魔王からの挑戦状
澄んだ青空の下、草原を爽やかな風が駆け抜ける。そんな場所にポツンと小さな扉が浮かんでいる。
「これどうなってるんだろ。扉だけしかないけど」
「さぁな。造りまでは知らん」
「メレディス、怒ってる?」
何故か先程からメレディスが不機嫌なのだ。俺がメレディスの事を好きだと勘違いされるまでは元々こんな感じだったので、普通と言われれば普通だが。
「陛下から命が下ったのだ」
「え? まさか、俺を連れ戻すように?」
メレディスは首を横に振った。
「人間界の侵略を進めて行くから有給休暇はそれが終わってからだそうだ」
「人間界侵略って、やっぱ俺のせい?」
「汝のせいと言うわけではないが……きっかけはそうだろうな」
「はぁ……どうしよ」
俺が魔王のペットになれば解決するのだろうか。自分のせいで死者や負傷者が出るのは嫌だ。
俺がやや俯いていると、メレディスが頭をクシャッと撫でてきた。
「元々人間界への侵略の話は上がっていたんだ。それが少々早まっただけだ。気にする事はない」
「だけど……」
「ッたく、そんなんじゃ陛下を倒す前に他の奴にやられてしまうぞ」
「そうだけど、メレディスも敵になっちゃうんでしょ?」
一日……いや、眠っていた時間を含めれば三日間行動を共にしたので、敵ながら味方意識が芽生えつつある。複雑な気持ちでメレディスを見上げていると、メレディスは驚いた様子で言った。
「そんな訳ないだろう」
「え?」
「王より嫁が大事に決まっている」
そんな様なことは道中何度も言われたが、アデルも含めメレディス自身がいつも口にしているではないか。王命には逆らえない……と。
「悪魔を始め魔族はな、強い者に付き従うのだ。私が王より嫁の方が強いと思えば、王との契約は無効になる」
「え、じゃあ……」
「だが、本当に汝が強ければの話だ。本能で強いと思わせなければならない」
「そっか。出来るかな?」
「出来なければ、私と共に二人で逃げれば良い」
メレディスと交友関係を築くことが出来たら良いとは思うが、正直駆け落ちはしたくない。
「俺、逃げずに頑張るよ……人間界守りたいし」
「責任感の強い嫁だな。さぁ、早く行くぞ。また追手が来ては面倒だ」
「そうだね」
ドアノブに手をかけようとしたその時——。
「別れの挨拶は済んだか?」
「この声は……」
「陛下、何故ここに?」
いつの間にか魔王とグレースがいた。
急いで扉を開けて人間界に行くことも可能だが、行った所で……だ。容易く魔王に捕まるのがオチだ。
丸二日眠った為、魔力は充分に温存されている。聖剣も手に入れて、魔王城にいる時よりも多少戦える状態ではある。人間界で戦闘になって被害が出るよりも、ここで戦闘になった方が幾らかマシだ。
聖剣に手を伸ばそうとすると、魔王が言った。
「そこからは一人で帰れるだろう?」
「え、俺を捕まえに来たんじゃ……?」
グレースもそう思っていたのだろう。魔王の服の裾を引っ張りながら駄々をこね始めた。
「お父上様、何故わらわのペットを逃すのじゃ? わらわはこの者がどうしても欲しいのじゃ。そうでなければ、わらわも勇者と共に行くぞ」
「まぁ待て、グレース。一旦帰すだけだ」
「何故じゃ? 帰す必要などありませぬ」
魔王はグレースを宥めつつ、俺に対して言った。
「このまま捕らえることは容易いが、また逃げだすだろう? それならいっそ、此奴自らが我らの元に来たいと思わせる方が良いかと思ってな」
「俺が自ら……?」
「これから人間界の侵略を開始していく予定なのは聞いただろう? それを阻止してみろ。勇者なのだろう?」
魔王は挑発する様に笑い、続けた。
「自分のせいで死んでいく人間を目の前に、果たして汝は正気でいられるか? 我の元に泣いて縋り付けば、即刻侵略は中止してやる。無論、今すぐに泣いて縋りついても良いがな」
ははは、と笑う魔王。悪趣味過ぎる。人の命を何だと思っているのだ。怒りを露わにしていると、魔王は俺の前まで来て一通の手紙を手渡してきた。
「これは……?」
「恋文だ」
俺は手紙をハラリと下に落とした。
「冗談だ。侵略する場所と日付けを細かく記してやった」
俺は急いで手紙を拾いなおした。
「優しいだろう? これで知らない所で人間が死ぬなんてことはない。人間が死ねば確実に全て汝の責任だ」
封を開けて中を確認すると、魔王の言った通り、丁寧に地名や日時が詳細に書き記されていた。
「と、言う訳だ。グレース、ペットを飼うのはもう暫く待ってくれ」
「つまらんのぉ。早う降参して、わらわの元に来るのじゃぞ」
グレースの悪気のない顔を見ると、ペットに成り下がった方が精神的に楽な気がしてきた。遊び相手になるだけで無碍な扱いはしなさそうだし。
「汝がベッドの上で、どんな風に鳴くのか楽しみだな」
うっとりとした顔で魔王に見られ、先程の考えは消え失せた。
メレディスが俺を庇う様に、俺と魔王の間に入ってきた。
「陛下、オリヴァーはまだ私の嫁です。そんな目で見るのはおやめ下さい」
「良いではないか。いずれ我の嫁になるのだ」
「お言葉ですが、魔王女殿下の教育担当を一度見直して見るのは如何でしょうか? 光魔法に対抗する術さえ身につければ、何も陛下がオリヴァーに刻印を付けなくても宜しいのですから」
確かに。夫婦の刻印をメレディスのものから魔王のものに変えるというのも、そもそもグレースが光魔法に耐え得る力を持っていないからだ。
流石メレディスだ。と思っていると、魔王はグレースに聞こえないように小声で言った。
「人間の寿命は短い。それまでにグレースが習得出来ると思うか?」
「それは……」
メレディスはグレースをチラリと見て言葉を詰まらせた。つまり、無理なのだろう。
「わ、メレディス?」
メレディスにひょいっと抱き上げられた。
「オリヴァー、何が何でも人間界を守り抜くのだぞ。私達の愛を引き裂く悪魔の元になど行くなよ」
「う、うん……」
「メレディス、貴様は王に歯向かう気か? 王と嫁どちらが大事なのだ」
「嫁に決まっているでしょう」
——暫く魔王とメレディスの言い合いは続き、初めの緊張感はなくなっていた。
「よし、グレース、メレディス、そろそろ城に戻るぞ」
「いえ、私はオリヴァーを仲間の元まで送り届けます」
「そんなこと言って、人間界に居座るつもりか? 翼を失ったまま人間界に行けば自分の力で帰って来られんだろう」
「チッ」
メレディスが舌打ちした。本気で人間界に居座るつもりだったようだ。名残惜しそうにメレディスは俺をおろして言った。
「夫婦が離れ離れとは、辛いな」
「う、うん……そうだね」
「この扉をくぐれば人間界だ。ただ、迷宮になっているから転移で仲間の元まで帰るんだぞ」
「うん。ありがとう」
メレディスにお礼を言って、人間界へ続く扉を開けた——。




