無詠唱
日は完全に沈み、代わりに月の光が辺りを照らしている。満天の星が輝き、とてもロマンティックだ。ここが墓場でなければ……。
墓場では、棺桶が掘り起こされ、十字架が月明かりに反射して不気味に光っている。
棺桶の前では悪魔が立ち、拘束から解放されたベンが跪いて悪魔に懇願している。
「さぁ、悪魔様。妻を、妻を生き返らせて下さい」
「引き換えに何をくれる?」
「あそこにいる子供達の命を……十一人おります」
ベンが俺達の後ろにいる孤児を指した。
「この子達に手は出させない」
俺は光のシールドで孤児を覆い、その前に立ちはだかった。キースとエドワードも前に出てきて言った。
「生き返らせるのは勝手だが、自分の命を使ってやってくれ」
「そうだ。子供たちは関係ない」
ジェラルドは……。
「こっち見んなよ。いざとなったら出てやるから」
死体が生き返るところを間近で見たくないのだろう。やや離れた場所にいるリアムとノエルの間に立っていた。
「いや、良いけどさ……うわッ!?」
前に向き直った瞬間、目の前に悪魔がいた。しかも鼻と鼻が触れ合うのではと思うくらい至近距離に。
「お前……!」
「オリヴァー、逃げて!」
キースとエドワードも突然のことで、反応が遅れた。二人同時に悪魔に剣で斬りかかったが、悪魔が片手を上げると、闇のシールドが現れて二人は弾き飛ばされた。
悪魔は、俺の首からぶら下がっている鎖を手に取って言った。
「汝が欲しい」
「汝って……俺?」
つまり、俺の命と引き換えにベンの妻を生き返らせると……?
初めて死の恐怖を感じた。今までも死にそうな場面はあったが、その比ではない。
「悪魔様、それは我が娘のリリーです。それだけはお許し下さい! 子供ならこちらに沢山いますから!」
ベンが悪魔に縋り付こうとしたが、悪魔は鎖を持っていない方の手をベンに向けると、闇の球がベンを襲った。
「うッ……悪魔様、リリーだけは駄目です!」
「うるさい。私の自由だ」
無表情だった悪魔がニヤリと笑った。
「特別サービスだ」
悪魔が指をパチンと鳴らすと、地響きがし始めた。ベンが掘り起こした棺桶も、カタカタと音を鳴らして揺れている。
俺は冷や汗を流しながら、恐る恐る悪魔に聞いてみた。
「何をしたんだ……?」
「気分が良いからな。ここに眠る者全てに魂を吹き込んでやっただけだ」
「全て……?」
「まぁ、肉体までは元に戻らんがな。ついでに自我もないぞ」
「なっ!? それってただのゾン……」
棺桶の前にいたベンが歓喜の声を上げた。
「リュシー? リュシーなのか?」
そう言ってベンは、棺桶から出てきたリュシーと呼ばれるゾンビの手を取った。
「リュシー、会いたかったぞ。リリーもいるんだ。そうか、そうか、リュシーも嬉しいか」
ベンは喜びの声を上げるが、どう見てもゾンビに頭を齧られている。血まで流れている。
ジェラルドは身震いしながら言った。
「あいつ、とうとう狂っちまったな……て、何だよ、この数のゾンビは!?」
地面から手がニョキっと出てきては、ゆっくりと這い上がってくる。中には、ゾンビ同士で土から引き上げ合ったりしている者もいる。その数、ニ百……いや、三百体は有に超えている。
エドワードがゾンビを剣で斬りながら叫んだ。
「大変だ、村の中心部に流れて行ってる」
「だが今はオリヴァーだ。仲間も救えない奴が村人なんて救えるか!」
纏わりついていたゾンビにキースは思い切り短剣を振るうと、短剣からボワッと炎が吹き出した。
「わ、これすげぇ」
レア魔石の効果だろう。斬られたゾンビは火だるまになり、その隣にいるゾンビにも引火した。そして、その周囲は勝手に自滅していった。
リアムとノエルは、ジェラルドが近くにいたおかげで氷のシールドの中にいた。ひとまず安全そうだ。怖がりなのも、たまには役に立つものだ。
参戦したい所だが、今はそれどころではない。どうにかしてこの悪魔から離れなければ……。
悪魔の顔を見ていると、ふと思い出したことがある。
『誰よ、こんなの出すのは』『その攻撃は通用しないわ』
俺が魔法でただ光を出した時にアデルに言われたセリフ。サキュバスのアデルも悪魔だ。つまりこの悪魔にも光魔法は有効なはず……。
ただ、詠唱の時間は与えてくれないだろう。俺は手元にポゥっと光の玉を作り出した。
悪魔は顔を歪めた。そして、そのまま俺から離れ……ない。
「何をしている?」
「えっと……」
まさか、何ともない?
アデルはあんなに苦しがっていたのに……。
細やかな抵抗ではあるが、俺は手にある光の玉を空中に浮かべて、悪魔の上でパチンと弾けさせた。すると、悪魔の身体にキラキラと光の粒子が舞い降りた。
それが悪魔の皮膚にくっつくと、ジュッと一瞬何かに焼かれたような音がなり、皮膚が爛れた。
見ていて痛々しいが、効果はあるようだ。ただ、この後どうするか何も考えていなかった。
悪魔は怒っているのだろう、俺をじっと見据えている。
「汝……」
「あ、ごめんなさい……そんなつもりはなくて……」
このまま死ぬのかと思ったら、つい言い訳が口から出てしまう。
謝るくらいなら詠唱すれば良いのに、と言われるかもしれないが、ピンチに直面すると冷静な判断と行動が出来ないのが人間だ。
「汝……そんなに嬉しいのか?」
嬉しい? そんな訳あるはずがない。魂を悪魔に捧げるなんて死んでも嫌だ。
俺は涙目になりながら、プルプルと首を小さく横に振った。
「その顔堪らんな」
悪魔が、じゅるりと涎をすすると同時に、今まで無かった角と尻尾と羽が生えた。
「王に横取りされる前に付けておくか」
悪魔の牙が俺の首筋に近付いてきた。
「ひっ……」
殺される、殺される、殺される——。
「夫婦の刻印」
「死にたくない!」
そう叫んだ瞬間、眩い光が俺の手から放たれた。悪魔は雷に打たれたようにピタリと止まった。同時にパッと闇のシールドも消えた。
「あれ……詠唱してないのに魔法が……」




