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第二章 曖昧

 朝、目覚まし時計よりも早く起きた。もう少し寝かせてくれと脳がささやくが、元気な体の方は何も聞こえないふりをして一気に起きる。

 いつもの時間、朝七時、一階に降りて朝食を食べて、着替えて家を出る。いつも通りの手順で、当たり前に行う。


「行ってきます。」

「いってらっさい。」

「姉さん今日休みか。」

「うん。帰ってきたらすぐ病院連れてってあげるよ。」

「ありがと。」

「気を付けなよ、登校路。」

「わかってる。」


 いつもは気を付けろ、なんて姉さんは言わない。昨日の事もあり、心配してくれているのだろうか。そういうところがツンデレなんだよ、全く。

 歩いてそこまでかからないところに僕の高校はある。楓が行くという理由で決めた高校。楓は少し離れていて登校には少し時間がかかるが、どうしてもこの学校のテニス部に入りたかったらしい。良くは知らないが、強豪校だと。

 俺は楓がいれば何でもよかったので学校の事なんて何も調べずに入学したものだ。


 教室は…2-3。全部で三クラスあって三組なので一番奥にある。この程度に不便さは感じないが、この教室自体階段をいくつか昇って三階にあるのであの量の階段を昇った後にはすぐに座りたい。なので毎朝一組、二組の教室に入っていく生徒を少し羨ましく思ったり。

 教室付けばまぁまぁ騒がしかった。いつもの事ではあるのだけど。俺が教室に来るのは遅めだから、すでにクラスメイトのほとんどが来ているのだ。

 扉を開き、中に入ると…


「おはよー…

「あ、きい君。おはよ。」

「………は?」


 楓がいた。いやいやいや…なんだ?そんなに俺は楓に会いたくて幻覚でも見ているのか?気づけば階段の疲れなんて吹っ飛んでいて、荷物を置くより先に目を擦る。だけど、楓は消えなかった。いるわ、これ。


「よぉ喜一良義!おはよ!…どうしたそんな顔して。昨日も楓には会ったんじゃないのか?」

「木崎…おはよ。」


 とりあえず友達の顔を見て安心することにした。こいつは木崎真一。男女で分けた時、一番の男友達はコイツだ。基本楽観的なので困ったときや焦った時は一番頼りになる。が、今はそれより楓だ。


「楓、どうして学校に来てるんだ?」

「…後で話すよ。」

「なになに?お二人は朝から痴話喧嘩?」

「…桃実。」


 指定の制服のはずなのになぜか派手に見えるのが楓の親友、古沢桃実。中学が同じだったから俺も知っている。よくからかってくるやつで、やっぱり俺の事を少し敵対視しているがそれでも俺が楓について困ったことがあれば姉の次に聞いてくれる相談相手でもある。


「…?何かあったの?」

「いや、なんでもない。」


 俺はようやくまだ自分は荷物を置いていないことに気付いて、自分の席におろした。隣の席は楓。木崎が気を利かせて変わってくれたのだ。


「おはよ、きい君。」

「何故二度目。」

「だってさっきはなんだか聞こえてなさそうだったから。…あ、見てみて。」


 そう言って楓は机の中から筆箱を取り出し、そこについているおにぎりのキーホルダーを見せてきた。


「鞄に二つついてると邪魔かなって、おにぎりこっちにつけたんだ。」

「あ、それ。喜一良義が取ってあげたんでしょ。」

「そうだよ桃実!良いでしょ!」

「どんだけ食い意地張ってんのよ…。」

「俺もそれは思う。」

「えへへ。」

「おーう喜一良義!今日提出のプリント移させてくれ!」

「良いが、昼飯の…

「昼飯のパンだろ!わかってるわかってるって!」


 …異質なほど、普通な朝だ。昨日の出来事が夢だったのではないかと言うほど。しかし、楓はあとで説明すると言っていたのだから…夢でないことは確かだ。にしても、あまりにも日常だな。

 すぐに先生が教室に入ってきて、またも、必然ながらいつも通り授業が始まった。その間も何度か隣に楓がいることが信じられなくて、見るたびに笑顔を返してくる。…よく見れば、怪我をしていた箇所にいくつか包帯が巻かれていたりしていた。元気ではあったが、完治に一週間くらいかかるんじゃなかったか?何が何だかわからないまま、テスト前の大切な授業なはずなのに、俺は集中することはできなかった。昼休みに聞かなきゃな…。


 しかし、昼休みになると楓はいつも桃実とお昼を食べるから話す機会はなかった。


「はぁ…。」

「どうした喜一良義。悩み事か?それともテストが不安か?それは俺もだ。次落としたら留年だからな。」

「いやお前の話は聞いてな…は?次落としたら留年?」

「おう?」

「何してんだお前。」

「いやぁ!ちょっとな!」

「あのなぁ…。飯食ったら勉強教える。」

「神様!喜一良義神様!」

「口に食べ物入れたまま叫ぶな。汚い。」


 仕方なく昼飯を腹の中に入れた後、俺は木崎に勉強を教えた。コイツ頭は良いがやらないからな…本当に。最近ようやく本腰を入れた俺が何か言うのもあれだが、木原は勉強に関心がなさすぎる…。しかしあんなことを言っていても、ちゃんと点を取るときは取る奴だ。口ではああいったが心配はしていない。


「お、大体わかったぞ!」

「なら良かったよ、っても俺も教えてられる立場じゃないんだよな…。」

「どっかわかんないとこあるのか?」

「あるが、木崎に見せてもわからんだろ。」

「それこそわからないだろ!もしかしたらわかるかもしれん!」


 こうなるとうるさいので俺は教科書で唯一わからない部分を木崎に見せた。


「んー…わからん。」

「だろうな。」

「どしたどしたー?どこがわからないって、きい君。」

「楓。」


 お昼を食べ終わって帰ってきた楓が俺の肩に手を乗せて机の上の教科書に顔をのぞかせた。


「これがわかんなくて。」

「ふむふむ、これはねぇ。」


 いつもなら、軽快にわかりやすく説明してくれる楓。しかし何故か言葉に詰まったのか、いつまで待っても次の言葉が出てくることはなかった。


「…楓?」

「えっとね、待って待って…。」

「なになに?みんなで勉強会?」

「お、桃実!見てくれよ喜一良義がわかんないとこ。」

「楓ちゃんでもわからないのを私が見ても……ってあぁ、これか。これ前に楓ちゃんが教えてくれたとこじゃん。」

「え!?…あ、あぁ。そうだったそうだった!私としたことが。」

「おいおい楓ー。ついに俺にクラス一位の座を渡しちゃうかー!?」

「あんたは最下位争いしてんでしょうが。」

「ぐはは。…えなんでわかんの?」

「一人でぶつぶつ言ってたじゃない。終わった終わったーって。」

「くっ…過去の俺許すまじ。」

「あはは。」


 木崎に勉強を教えていたせいで、時間がすぐに過ぎていた。お昼休みが終わる五分前のチャイムが鳴り、木崎も桃実も自分の席に戻っていった。楓は、なんだかぼーっとした様子で席に戻っていった。


「…楓。」

「………。」

「楓。」

「ふわ!?な、なに?」

「あとでちゃんと説明してくれよ。」


 さっきの会話でなんとなく察していたが、決めつけたくはなかった。しかし、何かが楓に起こっていることだけはわかった。


「…うん、放課後教室残れる?」

「もちろん。」

「二人きりになったら、話すよ。ちゃんと。」


 正直逃げ帰りたいが、何の解決にもならないことくらい、誰でもわかる。

午後からの授業は、逆に集中することができた。自分でも不思議なくらいに。きっと俺はそうやって日常を装っておかないといけないことを、なんとなくだが本能的にわかったのだろう。俺が慌ててちゃ、楓も困る。昨日の姉さんとの会話を思い出す。何が合っても、俺は楓のそばにいよう。だって、俺がそばにいたいんだから。


 午後の授業も終わり、放課後が始まって三十分ほどだった。このくらいになるとほとんどの生徒は部活か帰宅か。わざわざ教室に残って勉強するくらいなら各々塾に行ったり家でやるから、居残るやつらは少なかった。

 木崎も桃実も部活。楓も今日は部活のはずなのだが、今も俺の隣に座って勉強している。その様子が…何故か必死で。なんとなく話が切り出せなかったが、このままでは埒も開かないので聞いてみた。


「楓…もう、聞いてもいいか?」

「…うん。もうみんないなくなったしね。」


 楓は持っていたペンを置いて、席をこちらに向き直した。


「…あのね、落ち着いて聞いてほしいんだけど。」

「あぁ。」

「昨日あの後、すぐに精密検査したの。聞いたよ。なんか記憶に障害があるかもしれないって。私も知りたかったから、明日の朝でもいいって言われたんだけど…すぐにやってもらったんだ。…聞いてたんでしょ、きい君も。」

「まぁ…そうだな。奈津さんから聞いた。」

「それであの夜あんなこと聞いてきてたんだね…。えっとね、結論から言うと…私の記憶は、すでに、徐々に失われていってるんだって。」


 あんまりにもさらっと言うから、最初何を言われているかわからなかった。でも彼女が俺から目を離さずにじっと見てきたものだから否が応でも理解せざるを得なかった。


「…そうか。それはもうどうしようもないのか?」

「うん。…無理だって。理由も説明してくれたんだけどね、お医者さん。まぁ難しい言葉ばかりで…。とりあえず、新しい記憶やあまり重要ではない記憶からなくなっていくんだってさ。」

「…どれくらいで、全部無くなるんだ。」

「二週間、だってさ。」


 二週間…。テストの日か。……二週間後に、俺は…楓に忘れられている。それは死よりも残酷な気がした。


「でもね…治すのは無理だけど、遅らせることはできるんだって。お医者さんがいうには。」

「え?」

「毎日薬みたいなの飲んで…二週間から、一か月くらいまでは記憶を失うのを引き延ばせるんだってさ。」

「それを…楓は飲むことにしたのか?」

「…わかってるよ。どうせ忘れるくらいなら、さっさとした方が色々楽だってことくらい。でもね、一秒でも長く私は覚えていたいの。…君の事を。きっと最後に忘れるのは両親じゃなくて…君だから。親不孝者だけどさ。」


 そう言ってくれることに、素直に喜べない自分がいた。どちらもが辛い思いをする選択だが、それ以外に残された道がない。


「それと、その薬飲むと副作用って言うか…記憶の消滅に加えて、混濁も頻繁に起きるみたい。」

「記憶の、混濁?」

「うん。いきなり忘れちゃうんじゃなくて、例えば…あんまり言いたくない例だけど、桃実の事を他の人と間違えたり…さっき、桃実に教えたことを完全に忘れていたでしょ。あれは記憶の消滅。だけど、別の何かと勘違いすることも起こる…んだってさ。それが、記憶の混濁。」

「…なるほどな。にしても楓、すんなりと話してるが…実感ないのか?」

「そりゃ…流石にね。昨日の今日だし。でもさっきのは堪えたかも。」

「前に桃実に教えていた部分を思い出せなかったことか?」

「そうそれ。…今でも不思議な感覚なの。私、一切あの問題の事、教えた記憶がないんだ…。…怖いよ。忘れちゃうんだ。…全部。桃実の事も、お母さんもお父さんも……。」


 その後、きっと俺の名前を出そうとしたのだろうが、怖くて口にだせなかったのかもしれない。


「…怪我も気にせず学校に来たのは、少しでもみんなに会いたかったからか。」

「そう。お医者さんにもお母さんたちにも無理言ったけど…許してくれた。理解はしてくれてるみたいだったから。案外大人も物わかり良い時あるんだね…。」


 そのあたりで、楓が俺から目をそむき始めていたことは気づいていた。話していくうちに現実味のなかった、記憶の消滅と言う恐怖に当てられてしまったのだろう。

 黙って俺は楓を抱きしめる。


「…!」

「楓。約束してもいいか。」

「…内容による。なに?」

「記憶を忘れた楓にも、俺はきっと恋をする。俺は楓から遠ざかることは、絶対にないから。約束だ。」

「………わかった。」


 言いたいことだけ言って、楓から離れる。少し目に涙をためていた。俺も…男じゃなかったら、楓の前であったら泣いていたかもしれない。


「…帰ろうか。」

「だな。病院に寄るのか?」

「うん。まだ何度か検査しなきゃらしくて。…きい君も来る?」

「行ってもいいのか?」

「きい君ならいいよ。」

「それなら今日俺の姉さんが休みで車出してくれるみたいだから、それに乗って行くか。」

「いいね。久しぶりに雫さんにも会いたいし。…記憶の事はもう言った?雫さんに。」

「あ、ごめん。了承も得ずに言ってしまった…。」

「んーん。いいよ。あのお姉さんになら。きい君一番信用してるもんね。」

「何を、一番は楓だ。」

「はいはい、よく本人を前にそんな恥ずかしい事いえるよねぇ…。」


 俺達は少し遅れて、帰る準備を始めた。流石にまだ完全に外が真っ暗、という訳ではない。しかし流石にもう冬だから、暗くはあった。

 玄関で靴を履き替えていると、この学校で一番なじみのある女性の先生に会った。いや、会ってしまった。


「おや?二人こんな遅くまで学校で何を?」

「げ、カミ先…。」

「虹咲、先生に向かってげ、ってなんだげって。」

「いやぁ、なんでもありませんって…ははー。」


 この先生はうちの担任の三上先生。教師のくせに生徒の一人みたいに砕けた性格をしていて、愛称でカミ先なんて呼ばれている。カミさんみたいで良いんじゃないかと言うことらしい。


「何してたか…いやナニしてたかは知らないが。」

「わざわざ言い換えないでください!何もしてないですから…。」

「そうかー?まぁ、今日は見逃すがそう何度も遅くまで残るんじゃないぞー。」

「はーい。」

「じゃあまた、先生。」

「おう。」


 ちゃんとしてなさそうな先生だが、意外にちゃんとしてる先生である。一年の頃から俺も楓も担任がカミ先だったので、二年もカミ先でよかったとは思っている。それくらい、良い先生なのだ。


「カミ先何歳なんだろうね。」

「さぁ。本人二十歳って言ってたけど。」

「流石にないでしょ。」

「若くは見えるけどな。」

「それね。」


 家が反対方向なので、中々楓と一緒に帰る事なんて少なくて、新鮮だった。

 俺の家に着くと…


「あれ、楓ちゃんいるじゃん。」

「姉さん!なんで玄関先に?」


 玄関の扉を開けたら丁度外出しようとしていた姉さんがいた。


「いや、中々帰ってこないから迎えに行こうかなと思ってたんだけど…なんで楓ちゃんいるの?病院じゃなかったの?」

「お久しぶりですお姉さん!」

「うん、お久しぶり。なんで?」


 落ち着きないな…。気持ちはわかるけど。


「話は車でするので、病院まで送ってくれませんか。きい君と一緒に。」

「そりゃもちろんだけど…。まぁ行くか。」


 話が早くて助かる。うちの家族はさっぱりとしているのが良いとこだ。同じ家族としてはとてもありがたい。

 俺だけ学校の鞄を置いて、姉さんの車に乗り込んだ。


「じゃ行こうか。」

「はい。お願いします!」

「あいよー。シートベルトお願いしまーす。」


 後部座席に俺らが乗った。走り出してすぐに流れ出したのは邦楽の曲。姉さんの趣味は、俺の趣味でもある。好きな曲だ。


「さてと、久方ぶりのお話をしたいけど…その前に教えてくれるんなら事情を聴きたいね。お姉さんに教えてくれる?」

「はい、いいですよ。あんまりおもしろい話じゃないですけど…。」

「良いから良いから、私は楓ちゃんの声が聞けるだけで幸せだよ。」

「…きい君と同じこと言うんですね。流石姉弟。」

「恥ずかしいからやめてくれ…。」

「ははは!良いじゃん、姉弟だろ!」


 そんな楽し気な感じに始まった話だが…もちろん内容はさっき俺も聞いたように、重たい話だった。楓が話して、俺が補足をして。その間、やはり姉さんは静かに話を聞いていてくれた。

 話終わるころには、もう病院についてしまっていた。


「…ま、事情はわかったよ。それで楓ちゃんは今日検査な訳ね。」

「はい。じゃあちょっと行ってきます。一人で大丈夫なので。」

「一応病院までついて行くよ。保護者は欲しいでしょ。」

「ありがとうございます!…正直、きい君にはついてきてほしかった。」

「姉さんに勝った。」

「ちょっと待ってよそのアドバンテージは覆しようがないじゃんかぁ。」


 ぐちぐち言いながら俺たちは病院の中へと入っていった。あんな重い話の後でも、何事もなかったように切り返せる姉さんを、やっぱり尊敬せざるを得ない。俺もこんな大人に果たしてなれるのだろうか。

 病院に着くと楓は受付の所まで行って、場所を聞いた。その後、二人の同伴は良いかと聞いてくれたが…


「すいません。ご家族の方ならまだしも…。」

「そうですよね…こっちこそすいません。」

「ちょっと待った。虹咲楓さんかな?」

「…間宮先生。」

「やぁやぁ、来てくれたね。…そうか彼が。わかったよ。すまないが、あたいの言葉でも連れて行ってあげられるのは彼…喜一良義君だけだ。お姉さんかな?そちらの方は…。」

「あぁ、いいっすよ全然。私は付き添いの付き添いなんで。待ってます。」

「すまないね。あまり広い部屋でもないんだ。」

「大丈夫ですって。弟よ、ちゃんと楓ちゃんのそばにいてあげるんだぞ。」

「定期検査だけでしょ…全く。」


 その後は姉と別れ、その間宮先生と言う女性のお医者さんの後ろを楓と一緒について行った。道中、楓が黙って俺の手を掴んでくる。俺は答えるように、少し強く握り返してあげた。

 着いた部屋はよく見た事のある診察室に近い場所だった。


「じゃあ虹咲楓さん。昨日みたいにここに寝て、これを頭につけてくれるかな。」

「はい。」

「それじゃあ…十五分ほどそのままで。」

「わかりました。」


 昨日のように、という事は一度やっているのだろう、この検査を。楓が妙に慣れていた。


「一応外で話そうか。彼女には冷静でいてほしいから。」

「わかりました。」


 部屋を出て、電気がついているのに少し暗い廊下で俺と間宮先生は話し始めた。


「あたしは間宮。彼女についた医師で…一応この病院で一番優秀って言われてるさ。さて、秦理喜一良義君、だったかな。いや、随分と長い名前だ。」

「よく言われます。…楓から聞いたんですか?」

「そうだよ。…経緯は、なんとなくわかるかな。多分彼女からも聞いただろうけど…君がきっと彼女に残る最後の記憶なんだよ。両親よりもなんて、随分と愛されているんだね。」

「…なんか今日あった人にそれ言われるとはずかしいですね。」

「ふっ…はっはっは。案外肝は据わってるようだ。…もう記憶の消滅の話も、それを延長する話まで聞かされた?」

「はい。…どうしようもないことだってことも。」

「そうなんだ…。すまないね。医者として一応言うけど、短時間の間に試せることは全て試したのさ。あたしができる限りをね。全すべての対策をしたとは言えないけど…こんなこと言いたくないが、無理なんだよ…。記憶の消滅。忘却じゃないんだ。こんな例…初めてでね。」

「…俺、彼女から消滅の延長の話を聞いた時、なんだか悔しくなって。」

「悔しく?」

「はい。…俺ならきっと、悲しくならないようさっさと忘れちゃうだろうなって。」

「ま、普通はそうだろう。あたしもそもそもそんな薬があることを教える気はなかった。記憶の消滅の方が、まだマシだからね。混濁まで増えると…生きたくなくなるだろうって。でも、君の事を優先したわけだ。」

「なんだか、思いの強さで負けた気がして…自分に自分で悔しくなりましたよ。」

「…いや、あたしからでも君は十分強い気がするけどね。だが確かに、まさか薬の話を出したらすぐに快諾してさらに学校に行きたいとまで言うんだからね。若さを見た気がしたよ。」

「そういえば怪我は良いんですか?元気そうではあったんですけど…。」

「あぁ。大丈夫さ。そりゃ激しい運動とかは控えさせてるけど…。何より、この問題は本人の意思をどれだけ優先するか…医者としての自分と、一人の人間のあたしとの匙加減だからね。難しい話さ。正解の有無なんて…。」

「…楓の医者が、とりあえず間宮先生でよかったと思いましたよ、今。」

「そりゃ、良い事言ってくれる男の子だな、喜一良義君は。…そろそろ終わったか。中に入ろう。」

「はい。」


 部屋に戻ると、楓がさっきの頭の器具を取ってベットの上に座っていた。


「おかえり、何話してたの?」

「秘密だ。」

「むう。」

「そう捻くれないでくれ、虹咲さん。さてどうかな…。」


 間宮先生がキーボードを操作し、映し出された情報は、素人でしかもまだ子供の俺には全く何が書いてあるかわからなかった。


「…薬は効いてるみたいだ。記憶の消滅の速度は遅くなっている。だけど…やっぱ無茶な選択だったかもしれないね。海馬ってわかるかな。」

「記憶に関する脳の場所…みたいな。」

「そう。随分ざっくりだけどそうだね。認知症だとその海馬が縮むんだ。だけど…虹咲さんの場合、なんていうかな…こんなのあり得ないんだけどさ。新品になっていっているというかなんというか…わかる?」

「わかります。」

「俺も。」


 かなり簡単に教えてくれたおかげで、俺も理解できた。記憶が消滅している、そして新しくなって行っているとも言えるのか。


「今はまだ微々たるものだね。昔の事とか、些細な事とかを少し忘れてるくらいかな。今日一日学校に行って、その覚えはある?」

「あ、一個だけ。」


 お昼時、俺が木崎と勉強している時に起きた出来事を、楓は間宮先生に話した。


「ふむ、確かな…悪い傾向だね。今後はその範囲や大きさがどんどん広がっていくことになるよ。その問題だけじゃなく、勉強した事そのものを忘れたり…その友達自体、忘れてしまうかもしれない。」

「…!」


 ほぼ反射で、楓は俺の服をひっぱっていた。…その手に俺は自らの手を重ねてやった。


「…ごめん言い方が悪かったね。かも、じゃない。確かに、忘れてしまう。あたしも医者だから、ちゃんと言わなきゃなんだ。それに何より、包み隠さず全部教えてほしいと…虹咲さん、言ってくれたからね。」

「そうなのか?」

「うん…。だって何も知らず、どんどん…聞いたことのない話とか、知らない人が増えていくなんて…怖いじゃん。」


 震えている手に、その手を重ねることしか俺にはできない。本人ではない俺でも、恐怖を抱くのだ。楓には…辛い事だろう。


「…うん。今日の検査はおしまい。次は…五日後に来てくれると良いかな。ちょっと間は空くけど、顕著に変化が出るだろうからね。忘れないように。」

「流石にそんな早くは忘れませんよ、大丈夫です。」

「…そうかい。学校、無理になったらいつでも彼氏さんに言うんだよ。そした一番楽な場所にいると良いよ。家でも…ここでもいい。嬉しいことに、今病人少ないから。ね。」

「ありがとうございます。」

「またね。喜一良義君も、また。」

「はい。」


 …なんだか昨日から、随分と情報量の多い時間を過ごしている気がする。けれどこんな膨大な出来事も、楓は忘れてしまうのか。


「楓。」

「ん?」

「学校、行け無くなったら俺も休んで…色々遊びに行こうよ。体は元気なんだし。」

「それじゃきい君に迷惑……いや、君はそういうタイプじゃなかったね。」

「あぁ。姉さんに家に送って行かせるが、それでいいか?」

「ありがとね。」


 その後は待合室にいた姉さんと、楓を家に送り返した。車の中で姉さんは、楓にはあまり関係のない職場での話や昔の姉さんの話を聞かせていた。話の上手な姉さんは、あんなに深刻そうな顔を楓の家に着く頃には笑顔にしていた。…勝ててないな。やっぱり。


「きい君。また明日。」

「うん、また明日。」

「お姉さんもありがとうございました!」

「いいっていいって。五日後もまた行くんだろ?どうする?また弟連れて一緒に行くかい?」

「…甘えても良いですか。」

「もちろん。楓ちゃんに甘えられるならいくらでも!」

「姉さん…。」

「ふふっ…じゃあお願いします。」


 楓は最後まで、こちらに手を振ってくれた。俺はどれくらい、彼女の支えになってやってられるのだろうか。最後まで覚えているのは、俺…。その日まで、楓の中の俺でいなきゃな。崩れてしまえば、意味がない。

 帰りの車の中で、俺と姉さんは会話をした。そんな長くはない。けど大切な話。


「喜一良義、私は楓ちゃんを笑顔にすることしかできない。震える体を緩和させてあげることしかできないんだ。…支えてやれるのは、お前だけなんだからな。」

「…わかってる。初恋の人なんだ。決意はしてるよ。」

「それでこそ我が弟だ。」


 運転している姉の顔を見ることはできなかったけど、多分笑っていた。



 それから五日後まで、学生としてちゃんと学校に通った。けれども楓の為なら休む気だった。両親に反対されても…いやなんか言わなくても休みにさせてきそうだなあの二人なら。何しろ姉さんが全力で背中を押してくれるだろう。


 五日間、何度かひやひやさせられる場面もあった。


 病院の定期検査から、二日経った頃。

 その日の、移動教室の時。二時間目は化学の授業で実験室へと移動することがあったのだ。別によくあることで、なんでもない日常。のはずだった。


「それでよ、喜一良義が見せてくれたプリント。間違ってるとこがあったんだが喜一良義に伝える前に出しちゃって。そんで移した俺の方が点数高くて。すまねぇな喜一良義!」

「おま、そういうことだったのかよ!」

「ふふっ、酷いね木崎君。」

「男子ってそんなもんよ。…あ、私今日部活に出す紙忘れた。」

「桃実も抜けてんじゃーん。」

「うっさいわね!あんたは喜一良義に迷惑かけてる分私以下よ!」

「え?でも桃実。私もその紙もらったけど…なんか部長が部員全員のやつが集まらないと進まない作業だから早めに出してほしいってって言われたよ?私最近部活行ってないから部長に昨日わざわざ来てもらったんだけどさ。」

「うそでしょ。」

「はっはっはっは!」

「黙んなさいあんたもう!!!」


 笑って走っていく木崎を桃実が追いかけていった。いい気味だ。この際だから桃実に散々絞られてしまえ。


「ほんと愉快な二人だよ。お似合い。付き合えばいいのに。」

「お似合いかはわからんが…まぁ良いコンビだよな。男女なら楓以上に。」

「それはちょっと妬いちゃうかも。…でもさ、あの二人が付き合ったらさ、ダブルデートできるじゃん。」

「あんまいつもの学校と変わらなくなるなそうなると。」

「それも…そうかも。でも、普通に四人で遊びたくない?」

「激しく同意。」

「わ、真似。」

「楓がよく言うからこっちも良い慣れちゃったよ。」

「えへへ。」


 隣の楓とそんな話をしながら、一階にある実験室へと向かった。また三階まで上がってこなければいけないと思うと…億劫だな。エレベーターを導入してほしい。いや本気で。


「そろそろ勉強会考えなきゃね、日時。」

「だな。」


 二階に降りて、そのまま俺は一階に行こうした…その時。


「あれ?きい君、実験室二階でしょ?」

「いや、一階だが…。」

「えー嘘だ。二階だって。」

「…!……じゃんけんで決めようぜ、どっちが馬鹿か。」

「む。何を!いいよやってあげるよ。じゃーんけーん!」


 俺は、グーを出した。


「あー負けた!…なんか久しぶりに負けた気がする。」

「ついに運が切れたんじゃないか。というか俺が弱すぎたのかもしれん。」

「かもね。じゃあ一階なのか…。」

「まぁまぁ、確認しようぜ。」


 当たり前だが、実験室は一階にある。…こんなにあからさまに現れるものなのか?記憶の混濁って…。にしても楓は気づく素振りも冗談を言っている様子でもなく、本気で二階に実験室があるように思っていたようだ。


「あれ、ほんとに一階じゃん。」

「さっきの授業で寝てて、寝ぼけたんじゃないか?」


 その瞬間、楓はようやく、気づいたようだ。この不思議な、あくまで俺が自然なように持っていた現象に。


「……そうかも。ありがときい君。」

「いいさ。」

「おーどうした喜一良義達。ちょっと遅かったな?」

「なんでもねぇよ。てか遅いって、授業まだまだだろ。」

「どうせ教室いたってやることないんだから、早く来た方が気持ち的にラクじゃない。ね、楓ちゃん。」

「…もしかしてさっきの部活の紙、部長から逃げるために…。」

「な、なわけないでしょ!!」


 そうなんだな。

 その後の日程では特に何もなく、放課後。楓に家まで送って行こうかと提案すると、眉を下げ、悲しそうな顔をしつつも…冗談のように「帰り道、まだ忘れるほどじゃないよ」と断られた。「そりゃそうだな」といつものように俺は返事した。

 いつも通りの日常。だが確かに、見え方もその色も、違った。


 それから三日後、四日後とトラブルは起きたがどれも小さいことだった。例えば、いつもなら絶対に間違えないはずなのに国語の時間を数学と勘違いして、俺から教科書を見せてもらったり、昼休みが終わる頃に帰ってこないと思ったら、休みの時間を間違え花壇に水をやろうとしていたり。小さな、というか何も知らない人が見ればなんてことのない間違え。忘れ方。…だが楓をよく知っている者には疑問が出る。普段の楓なら、絶対にやらないミスだからだ。


 疑問が出始めたのは、定期検診に行く日。あの日から五日目の昼休みの昼食を食べ終わった余暇、いつものメンバーで駄弁っている時の事だった。


「なんか楓ちゃん最近疲れてる?」

「んー?なんで?え、目の下にくまある!?」

「んやいつも通り可愛いけど。」

「わーありがとー!」

「あーでも俺もなんか思うな。楓さん最近抜けてるって言うか…もしかして、新しい恋に忙しかったり?」

「おいテメェつぎそれ言ったら二度とプリント見せねぇ。」

「ちょ、冗談じゃないっすか~!」

「許した。」

「ふっ、はや。でもまぁ、楓ちゃんはこんな誰にでも甘々な彼氏より溺愛してるんだし、浮気は絶対ないでしょ。ねー?」

「当たり前じゃん!私からきい君抜いたら…ご飯くらいしか残らないから!」

「消化不完全かよ。ちゃんと噛め。」

「喜一良義聞いてよ、最近楓ちゃん何度もあんたの話するんだから。もう付き合い始めてそろそろ二年でしょ?よくまだ続くなぁとは思うわ。」

「ちょ、それは内緒!何度もしてないから!一回だから!」

「はいはい、誤魔化さなくて…いやしたことは誤魔化してないわね。」

「俺の目の前でやめてくれ…恥ずかしい。」

「喜一良義照れてるぅ~。」

「うっさい。」


 …まだ、大丈夫だな。俺が前に出ずとも誤魔化せるレベルだ。それに楓も自覚はしているし、そもそもが冷静なやつだ。のらりくらりとあの程度の心配を避けることはできている。たまにこっちがぼろを出しそうになる瞬間も、すかさず楓はカバーしてくれる。これじゃ俺は邪魔してるだけな気がするな…。


 いつもは別々に帰るけど、今日はうちの姉と一緒に病院に行くと約束していたので、楓と同じ帰路を辿った。間宮先生には話すことが多いな…。きっと事細かに、記憶の消滅や混濁について起きた出来事を聞いてくるのだろう。ただ単純に全部説明するのがめんどうくさいという事もあるが…何より、辛い。知っている身からすると

 楓のちょっとしたミスに、少し誇張表現だが泣きそうになる時がある。とにかく、辛くて。この感情を説明できるほどの語彙は俺にはない。頼りにしていた人が魅せたがらない弱みを一方的に見せられて誰にも相談できないこの感情。…間宮先生と話すときは気をつけなきゃな。ちょっとした拍子に泣き言が全部漏れそうだ。泣きたいのは、楓だというのに。


「きい君、桃実ダメだって。」

「何が?」

「週末の勉強会。忙しいんだってさ。私も勉強したいー、楓ちゃんと勉強したいーって泣きついてきたからヤバいんだとは思う。」

「その光景めちゃくちゃ容易に想像できるな。…でもあと土日もう一回あるだろ?その時にまた誘えば…


 言葉が詰まった。楓は次の土日に…桃実たちの事を覚えているのかと。


「…きい君?」

「あ、あぁ。ごめん。くしゃみが出そうで出なかった。」

「うわぁそれ最悪だよね。なんか、気持ち的に。テンション下がる。」

「だよな…。なんなんだろなアレ。」

「お、カップルお二人さーん。」


 いつの間にか家に着いていたようだ。姉さんは五日前のように玄関先にいるわけではなく、家の前にいた。


「なんで外で待ってんの?」

「だって寒いじゃん。」


 何言ってんだこの人。


「車の中がですか?」

「そうそう。あったかくした方が良いでしょ。流石だね楓ちゃん。理解力が弟の三百倍。」

「姉さんが言葉足らずなんだよ…。てことはもう出発できるの?」

「もちもち。ライスケーキさ。ほら、楓ちゃん荷物貸しな。車乗せておくから。てかなんか荷物多くない…?」

「五日前甘えるって言ったじゃないですか。そろそろ冬休みなので色々持ち帰らなきゃで、家まで持って行くならきい君の家の方が近いんで。」

「はは…ちゃっかりしてらっしゃる。…喜一良義、あんたは荷物少ないんだね?」

「俺は火事場のバカ力を信じてるから。」


 俺はそう言って鞄を部屋に置いてくるために家に入った。どうしても持ち帰るの忘れて最後に一気に持ち帰っちゃうんだよな…。夏も冬も。後ろから「ただの馬鹿だな。」「否定はしません。」と悲しい会話が聞こえてきた気がする。きっと気のせい。

 鞄を置いて戻ってくると、もう二人は車に乗っていた。いつも通り俺も後部座席に乗り込む。


「それではお二人さんシートベルトお願いしまーす。」

「はーい。」

「はいはい。」

「あれー?ハイが一個多いぞー?三人だったかなー?」

「…はい。」

「よしそれじゃあ出発!」


 姉の事は尊敬してるけど…こうはなりたくないと思う部分もある。

 五日前と同じく、姉さんは楓を楽しませようとまた、自虐少々の話などで楓を笑わせていた。…その話の中に、明らかに聞き覚えのある笑い話が一つあった。楓は一応笑ってあげたのかどうかわからないが、楽しそうにその話を聞いていた。


「到着!今日は私車で待ってるよ。喜一良義行ってきな。」

「うん、ありがとう姉さん。」

「あいよ。楓ちゃんも無事を祈る。」

「承知しましたー!」


 楓は車から降りて、左手で車に乗っている姉さんに手を振り、右手で俺の左手を握った。その手は…震えていた。今どれだけ忘れているか、聞きに行くのは確かに怖い。

 震えを消すように俺は握り返してやった。

 今回は受付の人も、もうわかっていたようで、病院に入るとすぐに間宮先生を呼んでくれた。十分ほど待つと、少し急ぎ気味で間宮先生がやってきた。


「ふぅ、やぁやぁお二人さんお久しぶり。すまないね、すぐに出てこれなくて。」

「いえ大丈夫ですよ。間宮先生忙しいんですか?」

「いやその、昨日の…いや今日だねほとんど。夜勤で。深夜帯ずっと起きていたから仮眠室で寝ていたんだよ。たたき起こされたけど。」

「…なんかすいません。」

「良いんだ、もっと早く起きる予定だったしね。それじゃあまたあの部屋に。もちろん喜一良義君も。」

「はい。」


 よく見ると、間宮先生の履いているスリッパは両方とも色が違った。本当に急いできてくれたんだな。…間宮先生にとっても、楓は特別な患者という事だろうか。いや違うな。この人はどんな患者にも真摯に対応する人だと、別に根拠があるわけではないがそう思った。

 前に連れてこられた部屋の、以前横になったベットに楓はまた体を預け、頭にあの装置を取り付けた。俺と間宮先生はまた、部屋の外に。


「さて…早速だけど色々聞いても良いかな。」

「わかってます。楓の事ですよね。」

「あぁ。…酷なことを言わせるかもしれないけど、お願いするよ。どれくらい症状が進んでいるか、時には機械に出る数値やグラフより親しい者からの情報の方が優れることがあるからね。」


 俺は覚えている限り、楓がこの五日間にやった小さなミスを全て話した。もしかしたらこれは関係ないかも、という事も全て。桃実に何度も同じ話をしたことも…記憶の混濁が関わってる可能性もあるから。間宮先生は小さな手のひらノートを取り出して俺がいう事をメモしだした。ただ話を聞くのではなく、ちゃんとメモを取るからこの人は信用できる。医者はみんなそうなのだろうか?あいにく医者に知り合いが多い訳ではないからそこの真偽はわからなかったが。

 話終わっても間宮先生の表情は変わらずだった。真面目な表情で、何かを考える顔。


「………うん、着実に、って感じだね。きっと今測っている数値でも確実に何か前回より差が起きているだろう。もしかしたら一時的なことかななんて淡い希望を抱いたりしてはいたんだけどね。…あたしの考えは中々外れないねぇ。」

「外すような医者じゃ、困りますよ。」

「なはは、それもそうだ。…そろそろ終わった頃だろう。」


 部屋の中に入ると、楓は前のように起き上がっていなくまだ横になっていた。


「…寝てるのか?」

「そうみたいだね。今日は何か体育の授業でもあったのかい?」

「なかったとは思いますが…。他に眠くなるようなことも。」

「なら、体より心の疲れかな。…虹咲さんは辛いことは全部心にしまってるのかもしれない。相談されたかい?」

「…なかったです。彼氏として、なんか今悲しくなりました。」

「最愛の人に弱みは中々見せられないのかもねぇ。きっと悲しむだろうって。…明日から休日だろう?…私は勤務だけどちゃんと話を聞いてあげてほしい。悩んでいないなんてこと、ないだろうから。」

「わかりました。それで、検査の結果は?」

「あそうだった。えーと…座って待っててね。」


 間宮先生はそーっと、楓が起きないように頭から装置を外してあげてからパソコンの前に座ってキーボードを叩いた。

 前回同様、やっぱり映し出された情報は、何を書いてあるかわからなかった。なので代わりに間宮先生の表情を見た。明らかに、深刻そうな顔だった。けどキーボードを叩く手は止まらずに冷静なこともわかった。

 少しして、その手を止めてこちらに身体を間宮先生は向けた。


「うん、まぁ…さっきの話してくれたことからもわかってたけど、着実に、確実にって感じかな。早さも想定通り。あと二週間…いや、もしかしたらもっと長いかもしれないし、短いかもしれない。今はまだ小さなミスを起こす程度だけど…そろそろ、深刻な記憶の混濁が起きる程度。いや起きていてもいいくらいだ。消滅も…してるかな。」

「どれくらいの、ですかね。難しいことを聞くかもしれないですが。」

「そうだねぇ…記憶障害が起きはじめた頃から前の、授業を行ったという事実を忘れているくらいかな。授業のノートを見たら、確かに授業をしたという事はわかるだろう。内容の理解も彼女なら簡単なはずだ。…だけどそのノートを書いた記憶がない。みたいな感じかな。実際に起きていることかはわからないけどさ。」

「…生活に支障は出ないくらい、ですね。」

「ちなみに、その記憶障害以降彼女の勉強能力が下がったりしたことはあったかい?なんか小さなテストで破滅的な点を取ったとか。」


 …思い返すと、そう言ったことはなかった気がする。いつもはしないミスを連発することはあっても、勉強面で楓が困っている素振りを見たことがない。その瞬間、一つの想定できた光景が脳裏によぎった。毎日毎日…少しずつ忘れていく授業内容を、一から覚えていく楓の姿が。


「…まさか。」

「ふわぁ~あ…寝てた…。」


 そんな訳ないと頭を振ろうとした瞬間、楓が起きた。

 …もしも、さっき思いついた通りなのだとしたら…俺はどうしようもない無力感に襲われた。


「あ、きい君おはよう。ダメだね、最近疲れてるみたい。」

「そうみたいだね。今日の検査は終わりだよ。検査の結果はお母さんたちには伝えておくから。次は…そうだな。三日後が良いかもしれない。でもすぐに、何かあったらいつでも来て良いから。できれば喜一良義君と一緒に。」

「はい!わかりました…えっと…。」

「…。」

「あぁそうだ…間宮…先生。」


 今一瞬……寝ぼけてただけか?


「…帰ろう、楓。」

「うん…ありがとうございました。」

「あぁ、またね。」


 診察室を出て、今度は俺から楓の手を握った。けれどまるで気づいていないようだった。少しして、握り返してきて…


「ねぇ、きい…

「楓、土曜日と日曜日、空いてるか?」

「え?そ、そりゃまぁ…空いてるけど。」

「一緒に…勉強しないか。」


 このフレーズをまさかこんな暗く言う事があるとは思わなかった。いつもは気軽に聞くのに、どうしてもその言葉は沈んでしまう。


「いい…よ。うん。土日どっちも?」

「できれば。嫌だったらいいぞ別に。遊びにだって行っても良い。」

「テスト前だよ?」

「気分転換は大切だろ。」

「ふふっ…そうだね。じゃあとりあえず明日の…朝から?どうする?」

「朝から行っていいの?」

「いいよ別に…早朝とかは困るけど。なんで?」

「いや…なんでもない。じゃあ朝から行くよ。お昼はどこか食べに行く?」

「それいいね。ファストフードにして、そこでそのまま勉強しちゃおうか。」

「ならあんまり混まないお店にするか、遅めにいかなきゃだな。」

「だね。遅めの場合の為に飴の補充お願いします。」

「わかってるよ。」


 …朝に一回家に行った時、楓の髪がぼさぼさなことがあった。なんでも、俺が来ることはわかってたけど準備を忘れていたらしい。それから休日の朝は気が抜けてるから午後から、と変にルールを決められた思い出があった気がするのだが…。


 病院から出て、姉さんの車に戻った。


「おつかれさま。どうだった?…って聞くのはあれか。とりま帰りますか。」

「いやいや、待たせちゃってすいません。」

「良いってば。楓ちゃんなら全然いいよ。…よし!コンビニに寄って甘いの買うか!」

「わーいお姉さん大好き!」

「ふっ、すまんな弟よ。」

「財力で女を従わせるなんて最悪だぞ。」

「財力だって、力だってことを学ぶんだな!それじゃシートベルトお願いしまーす!」


 コンビニによって姉さんは楓と俺に餌付けして、ちゃっかり自分が一番高いスイーツ買って、楓を家に送った。楓は車を降りて、姉さんも楓の荷物を降ろすために降りた。なんか俺だけ車の中なのもあれかと思って姉さんの手伝いをした。


「よっ…と。荷物やっぱり多くない?」

「おもっ!?」

「だよなぁ…。」

「なので助かりましたよ。なんか姉弟こき使う私、悪役みたいですね。」

「可愛い悪役だな。」

「ありがとうございます喜一良義君と雫お姉さん。」


 もたもたしていると、楓のお母さん。奈津さんが家からわざわざ出てきてくれた。


「病院にも家にも送ってもらって…。なんといえばいいか。」

「いや全然だいじょうぶっすよ。私は。こっちも弟が頼られて…嬉しいんで。」

「本当にありがとうございます。…楓、荷物まで。」

「うっ…いやだって甘えていいって言うから…。」

「相変わらずちゃっかりしてる子ね…。喜一良義君、主人もあなたには感謝しているわ。もちろん私も。」

「俺は…ついてあげてるだけなんで。」

「私達が本来はついて行ってあげたいんだけど…ごめんなさいね。仕事が忙しくて。もちろん楓を優先してあげたいのよ。」

「わかってるから、お母さん。きい君が一緒だから、私ぜんぜん大丈夫だよ!」

「良い男の子見つけたわね…。」

「お?おい弟。これは相手の親御さんが了承したと…。」

「うっさいな。もう帰るよ!ほら!」

「ごめんって、蹴らないで、ねえ。」

「じゃあね楓。お母さんも、また。」

「ばいばい!」

「本当に、ありがとうございますね。」


 俺はうるさい姉さんを無理矢理車に乗せて、俺も乗って。窓を開けて手を振っている楓に手を振り返した。

 帰りの車の中で、俺は姉さんに聞きたかったことを聞いた。


「姉さん。」

「どした。」

「今日、楓と話してるときに…前と同じ話を一個しなかった?」

「…した。」

「どうして?」

「いや、悪いとは思ってる。試すようなことをして。けど私も…気になって。楓ちゃんを心配してるのは何も喜一良義、あんただけじゃないんだからな。」

「それは…わかってるよ。」

「…私も忘れられちゃうのか。楓ちゃんに。」


 俺に言ったわけではない、その姉さんの言葉は何故か心に刺さってきた。

 家に帰ると、当たり前だがもう夕食ができていて。いただきます、と同時にこの当たり前に感謝した。


「やったゴーヤチャンプルじゃん。」

「姉さんゴーヤ好きだよね…。俺はそんなに。」

「苦みの分かる大人になったってことだ、弟よ。うまっ。」

「…でもいつもコーヒーにミルク入れてない?」

「苦みばかりの人生なんて、楽しくないだろ?…うまっ。」

「ふふっ、雫の為に作ったのよ。いっぱい食べてね。明日は喜一良義が好きなのだから、安心してね。」

「俺が好きなもの…?いっぱいあるんだけど。」

「あれじゃない、あれ。もずく。」

「あ、正解よ。」

「姉さんが嫌いなやつね。」

「いや、喜一良義あの酢まで飲むじゃん。見てるこっちからしたら馬鹿なんじゃないかコイツって思うんだけど。」

「姉さん、人生には刺激があった方が良いんだよ。」

「くっ!返してきやがった。」

「ほらほら、食事中におしゃべり優先しないで。全く…。」


 母さんは俺がゴーヤチャンプルを食べれないのを知っていたからか、ちゃんともう一品俺が食べれるものを作ってくれていた。優しさに気付くと、もっと幸せになる現象だな。これが。

 夕食も食べ終えて、お風呂に入って、自分の部屋へ。部屋で俺は鞄に明日楓の家に行く準備して、入れた。テストが近いからと言って流石に全教科持って行けば肩が折れる。明日は姉さんも仕事だから、一人だし。


「よし、準備はこんなもんかな。…一応明日何時ごろに行くか連絡しておくか。」


 楓に『十時ごろに着く。』とだけ簡潔なメールを送った。他のカップルはよくするらしいが、俺たちはあんまりメールで長々と会話をしたり、電話をして話すことはほとんどない。楓がどうしてもって時以外、そういうのはやめようと約束してきたから。どうせ会話するなら顔を合わせている時がいい。そうすれば話のネタにも困らないでしょ、と。正直、いついかなる時でも楓と話したい俺からすれば頷くのに一瞬ためらったが、最もなことを言われてしまったので承諾した。俺の弱点は楓だからな。


「…夜、か。」


 ふと窓を見た。月が出てはいたが、何とも言えない形だった。楓は部屋で一人だろう。約束、破ってみるか。

 俺は楓に電話をかけた。明日、悩み事を聞くつもりだったが…やっぱり焦りがあった。夜に、しかも一人の時が一番色々考えてしまうだろうから。人の事言えないけど。

 すぐに電話は繋がった。


「もしもし。」

「もしもし。寝るとこだったらごめん。」

「うぅん。…私も、かけようとしてたから。」

「え?」

「だから驚いた。まさかかかってくるなんて。…別に、用件があるわけじゃないんだけど…。ごめん、変だよね。気にしないで。私がいったのにね…用件もなく電話かけるのは止めようって約束したのに。」

「いや、俺も…別に用があったわけじゃない。約束破る気で電話した。」

「…ふふっ、何それ。」


 第一声が、涙声じゃなくてよかったと思った。ちょっと妄想が酷かったかもな。


「できれば、寝るまでこのままが…いいです。」

「そうすると楓寝なくない?絶対最後に寝るじゃん、いつも。」

「…確かに。じゃ切る。」

「待て待て。…話したいのは同じだから。俺が眠くなったら終わりでいいだろ。」

「ん。で、何話す?」

「そうだなぁ…。」


 いきなり本題に入ろうとしたが、時計を見てまだまだ夜が長いことに気付いた。他愛のない話でもしようか。


「そういえば今日で全部荷物持ち帰ったのか?」

「いやまだだよ。授業ある科目まだあるからね。…とはいっても、流石にもう授業全部自習とか、振り返りばっかりだけど。」

「俺その時間寝かけるからあんま有効活用してない。」

「寝るな。今まで私が起こした回数多分すごいよ。」

「とりあえず指じゃ数えられないな。」

「足含めてね、ふふっ。…逆に私寝てないんだよ、すごくない?」

「今日病院で寝てたじゃん。」

「いやあれは…あの場所落ち着くから。」

「あーそれはわかるかもな。というか病院って妙に落ち着かないか?」

「予防接種以外ね。」

「…同じく。」

「針痛い。」

「な。痛くないですよーって。痛いですよ。」

「ホントですよ。……ははっ、なんか、くだらないけど、楽しい会話。案外電話での話もいいね。」

「だな。今度またしてみようか。」

「それはダメ。夜更かしして、もっと起き無くなるじゃんきい君。」

「起こして。」

「私に甘えすぎー。」

「そうだな。もしかしたら今度は楓が寝るかもしれないしな。」


 ……少し経って、返事がなかった。切れたかなと思い画面を見たが『通話中』の文字。


「楓?」

「…私が寝たら、起こして。」

「そりゃ…もちろん。席替えしたらできなくなるけど。そもそも楓寝ないだろ。」

「…きい君。私さ、最近不安で…。」


 唐突に始まった、俺がしたかった本題。少しずつ糸をほぐしていたが、決壊したか。


「ゆっくりでいい。どうした。」

「…私さ、もう…覚えられない。勉強…できないよ。」

「…。」

「テスト…近いじゃん。」

「そうだな。」

「だから夜に勉強するの。…でも今日授業やったって…曖昧なの。覚えが。」

「もう少し…詳しく話すことはできるか?ごめんこんな話そばで聞いてあげられなくて。」

「うん…話す。今日の……あぁもう…だめ。覚えてない。今日何の科目の勉強したか…覚えて…ない…。」

「数学、国語、歴史、化学、午後は全部自習だ。どこまで覚えてる?」

「その、午後の自習しか覚えてない。午前中やった科目、内容どころじゃないの。何をしたかすら…覚えてないんだ。んや違う。違うな…えっと…」

「落ち着いて。ゆっくりでいいから。…今から家行こうか。」

「いい。だいじょぶ。なんかさ…計算をした覚えとか、歴史だったら…いつの時代の話だとか。断片的な記憶はあって。勉強をしたって、授業を受けたこと自体はなんとなくわかる。今は、そうだね…夢みたいな感覚。確かに起きたことなのに。細かい事を思い出せないの。でも確かにノートは取ってる。だからそれをまた覚え直すんだけど…明日には忘れてるの。もうやだよ…。さっき、ノートに涙の跡があった…。けど、泣いた記憶がない。それすら…覚えてないの。」


 俺が想像した光景と、大差ない言葉が電波を通して俺の耳に聞こえてきた。なんなら俺の想像より深刻だ。すでにその日自体の記憶が混濁して、曖昧になってきているんだ。


「楓、一個確認したい。」

「…ぐすっ…いい…よ。何。」

「今日の午前から前の記憶が全部ないって訳じゃないんだな?」

「それは…そうだね。じゃなきゃ今頃、きい君が告白してくれたあの日の事も忘れちゃってるじゃん。」

「そうか…わかった。ありがとう。」

「うん。私も、私なりに考えたんだ。今忘れる事柄って何かなって。」

「教えてほしい。きっと奈津さんも間宮先生に言うだろうけど、俺も一応、」

「いや…お母さんたちにはこういう話、できないよ。不安にさせるだけだから。それに間宮先生には症状について私から話すって言ってるからね。それで…考えたん事、話すね。」

「あぁ。」

「一回目、きい君と間宮先生の所行ってから二日後ぐらいに、日頃当たり前のようにやっている事の、些細な違いを忘れてた。今日はパンに何を塗って食べたかなって。」

「ジャムかバターか?」

「そんな感じ。その後また変化がわかったのは…当たり前の事実がうろ覚えになってきた。実験室の…場所とか。四日後くらいかな。」

「勉強に支障が来し始めたのは?」

「…それは…事故の、日から。」

「え…?」


 そんな様子一度も…。


「やっぱりその日の新鮮な、けどそこまで重要視してない頃から忘れちゃうんだろうね。ただ最初は全然、支障って言っても困りはしなかったよ。ただ最近からほんと露骨で…もうぼろぼろで。心。それで、どうしようもなくて。」

「電話しようと思ったのか、俺に。」

「…そう。」


 なんてことだ…。俺が見ていない間にすでにそこまで…。間宮先生は三日後と言ってたか…休日明けの一日目。このことも、伝えなきゃ。


「それ今日間宮先生に、なんで言わなかったんだ?」

「…わかって。」

「えぇ…。じゃあちょっと待ってて考える。」

「ん。」


 言いたくなかった理由、か。なんだろう。間宮先生に伝えると、楓が困る…ってことだよな?普通付いた医師には言わなきゃいけないはずだ、そういう数値からじゃわからない実際の症状は。今後どうするかの方針もあるだろうし……あ、そういうことか。間宮先生には無理言って学校に行かせてもらったって言っていたが、普通に考えてあり得なくないか?だって事故直後。流石に身体的に問題ないと言ってももう少し留めさせられるはずだ。どれだけ同情誘っても。なら…


「もしかして、間宮先生にある程度の症状、勉強がまともにできなくなったりしたら学校に行くのをやめた方が良いとか、言われていた?そういう約束というか、決まりを決めてたのか?」

「…うん。そう。一応私の精神状況、安定しているとは判断されないから。最初は間宮先生、学校行くのめちゃくちゃ止めてきたんだけどさ。症状が深刻になったら自宅謹慎か病院に入院するからって約束したの。間宮先生と。それならまぁって先生も折れてくれたんだ。きい君…よくわかったね。」


 あの時目をそむいたのは…嘘をついたからか、部分的に。パズルのピースが全てちゃんとはまった感覚だ。嘘をついた理由もなんとなくわかった。…俺ならその話されたらすぐに入院か自宅謹慎させるだろうな。いやさせる。絶対。医者が許したってことで気にしなかったけど、まさかそんな約束を…。


「はぁ…。」

「え、どしたの。」

「嘘つかれてたなって。」

「あー…はは。だって無茶な約束までさせて許可出させたなんてきい君に言ったら…怒るじゃん。」

「怒ってますけど。…でも悩んだだろうな、その話されたとしても。」

「え?」

「俺も、楓がどうしても学校に行きたい理由、わかる。忘れる前に確認と言うか…。」

「でも、止めたでしょ。」

「当たり前だろ。」

「へへ、言わなくてよかった。」


 コイツ…。


「良いのか?」

「何が?」

「俺もう知っちゃったし、勉強に支障も出てるって。間宮先生に言っちゃえるけど。」

「えぇええ!?後生だよきい君!」

「いや…」


 もう見てられない、とは言いにくかった。学校での、桃実と木崎と、俺と楓とのあの空間に俺も名残惜しさを感じていたんだ。


「……はぁ。わかった。だが本気で記憶障害がやばくなったらすぐに学校から帰らせるからな。」

「うん、お願い。きっとわかんないだろうしね。…うわ、もう良い時間。」


 そう言われて時計を見ると、すでに二十三時を回ろうとしていた。


「おぉ、話しすぎたな。寝るか。」

「…寝るまで電話。」

「だからそしたら寝ないだろ…。」

「むぅ…。……じゃあおやす、あ、待って。」

「ん?」

「今日私寝てたから間宮先生の話聞いてない。」

「そういえばそうだ。教えてもない。でも今から話すのも…。」

「一つだけでいい。残り時間の猶予は?」

「二週間、あるかないか。」

「…わかった。じゃあおやすみ。」

「あぁ。おやすみ。」


 残り、二週間…。なんとなく、楓はテストを受けることはないんだろうなと、思ってしまう自分がいた。

 あまりにも衝撃な話を聞いたせいで、俺も、そしてその話をした楓も忘れていたんだ。気にもかけなかった。


 すでに、人の名を、忘れだしていることを。



 土日に、約束通り楓の家に行った。正直昨日の話を聞いた後に勉強をする気にはならなかったが…


「お邪魔します。」

「あら喜一良義君、いらっしゃい。楓なら二階の部屋にいるから。」

「ありがとうございます。」

「…ねぇ、喜一良義君。」

「はい。」

「その…学校で、楓、どうかしら。」


 どう、か。その二文字にどれだけの思いが籠っているのか…。


「いつも通りですよ。ただ少し、忘れっぽくはなってるかもしれませんね。」

「そう?なら良いんだけど…。昨日間宮先生から話は聞いたわ。あと二週間ほどって…。」

「…僕は最後まで、楓の隣にいますよ。」

「ごめんなさ…いえ、違うわね。ありがとう、喜一良義君。」

「…はい。」


 俺はお辞儀してから、階段を昇って二階へと足を運んだ。嘘を、奈津さんについてしまった。だけどきっと楓の思惑が、そうだから。

 楓の部屋の扉を開けると、もちろん楓はいた。しかしノートを広げて勉強してたことに驚いた。


「お邪魔しまー…え。」

「あ、きい君。おはよ。十時ジャスト。流石だね。」


 楓の部屋にはもう何度も来たことがあった。まさに女の子らしい、いや他の女の子の部屋なんていったことはないのだけど。整頓されて落ち着いてる空間。可愛らしさもどこかにある、楓がいるのが簡単に想像できる部屋で、真ん中に広めの丸くて白いラグが敷いてあり、そのさらに真ん中に角が丸くなっている机が置かれている。

 その上に楓はノートと教科書、ワークなどを積み上げて、座って勉強していた。


「ほんとだジャストだ。ちがうそっちじゃなくて。」

「誰と話してるの…。…あぁ、そっか。昨日話したもんね。」

「勉強はもう良いんじゃないか。」


 テストをまともには受けられないだろ、なんて言えなかった。


「ほら、きい君がわからない所を一緒に考えてはあげられるから。そりゃ内容なんてほとんど覚えてないけど…これでも元々の脳みそは優秀なんだよ!」

「…文殊の知恵か。」

「それ三人じゃない?まぁいいけど。ほら、反対側座って。」


 楓なりに考えてくれたんだろう。ないがしろにはできない。俺は言われた通り反対側に座って、国語の教科書の、テスト範囲である小説の所を出した。今回の国語のテストは古文と小説を読み解く箇所のふたつだ。古文は…まぁほぼ暗記でいいからさておき。小説はあの、「作者の意図を読み解きなさい」というよくあるタイプの問題。小説くらい自由に読ませてくれ。要するには、俺が苦手な分野だって事。


「…きい君は優しいね。」

「何がだ。ほら、こことここ。あとここ。イミフなんだよ教えてくれ。」

「うん。ちょっと待って私も教科書出すから。」


 流石に楓ならわかるか。国語の、小説部分なら暗記もなく考えるだけで済むだろうと思って出したが…なんか意図組まれた上で教えられるの恥ずいな。


「ふむふむ…なるほどそういうお話ね。」

「あぁ。ヒロインゴミじゃね。」

「いやぁ?健気ないい子だと思うけど。…確かにお金のために男の子の何人も乗り換えるのは…うん、ゴミかも。というかなんて教材だこれは。高校生に出す…か。高校生ってそんなもんだよね。それでどこがわからないって?」


 俺は初めて読むような反応をする楓に…いや、実際初めてなんだろう、楓にとっては。俺は付箋をつけていた部分を楓に見せた。


「まずは…漢字ね。『齷齪』…だよこれ。あくせく。」

「なんで読める。意味は?」

「…覚えてない。待って調べる。」


 …これでもダメなのか?いや今は国語しかないしな…。

 楓は棚から辞書を取り出してすぐに調べてくれた。


「落ち着かない様子、だってさ。」

「ほう。木崎みたいな感じか。」

「ふふっ、確かにいつもそんな感じかも。あだ名は今日から齷齪だね。」

「書けないから却下。」

「激しく…

「「同意」」


 絶対言うと思ったから合わせてやって、顔を上げると目も合った。


「ははっ、かぶせないでよ。」

「言うだろうなって思ったから。次ここ。」

「どれどれ~?」


 その後一時間ほどは、何事もなく勉強ができた。漢字の読みくらいなら楓は覚えてるようで。文の意味も流石に地頭はいいから俺よりすぐにかみ砕いて教えてくれた。実を言えば、あんまり勉強にはならないかもななんて、考えていたのだが予想より勉強になった。


「おぉ…国語行ける気がする。」

「良かった。案外古文も行けたね。」

「それな。やはり日本人なら解けるのだな。」

「そういうことか。…まだお昼には早いし、遅く行くんだよね。次何する?」

「俺は一旦、数学をする。から、楓には…。」


 昨日用意していた、紙をカバンから取り出した。その紙は、数学の時間に配られたもので答えとか一切配布してくれないタイプ。解くだけ解いてはみたが果たしてあっているか…。


「これの確認って言うか、見てくれないか。合ってそうかどうかでいいから。」

「でも私……なるほど。ふふっ、わかった、見る。」


 なんで楓が笑ったのかは…多分その紙についた付箋の数にだろう。


「こんなにいっぱい、公式書いてある付箋貼って…そんなに自信ないの?」

「舐めるなよ。俺が壊滅的に数学できないの知ってるだろ。そんだけやっても足りないくらいだ。いいから見てくれ。」

「はいはい…私の彼氏が君でよかったよ。」

「なんだいきなり。」

「なんでもなーい。」


 俺は俺でまだ手を付けていない参考書の後半あたりを解き始めた。

 …あれだけ公式貼っておけば、忘れててもその答えが合ってるかどうかくらいなら、わかるだろ。んなムズイレベルでもないし。…にしても眠い。あの電話の後急いで作ったからな…。

 サポートをしたとしても流石に難しかったのか楓はその「確認」に手間を取ってしまっていた。だがギブアップする様子は一切なく、結構な時間をかけてしっかり最後まで見てくれた。


「…うん。合ってる!多分。」

「おぉ。ありがとうわざわざ。」

「いやいや、彼氏に留年されちゃ困りますから。ありゃ、もうお昼時過ぎてんじゃん。」

「そろそろ行くか。お腹空いたし。」

「だね。…勉強道具持って行かないの?」

「今日は全力を尽くした。あとは未来の俺に任せる。」

「もぉ…。」


 呆れたような声をあげた楓だったが、その顔は笑顔だった。


 午後はお昼を食べてから、近くで遊べるところに行ったり、何の意味もなく散歩したり。二人で話しているだけで十分楽しい。楓は話し上手だから。

 気づけばもう日差しは見えなくなっていて、視界は暗くなっていた。


「もう暗いね…。そろそろ帰ろうか。」

「だな。…ここだとうちの方が近いけど…今日は姉さんいないしな…。仕方ない、家まで歩いて送るよ。」

「ありがと。流石にここから一人は辛い。」

「だろうな。」


 君の辛さを軽減できるなら俺の辛さくらいどうでもいい。

 まぁまぁな時間をかけて楓を家まで送った。


「ありがとね。明日はどうする予定?」

「図書館行かないか。本が読みたい。」

「了解。集合場所は…じゃあ次は私が行くよ。」

「大丈夫か?」

「お母さんに送ってもらう。そうだなぁ…お昼の十三時くらいでいい?

「わかった。」

「ん。じゃあね、また明日。」


 楓はまた、俺に手を振ってくれた。俺もできるだけ、見えなくなるまで手をふってやった。楓は俺が見えなくなるまで、手を振り続けるだろうから。


 夜道を、俺は一人で歩く。流石に寒くなってきた。もう…冬が近い。


「今年も終わりか…。」


 去年、初詣には楓と行ったっけ。着物可愛かったな。

 もう、行けないのか。


「いやそんなことない。全部忘れても…一からまた、初めてやる。」


 決意はすぐに綻びを作るが、そのたびに固める。弱気になってはいけない。泣き言を言っては行けない。現実になってしまうから。



 日曜日、約束通りの時間に楓は家にやってきた。奈津さんの車に…ん?


「やっほ!喜一良義君!久しぶり!」

「…久しぶりです、名井戸さん。」


 玄関を開けた先にいた、この愉快な人は楓のお父さん、虹咲名井戸さんだ。第一印象は愉快な人。そして、かっこいい名前だなという事。

 その後ろから現れたのは、楓。今日は色の落ち着いたコートだ。中はパーカーみたいで。…可愛い。


「今日はよろしくね!というか今後とも!」

「わかってますよ。なんか相変わらずで安心しました。」

「もう…お父さんときい君に会いに来ると騒がしいからやなんだけど。」

「そんなこと言わないでよ。僕だって喜一良義君とは会いたいんだから!」

「まぁいいけどさ…。じゃありがと。帰って。」

「全く…そっけないな。それじゃあ喜一良義君、娘を頼んだよ~。」


 あの人、なんかあのテンションのせいで若く見えるんだよな…。その勢いはそれはそれは…。


「ごめんね。」

「いやいいさ。良い人なんだから。」

「…それはわかってるよ。お父さんは泣かないで私のそばにいてくれるから。…安心する。」

「…そう。行こうか、図書館。」

「うん。」


 奈津さんは、そりゃ泣くよ。俺だって実際…共感して泣きかけるくらいだ。


「おぉ今日もデートかいお二人さん。」

「姉さん。今起きたの?」


 丁度良く階段から寝起き姉さんが降りてきた。なんてタイミングだ。


「何か悪い?」

「髪ぼさぼさだけど。」

「良いの良いの別に。楓ちゃんには見せても問題ないし。でしょ、お姉さんどんな髪型でも似合うよね!」


 いつものように、姉さんは楓にお茶らけたように話しかけた。

 しかし…楓は怯えるように俺の後ろに隠れた。


「…楓?」

「…え、…あ……その…。し…雫…おねえ…さん。」

「そうか…。…うん、そうだよ。雫お姉さんだ。みんなのアイドルのね。」

「……は、ははっ。ポーズとか、あるんですか?」

「もちろん!」


 そう言って姉は何故か慣れたようにアイドルのポーズを決めた。なぜできる…?もしかして隠れて本気でアイドルしてんのか?…なんかあり得る気がした。


「すごいですね!まさかできるとは!」

「へっへっへ、すごいだろ。…あ、ごめん邪魔して。行ってきな。」

「突然冷静だな…。てか恥ずかしいからやめろ姉さん。」

「私はなんでもできるんだよ。それじゃあね、いってらっしゃい。こんなお姉さんが邪魔して悪かったね。」

「いえいえ!じゃあまた!」

「独身のな。」

「うっさいさっさと行け!」


 悪態をつきつつも、笑顔で無理矢理扉を閉められ追い出された。全く…良い姉だ。俺の姉さんの株は上がったり下がったりだな。


「ま、行くか。なんか疲れたけどいきなり。」

「そうかも。」


 図書館は俺の家からそう遠くない。歩いて十分かからない所にある、中学での受験シーズンではとても助かった場所だ。


「図書館到着!」

「しずかにな。」

「わかってるよもう。私子供じゃないんだから。」


 午後は隣り合って座って本を読んだ。元々俺も楓も本を読むのは好きなので、特に話すこともなくそれぞれ黙々と読んでいた。

 そんなんだから気づいたら…


「……。」

「……。」

 〈ただいま、閉館十分前となります。ご利用の皆様に、お伝えします〉

「え。」

「あ。」


 気づいたらすでに十八時五十分。


「またやったね…。」

「だな。ずっと読んでられちゃうから…お互い。」


 俺達は読んでいた本を名残惜しくも棚に戻して図書館を出た。


「あー…ずっと座ってたから体痛い。」

「わかる。あの本うちの学校にないから読み切っちゃいたかったなぁ…。」

「買えばいいのに。」

「それほどの本ではない。」

「さいですか…。帰りはどうするんだ?今日は姉さんいるけど。」

「……んや、お父さん呼ぶよ。多分飛んでくるから。」

「親バカすぎるだろ。」

「困るよほんと…。図書館に呼ぼ。」

「名井戸さん来るまで待つよ。」

「ありがと。」


 楓が名井戸さんい電話している間、姉さんの事を口に出した時の楓の反応に気になっていた。顔が引きつっていたというか…。怯えるような。

 …明日、学校に行かせていいのか?


「お父さんすぐ来るって。速度気にしないって。」

「ちょっと待て後半不穏。」

「流石にお父さんも法律くらい知ってるでしょ。」

「娘の認識じゃないなそれ…。」


 するとほんとに速度を気にしなかったんじゃないかというほど速く名井戸さんは図書館に車を走らせて来てくれた。二十分はかかるだろ…。


「来たよ、父さんが!」

「わーいありがとじゃあまた明日ねきい君よししゅっぱーつ。」

「ちょまってまって。お父さんに喜一良義君とお話しさせて。」

「えぇ…。」

「大切な話だから!車で待ってて!」

「えぇえええ…。」

「おまんじゅう買ってきて車にあるから食べて待ってて!」

「もう!そうならはやくそういんしゃいよ~。」


 楓は吸い込まれるように車に戻っていった。動物に近いなもう、あれ。


「どこであんな意地汚さを教えたんだ、僕たちは…。」

「アレはもう生まれ付きな気がしますけどね。…それで、大切な話って?」

「うん。…記憶障害の話さ。喜一良義君には随分と支えてもらっていると聞いたからね、楓が。ありがとう。」

「…俺は逆に、謝らなければいけないかもしれないです。」

「どうしてだい?」

「楓も、間宮先生…はわかりますよね。」

「あぁ。楓を見てくれている先生。」

「はい。二人とも、最後に覚えているのは…俺だって言ってて。それで…なんだか申し訳なくて。」


 ここ最近、気にしなくていい事だと自分に説得していたことだったが、俺にはそれを言う義務があるように最近思えたから、打ち明けた。

 すると名井戸さんは笑ってくれた。


「はっはっは!大人だねぇ、喜一良義君は!お父さんに似たのかな?」

「だと良いんですけど。」

「気にしないでくれ、むしろ誇って欲しいくらいさ。」

「え?」

「最後に覚えてられるのが最愛の人なんだ。それは僕にとっては母さんというわけだ。正直、僕も最後に覚えてられるのなら、楓より母さんを優先するだろうね。楓にはひどいかもしれないけど。」

「ど、どうして…。」

「簡単なことさ。僕が、死ぬまで愛そうと思った人だから。楓もそうなんじゃないかな。家族なんていったって、結局他人だから。僕も奈津も、君も悪くない。楓が一番愛した人が、喜一良義君だっただけなんだ。娘が決めたことを僕はとやかく言う気はないよ。」


 目じりが熱くなったが…なんとか堪えた。泣いちゃいけない。それはなんだか違う気がして。理由なんてわからない。こんな状況を、暗記した覚えはないから。

 だから代わりに。まっすぐ背筋を伸ばして、名井戸さんに言った。


「はい。…最後まで、いや最後が来てもそこから…初めてみせます。」

「うん。頼んだよ。僕が娘を任せるに相応しいと思った男なんだから、君は。胸を張りな。…さて、どうする?家まで送ろうか?」

「すぐ近くなんで、大丈夫です。」

「わかった!じゃあまたね!喜一良義君。」

「はい。」


 俺は車に乗って多分おまんじゅうに夢中であろう楓を見送ってから家に帰った。

 すでに夕食はあったので、食べてお風呂に入ってテストに向けて勉強をしていると

 扉をノックする音が。

 最初母さんか、父さんかな?と思ったのだが…


「入っていい?」

「姉さん…?」


 ゆっくりと、まるで音を立てないよう気をつけてるかくらいに扉を開けた姉さんが部屋に入ってきた。クッションを抱いて顔の下半分を隠して。


「ど、どうしたの姉さん。別人?誰?」

「なんで実の弟にそこまで言われなきゃならんのだ。…勉強中だけど邪魔します。」

「は、はい。」


 思わず釣られて敬語になってしまったが…なんだ。本当にどうしたんだこの人。入ってきて俺のベットに座って動かなくなった姉さんを、本気で別人が皮被ってんのかと思う。


「…楓ちゃん、もうヤバいんだね。」


 その一言で、今日図書館に行く前の事を思い出した。一瞬楓が、姉さんの事を知らない人のようにしていた、あの時。


「もう、そうだな。…勉強もまともにできない。」

「そう。それは辛いね…。今までの努力、消えちゃうようなもんだもんね。…喜一良義。」

「…何?」

「私、次に楓ちゃんに会った時笑顔にできないや。怯えさせちゃう。」

「…!」


 …今日すでに、楓は姉さんの事を完全に忘れかけていた。次会う時は…か。考えたくないな。果たして俺はあの怯えた顔を向けられる対象になった時…心を保っていられるだろうか。


「だからちゃんと…何度もいうけど、あんたが支えてあげるんだよ。ここからは私も助けられない。」

「まだ決まったわけじゃ…。」

「そうかもしれない。でもさ、私も知らなかったよ。まぁまぁ親しい人に…本気で、悪意も何にもなく純粋に他人のように思われる、この感情。…私は大人だから、心錆び切ってるから耐えれるって思ってた。」

「姉さん…。」

「…違ったね。辛い、辛いよこれは。忘れられるのもそうだし…楓ちゃんの事を思うと尚更。」


 姉さんのこんな顔、初めて見たかもしれない…。思えばいつだって、姉さんは笑っていた。俺に何かあった時も、笑って励ましてくれた。


「姉さん。」

「ん?」

「俺の姉さんが、姉さんで今心からよかったって、思った。」

「…にはは。そう?姉冥利に尽きるね、そりゃ。…寝る。邪魔した。」

「うん。」


 言いたいことは言えたのか、姉さんは今度はクッションで顔を隠さずに、扉まで歩いて行って、振り返った。


「ちなみに、なんで?」

「え?」

「なんで私が姉でよかったねって思ったの?」

「えぇ…。」

「いいじゃんいいじゃん。今あんたのお姉ちゃんちょっと傷ついてるんだからさ。」


 弟の彼女に忘れられる、文面だけでは、人によってはどうだってスルー出来る事柄を、ここまで深く悲しんでくれるからと言えば怒られそうな気がしたから…


「傷ついても、お酒で忘れようとしない事。」

「…!!……ま、大人であるまえに、あんたの姉だから。」


 それだけ言って姉さんは俺の部屋から出ていった。

 ようやく、腑に落ちた気がする。俺は姉さんのような大人になれるビジョンは見えなかった。どうしても。けどそりゃそうだ。姉さんは、大人である前に、俺の姉さんなんだから。


「性別はどうしようもないよ。」


 俺はまた机に向き合って、勉強に取り組んだ。


物語中の二つあるピークの、一つ目

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