みーちゃん
「良く似合うじゃない」
「そうかな」
俺は今魔界で流行っているという、黒を基調とした革製のジャケットとズボンを購入した。
「はい、これも被れば見つかりにくいでしょ」
アデルが俺に黒い帽子を被せ、ピンクの髪の毛を隠した。
「なんか、どんどん人が増えてない? もう真っ暗なのに」
「魔族は夜行性が多いからこんなもんよ」
「そうなんだ」
そう、今は日が完全に落ちた夜だ。そして、魔王城にうっかり転移してまだ半日しか経っていない。色々ありすぎて、一週間くらい滞在した気分だ。
「人間界の入り口って何処にあるの?」
「何ヶ所かあるんだけど、最短ルートが良いでしょ?」
「うん」
魔界と人間界の入り口は、誰でも彼でも行き来されては困るので魔界は魔王が、人間界は大司教がそれぞれ管理をしている。
管理と言っても、結界を張って、ある程度の魔力や能力がなければその出入り口が見えないようにしているだけだが。特に大司教は、人間を魔界に紛れ込ませたらまずいと言って、魔界の入り口に迷宮を作って更に分かりにくくしているのだとか。
アデルに付いて歩いていると、ある店の前でアデルが立ち止まった。
「アデル? お腹空いたの?」
「ううん。人間界の入り口がここにあるのよ」
「え、ここ酒場じゃないの!? こんな所に!?」
ここは、魔王都の中心部と言っても良いほど人で賑わっている。そんな所に堂々と佇む酒場に人間界の入り口があるとは夢にも思わなかった。
「知っているのはごく一部の魔族だけよ。しかも条件があるから、人間界に行けるのは更に限定されるわ」
「アデルって実は凄い魔族だったんだね……メレディスの従兄妹だし」
「家柄が良いだけよ。オリヴァーも知っての通り、サキュバスとしては有能じゃないもの。とにかく、入りましょう」
「うん」
緊張しながら、酒場の扉をカランッと開けて一歩足を踏み入れた。
◇◇◇◇
俺とアデルは一番奥の席に通された。テーブルの上には、何か分からない生き物の煮物やソテー等、様々な料理が並んでいる。そして大きな鍋の中には、これまた何が入っているのか聞くのが怖いくらい真紫の液体が入っている。
「アデル? 条件って、まさかこれ?」
「そうよ。普段はお酒で大将と勝負なんだけど、まだ飲めないでしょ? だから、時間制限内にこれが完食出来たら大将が扉を開けてくれるのよ」
「へー……」
お酒が飲めることをこんなに羨ましく思ったことはない。
「それにしても、こんなこと誰が考えたの? てっきり戦って勝利したらとかかと思った……」
人間界に行くのに大食いに早食いとは、ノリが軽すぎる。
アデルからは予想通りの返答が返ってきた。
「魔王様よ」
「遊び心満載だもんね……」
俺が机の上の食事に圧倒されていると、狼型の魔族の店主が上機嫌にアデルに話しかけた。この店主がアデルの言う大将のようだ。
「アデルちゃんは今日はしないのかい? 酒でワシに勝てるのはアデルちゃんくらいなんだが」
「へー、アデルお酒強いんだ」
「まぁね。でも、今日は何があるか分からないから見とくだけにするわ。ほら、追手が来る前に終わらすわよ」
「う、うん」
大将が砂時計を手に持った。
「では、いくぞ。スタート」
大将の合図と共に砂時計がひっくり返された。
「う……」
改めて食事を見ると食べられる気がしない。量もだが、ビジュアルが悪すぎる。
「オリヴァー、何やってるの! 早く食べないと人間界行けないわよ!」
「そうだった」
今はとにかく人間界に戻って魔王の手から逃れなければ。
俺は近くにあったトカゲのような、魚のような、よく分からない生き物の素揚げをパクッと食べた。
「うまッ。あ、こっちも美味しい」
その見た目とは裏腹に、どの料理も美味しい。それに、良く考えたら朝食を食べてから何も食べていなかったのでお腹も空いていたようだ。食べる手が止まらない。
「大将の料理は魔界一なのよ」
「それ先に言ってよ。ビビって損した」
パクパクと順調に食べ進めていると、大将が嬉しそうに食器を下げていった。
「良い食べっぷりだね! 作った甲斐があったよ」
「あい。おいひいでふ」
「完食したら魔王陛下と記念撮影も出来るからね。先に呼んどこうか?」
「う、ゲホゲホッ」
大将の言葉に驚いて、何かの丸焼きを喉に詰まらせてしまった。
「オリヴァー大丈夫!? ほら、水飲んで!」
「あ、ありがとう。大将、よ、呼ばなくて大丈夫です。畏れ多いですから」
「そうかい?」
大将は残念そうにしているが、魔王を呼ばれると逃げている意味がない。
——それから十分くらい経った頃。
どうしよう。残り半分以上あるのにお腹がいっぱいになってきた。元々そんなに食べる方ではないので、この量はキツい。大きな真紫の鍋はまだ一口も口をつけていない状態だ。
「アデル、手伝ったりは……」
「ダメに決まってるでしょう。もう食べられないの?」
俺が小さく頷くと、アデルは困った顔で大将に聞いた。
「大将、刻印の精霊が食べるのは問題ないわよね?」
「ああ、刻印の精霊は一心同体だからね。ただ、刻印の相手が突然満腹で苦しむかもしれないけど良いのかい?」
つまり、メレディスは目覚めた瞬間、意味もわからず満腹で苦しむのか。可哀想だが、アデルは即答した。
「問題ないわ。さぁ、そういうことだから精霊に食べさせなさい」
「アデル? どうやって出すの?」
精霊とは刻印から出てくる黒い龍のことなのは何となく分かる。しかし、その龍は浮気現場に勝手に現れるだけだ。出し方が分からない。
「呆れたわ。精霊の呼び出し方も知らないなんて」
「ごめん……」
「まず名前を付けてあげるの。で、名前を呼べば出てきてくれるわ」
「名前かぁ」
名前を考えている間にも砂時計の砂は着々と落ちている。
「じゃぁ、『みーちゃん』で」
これは、我が家でノエルがペットに付ける名前だ。小鳥でもカエルでも、何にでも『みーちゃん』と名付けるのだ。
「みーちゃん、出ておいで」
そう呼べば、刻印の精霊のみーちゃんが出てきた。その大きさに圧倒され、大将も感嘆の声を上げた。
「おお、これはメレディス坊ちゃんのとこのかい? 黒龍は初めて見たよ。立派だねぇ」
「え、どれも龍じゃないの?」
「違うわよ。これも家柄が関係してるの。犬だったり、ネズミだったり、それぞれよ」
ネズミだったら浮気防止になんてならなさそうだが……。そんなことを考えながら、みーちゃんにお願いした。
「みーちゃん、これ全部食べてくれる?」
「グワァァ」
みーちゃんはひと鳴きしてから、テーブルの上にある皿ごと全て吸い込んだ。
「うわ、凄ッ」
初めからこうしていれば一瞬で人間界に行けたのではなかろうか。そんな狡いことを考えながら、俺はみーちゃんを撫でた。
「では、完食ということで」
大将が壁をトントンと叩くと、扉が現れた。
「あと、これ。サービス」
大将が大剣を手渡してきた。
「これは?」
「聖剣と言うらしい。前に勇者と名乗る者が忘れて帰ったんだ」
「え、聖剣!?」
「我々魔界の者には使い道がないからねぇ。人間界で売ったらお金になるから持っていくと良いよ」
「あ、ありがとうございます」
俺は聖剣を手に入れた。
「オリヴァー、まずいわ。魔王様に気付かれたみたい。あなたを捕まえるように指示が出たわ」
「え……」
大将を含め、酒場にいた魔族達の目の色が変わったのが分かった。




