忘れてしまった。

「食べないんだったら、残りもらってもいいかな?」

 白夜の言葉に朝陽は無言のままだ。ミハイルのあまりの凶暴さが脳裏に焼きつき、頭から離れない。

「では、もらうよ」

 白夜はそう言うと、残りのパンを口に入れて、一気にスープを飲み干してしまった。

「では、そろそろ出ようか。君も揉め事には巻き込まれたくないでしょ?」

 白夜から優しく肩を叩かれ、朝陽は我に帰る。白夜の言葉にすぐさま立ち上がると、白夜とともにこの部屋の出口へと向かう。なんとか出入り口付近にまで向かおうと掻き分けてる最中、朝陽たちのすぐ隣をミハイルが通り過ぎる。この瞬間、朝陽は心臓が急に締めつけられたかのような感覚となった。そして、ようやく出入り口までたどり着き、この食堂から無事外に出ることができると、その後も揉め事には遭わずに、無事監房へと戻ることができた。しかし、無事監房に戻ることができたあとも、朝陽の身体はしばらく凍えていた。

 

 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ