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ある夢の日。
ちょうど父の機嫌が悪い日が続いていて、八つ当たりの折檻を受け続けていた日のことだ。
とある女性が悲惨な虐待を受けた過去を隠したいと、マリエラの夢食いを受けにきた。
高い金額を払ってでも過去の恐怖が創る悪夢から逃れたかったのだろう。
その夢で、マリエラは少女が父親に殴られ続ける姿を見ることになった。
己の境遇と、客の境遇が同じことは何度だってあった。
けれどこの時、マリエラは数々の心身の状況が重なって、限界だった。
「やめて」
殴られる少女の痛み。目撃する自分の恐怖。現実で父に殴られる、恐怖と痛みと絶望。全部が重なって、マリエラは頭を抱えてうずくまる。己の胸の中から、ドス黒いものが溢れて、溢れて止まらなくなりそうだったーー
次の瞬間。マリエラの体は宙に浮いていた。
ルカ・アンドヴェーラ公爵令息がマリエラを抱きかかえていた。
景色は時が止まったようになっている。
「あの……」
夢のはずなのに、腕は温かく、そして息遣いさえ感じる気がした。
図らずも胸が高鳴る。見上げるマリエラをみて、ルカ・アンドヴェーラ公爵令息は厳しい顔をする。
「いい加減にしたまえ、君は」
「え、ええと……」
「仕事熱心なのもいいが、君のやっている仕事は危険すぎる。今日までよくこうならなかったな。まったくアホなのか、『夢見』に無知なのか」
「あっ……あ、ほ? ゆめみって……」
「意味を知らないか? 大馬鹿者。これでわかる?」
「あ……は、はい。わかりました。父がいつも言っていることです」
「父?」
マリエラは反射的に口を塞ぐ。
穢らわしいマリエラで儲けていることが広く知られたらいけないのだ。
「とにかく君のやっている野良治療は危険だ。このままでは魂が穢れを取り込みすぎて元に戻らなくなるぞ」
野良治療、魂、穢れ。
まるでマリエラのやっている行為を知っているような口ぶりだが、両親がマリエラに教えるものの単語と全く違う響きに感じた。『夢食い』は穢らわしい、恥ずかしい、表に出せない卑しい仕事。家に囲ってもらえるだけありがたいと思え。
野良治療なんていうと、まるで他に野良ではない夢食いがいるような……
「っ……だめだ、これが今日は限界だ」
彼は急に苦しげにすると、マリエラを下ろす。
見ると、マリエラの体から黒い粒子が溢れ出していた。こんなものこれまで気づかなかった。自分に目をかけることなんて、一度もなかったから。
「……いいか、また会いにくる。必ず」
夢の世界が消えていく。その中で、マリエラを指差して彼が何かを言っていた。
全部は聞こえなかったけれど、このくだりだけは聞き取ることができた。
「……犯罪……は、捕ま……ならない」
ーー犯罪者は、捕まえなければならない。
目を覚した瞬間、マリエラは怯えた。
やはり彼は、聖騎士としてマリエラを逮捕するために、何らかの方法を使って夢に訪れているのだ。
◇◇◇
それからもマリエラは、夢で何度もルカに出会った。
ルカはマリエラの夢食いを何度も邪魔してきた。
客の代わりに悪夢の苦しみを受け止めているのを阻止したり、マリエラを捕らえようとしたり。
マリエラは恐ろしかった。
どうして邪魔をするのか、なんて聞けなかった。
「逃げるな! 待ってくれ! 話を!」
「ごめんなさい、私、逮捕される訳にはいかないんです……!」
「話を聞け!」
犯罪だからお前を捕まえると言われるのが怖かった。
だからマリエラは治療から逃げた。
しかし、ルカに怯えて行う『夢食い』が簡単にうまくいくわけがない。
次第にマリエラは夢食いを失敗する日が増えた。
父親はマリエラをサボっていると殴り、母はメイドたちに、マリエラの世話を止めるように命じた。最終的に客を取る時だけ客用の寝室に案内され、それ以外の時間は地下室に放り込まれるようになった。
狭い地下室で、マリエラの足腰はますます弱った。
声の出し方もわからなくなった。
それでも夢の中では体は動く。マリエラはルカから逃げ続けた。
◇◇◇
――そして、話は最初に戻る。
妹ローズの結婚相手としてルカがやってくる。ついに、現実に。
妹は挨拶に来ると言ったけれど、信じられない。
「……彼は私を捕まえに来るのだわ……。私が、貴族に生まれながら、卑しい夢食いをする、犯罪者なのだから」
マリエラは顔を両手で覆い、恐怖で震えた。
今日、ルカ・アンドヴェーラ公爵令息は妹に会いに来るという。
「私を捕まえるための口実でありませんように……」
マリエラは、震えながら祈った。
そして、玄関で誰かを迎える音がする。




