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15歳を超えた頃から、現実のマリエラは身を起こすことすら敵わなくなっていた。
櫛を通すこともない長く伸びた黒髪。
悪夢の影響で食事を受け付けなくなったので、手足はほぼ骨と皮。パッと見では誰も15歳とは気づかないほどに、彼女は幼く飢えた顔色の悪い少女になっていた。
だが客を取っているあいだ、わずかな時間はマリエラは自由だった。
マリエラは他人の悪夢の世界を自由に歩けるようになった。メイド服の姿で、目の前の世界の出来事を見聞きし、時には夢見る人と言葉を交わすことさえできる。両親に明かしてしまえばまた悪用される力なので、決して打ち明けはしなかったけれど。
能力の成長。それは同時に、より深く相手の苦しみに触れることでもあった。
そして、ルカ・アンドヴェーラ公爵令息と出会うようになったのだ。
最初は偶然、夢の世界で彼に出会った。
とても美しい金髪の男の人が、こちらをじっと見ていると気付いたのだ。
その日から彼は、ずっと夢にでてくるようになった。
彼はどんな凄惨な夢でも、どんな場面の夢でも、同じ姿、同じ顔で、じっと物陰からマリエラのことを見つめてくる。
こんなこと初めてだった。
ふと、彼の後ろに黒いもやが見えた。悪夢に囚われている人に見えるもやだ。
マリエラはそのもやを『夢喰い』するために薄く口を開き、息を吸い込む。
彼が目を見開く。
「君、それ以上食べたら……!」
あ、私が夢食いだと知っているんだ、彼は。
そう思いながらマリエラは夢を咀嚼する。悪夢の味は嫉妬と執着の味がした。
銀髪の貴族っぽい服を着た女性が、彼に愛されたくて呪術をかけている。
イヤリングの赤が、妙に印象に残った。
「大丈夫か!」
彼はマリエラを抱き留める。いつもやっていることだから平気なのに、ここまで心配されるのは初めてだ。マリエラは笑う。意識が遠くなる。客がもうすぐ目覚めるようだ、夢の終わりが近い。
「……銀髪の、赤いイヤリングの女性に……気をつけて」
彼と接したのは、それが最初だった。
◇◇◇
客を取る。悪夢に入る。そして彼に会う。
彼はマリエラに近づき、感謝の言葉を伝えてきた。
「ありがとう。犯人は捕まえた。君のおかげだ」
「よ、よかったです」
「ところで君に興味がある。君は一体だれだ? 一体どうして、こんなことをしている」
「え、ええと……」
マリエラは困惑した。父に黙って、『卑しい仕事』をしているマリエラのことをぺらぺら喋ってしまったらニルニーシュ男爵家に迷惑をかけてしまうから。
「す、すみません!」
マリエラは逃げた。
そしておざなりに客の悪夢を食べて飲み込んで、仕事を終わらせて夢から逃げた。
しかしまた、彼は客の悪夢の中に姿を現した。
逃げても逃げても、彼はおいかけてくる。
それどころか彼に会えば会うほど、明らかにその金髪の男性は鮮明になってきた。
20歳前後くらいだろうか。
美しい服を着て、鋭い眼差しをした綺麗な人。
美しさに見惚れるより、マリエラは恐ろしかった。天使の姿をした死神が、悪行に加担し続けるマリエラを捕まえにきたのかと思っていた。
夢の中で、夢の住人に彼が誰か尋ねた。
その日の客は大物政治家だった。
弄んだ女たちに恨まれ呪われ、悪夢を見るようになった大臣。
夢の中で彼は金髪の男性を見て、ギョッとした顔で言ったのだ。
「あれはルカ・アンドヴェーラ公爵令息」
「公爵令息様なんですか!?」
「ああ。聖騎士団長候補の天才だ。しかしどうしてこんな夢の中に……」
次の瞬間。夢は突然終わりを告げた。失敗だ。
慌てたけれど、大臣は夢どころか記憶の全てを失っていた。
失敗したマリエラに対して、父はしこたま殴っただけで済ませた。大臣からはすでにお金を受け取っていたが幸いだった。父は結局「ただの記憶喪失として道に転がせばいい」、という形で処理を済ませた。
マリエラは震えた。
失敗したというショックと、金髪の男性が現実にいるという恐怖で。
「公爵令息様からは……絶対に、逃げないと……」




