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集中連載です。短めです。よろしくお願いします。
「お姉様はどうしていつも陰鬱で、引きこもっているのかしら? 自分が世界で一番可哀想、って顔をして」
突然部屋の扉をあけられ、マリエラはベッドの上でビクッとする。
妹ローズは姉マリエラの怯えたおどおどとした顔を見て、満足げに鼻を鳴らす。
「お父様が来る前に伝えてあげようと思って。私は公爵令息様との婚姻が決まったのよ。ルカ・アンドヴェーラ公爵令息」
「えっ」
「なんと先日の社交界で私に声をかけてくださったの! 今日は挨拶にきてくれるらしいわ。お父様も大喜びよ。ああ、お姉様……三つも年下の私に負けて、かわいそうね!」
それだけを言い残し、妹は去っていく。
妹の言葉に、マリエラは信じられない思いで体を震わせた。
「嘘でしょ……ルカ・アンドヴェーラ公爵令息……」
部屋をほとんど出たことのないマリエラでも、ルカの名前は知っている。
金髪に氷のような青い瞳の持ち主で、立っているだけで恐ろしいまでの魔力と覇気を備えた貴族令息。
マリエラは彼を知っている。
だからこそ、妹に婚姻を求めてきたなんて信じられない。
「きっと罠よ。私を捕まえにきたのだわ」
マリエラは確信した。
だってーーマリエラは、彼に夢で捕まえられそうになったことがあるから。
◇◇◇
マリエラは『夢食い』の魔術の能力者だった。
没落寸前の下級貴族、ニルニーシュ男爵家が『成金』とそしられるまでに権勢を誇るようになったのも、マリエラが5歳で『夢食い』の能力を開花させたからだ。
まだ2歳のローズが、とにかく眠っている時に癇癪を起こした。
この世界において、夜泣きするこどもは防音効果のある部屋に一人寝かせて落ち着かせるのが躾だと信じられている。だがマリエラは泣き叫ぶ妹をどうしても一人にはできず、こっそりローズの寝室に行き、額を合わせて祈った。
ぐっすり眠れますように、怖い夢が、消えますように。
するとマリエラの脳内に、大きな夢の化け物が出てくる。2歳児が感じている漠然とした恐怖が、マリエラの心を貪り食う。
マリエラが怖い!と感じた瞬間、静かになった部屋。
穏やかに眠る妹に、マリエラは満たされた達成感を覚えた。
それから毎日マリエラは夢の恐ろしさを『夢食い』した。
ーー妙におとなしくなった妹を、メイドや母親が不審に感じて調べるまで。
母により、マリエラは頬が腫れるまで引っ叩かれた。
「恥ずかしい! はしたない! せっかくお貴族様の嫁になったのに……!」
夢にまつわる能力は、娼婦を連想させるので恥ずかしいことだと、マリエラはこの時聞かされた。夢食いは恥ずかしい能力。決して外にバレてはならない能力。こんな能力持ちが生まれたことがバレたら、元平民の母は貴族社会から爪弾きにされるし、ローズの未来にも障りがあると。
まだ手狭だった家の中で、マリエラの能力はすぐに父に露見する。
母と妹にとって幸福なことに、父はマリエラの「恥ずかしい」能力を許した。
そしてその日から、父の躍進とマリエラにとっての地獄が始まった。
マリエラは5歳にして、密かに屋敷で客を取るよう命じられた。
来客用のベッドで、マリエラは数々の人々に膝枕をして額を撫でる。
恐ろしい記憶から逃れるため酒に溺れ、使い物にならなくなった土気色の娼婦。
処刑した罪人の断末魔が忘れられない処刑人。
戦場での壮絶な記憶に精神を病んだ騎士。
マリエラは額を撫でた瞬間、彼らと彼らを蝕む悪夢を吸い取る。
彼らの「悪夢」の心理的苦痛を、全て代行するのだ。
黒い靄のような感情の塊を、自分の心に移し替えるような感覚。
彼らの「記憶」は消えない。だがそれが引き起こす「悪夢」ーー嫌な感情自体は、マリエラに写し取られる。
最初は嘔吐した。
気絶した。
泣き叫んだ。
けれどマリエラは金貨の入った袋で父に頭を殴られて、再び客を取るように命じられた。
客はマリエラに悪夢を食べさせて、すっきりとした顔で帰っていく。
夢食いの経験を積めば積むほど、マリエラが吸い取る「悪夢」はより一層具体的になった。
最初は娼館のようだと嫌がっていた母も、マリエラが金の卵を生む雌鶏だと気づくや否や、マリエラが客を取る寝室や服装まで細かく口を出した。
マリエラの目には覆いが被せられた。
顔がバレることを恐れる上客も呼ぶために、またマリエラが夫妻の実子だとバレないようにするために。
身分をわかりにくくするために、体に合わないメイド服を着て、髪を下ろして、メイドのようでメイドではない姿を演出させた。
マリエラは部屋からほとんど出されることのないまま、ずっと客を取った。
父にも母にも伝えていなかったが、『夢食い』の力はどんどん精度を増し、顔を隠していても相手の姿は夢を通して見られるようになった。
いつからだろう。
父や母にも伝えなかったが、相手の悪夢がまるで目の前で起こる現実のように見えるようになった。
暗い路地裏での暴力、戦場での惨劇、裏切りの記憶。
客たちの心の闇が、生々しい場面となってマリエラの頭に直接伝わってくるようになった。
客の相手と、食べる悪夢を通じて、マリエラは世間を知った。
人は辛い悪夢を忘れれば、現実を疑わずに明るい未来を夢見られるのだと。
悪夢を消して、怒りを忘れて、悲しみを、恐怖を、心を巣食う辛い感情を、悪夢として、全部全部、マリエラが受け止めていけば『問題はない』のだ。
父はさまざまな有力者を顧客に持ち、絶大なお金と権力を手にした。
母は服装が明らかに派手になり、化粧品の匂いが絶えることがなくなった。
妹はすっかりマリエラを軽蔑し、見下し、マリエラの稼いだお金で美しさに磨きをあげた。
マリエラだけはずっとメイド服のまま、湿った部屋で今日も客を取る。
老若男女の体臭が混じり合うのを誤魔化すための香がたきしめられた部屋で。
マリエラは父の道具として部屋を出ないままいつしか15歳になった。
そしてその日が来てしまったのだ。
夢の中で、ルカ・アンドヴェーラ公爵令息と出会う日が。




