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貴族から孤児へ

 夕暮れ時。薄暗い路地裏で俺はショーンを抱いて、虚ろな目をしながら地べたに座っている。髪はボサボサで服も薄汚れ、所々ほつれている。


 道ゆく人は哀れな目を俺に向けてくるが、話しかけては来ない。見て見ぬふりだ。世の中の非情さを痛感した瞬間だった。


 綺麗な格好をしている時は気軽に話しかけてくるのに対し、ひと度姿が変われば誰も気にかけてくれる者はいない。


 俺はこのままここで一人、誰にも気付かれず死んでいくのだろうか。そんな不安に駆られていると、一人の男が声をかけてきた。


「君、一人? お父さんかお母さんは?」


「……いないよ」


 俺は虚ろな目で男を見上げた。男は優しく微笑んで手を差し伸べてきた。


「うちにおいで。暖かいスープをご馳走するよ」


 男の手が一筋の希望の光のように思えた。


「うん」


 俺は男の大きな手を取った——。


 何故俺がこんなことになっているかというと、時は昼前に遡る。


 俺は平民の古着を購入し、地べたを転がり回った。


『どう? 良い感じに汚れた?』


『もう少々、衣服が破れた方が良いかもしれませんわね』


『分かった』


 俺は下に落ちていた木の枝を衣服に引っ掛けて引っ張った。


『良い感じですわ! さすがお兄様、変装もお上手ですわね』


『変装って程じゃないけど……』


 俺は平民の孤児に変装した。ベンの屋敷に潜入する為に。


 あれから更に三日張り込んだが、子供達に接触はできなかった。時間も勿体無いので、俺は堂々とベンに招き入れてもらうことにした。


 しかし、ノエル以外はその行為に反対している。


『一人じゃ危険すぎるよ。せめて僕も一緒に』


『エドワードの言う通りだ。俺も付いていくから、一人で無茶すんな』


『元はと言えば僕のせいだ。僕が付いて行くよ』


『だって三人とも子供に見えないじゃん』


 悔しい事に俺以外の三人は実年齢より上に見える。三人共背が高く大人っぽい顔立ちをしているので、十五歳、いや十六歳とサバを読んでもバレないだろう。そして、俺は反対にノエルと同じ十歳でもいけそうな程に幼く見える。


 十六歳くらいまで孤児院で暮らす子もいるが、この国では十二歳から働ける。わざわざ十二歳を超えた、しかも男を新たな孤児として迎え入れる人は少ない。


『ごめん、僕が余計なこと言ったから』


『リアムのせいじゃないって』


『くそっ、オレが後十歳若かったら……いっそオレが乗り込もうか。あの男を気絶させて……』


『キース、犯罪紛いな事はもうしないって約束でしょ』


『はい……』


 このようなやり取りが、ざっと十回は行われた。


 ちなみにノエルに限っては、実の妹なのに全く心配をしてくれない。むしろノリノリだ。


『髪の毛も少し絡ませた方が宜しいかしら。お兄様、少々お待ちください』


 ノエルが櫛で上手に髪の毛をけばだたせ始めた。


 心配され過ぎもやや鬱陶しいが、心配されないのもそれはそれで悲しいものがある。


『ノエルは心配してくれないの……?』


『心配ですか? していますわよ』


『え? 本当に!?』


 俺は嬉しくなって、後ろで髪をセットしているノエルの方に振り向いた。すると目が合ったノエルは残念そうに眉を下げた。


『お兄様が不在の間は、執筆が進まないので何をして過ごそうかと思いまして』


『あー、そっちの心配ね……』


 俺は前を向いて肩を落とした——。


 という訳で、今俺と手を繋いでいる男はベンだ。


「一人で辛かったろう? もう大丈夫だからね」


「……うん」


 こんなに早くに見つけてもらえるとは思っていなかったので内心とても喜んでいるが、俺の顔は虚無だ。


「あー、でもその猫は……」

 

 ベンの優しそうな目がショーンを捉えた。


 俺はショーンをギュッと抱きしめ、その場に立ち止まった。


「ショーンも一緒じゃなきゃヤダ。行かない」


 ベンは俺の目線まで腰を下げ、困った顔をしながら言った。


「実は私の家にいるのは君だけじゃないんだ。分かって欲しい」


「ヤダヤダ。ショーンが一緒じゃなきゃヤダ」


 俺が頑なにショーンを離さないのには理由がある。正直一人で潜入するのが不安なのもある。しかし、ショーンは情報の伝達役だ。


 あれだけ厳重なら、俺も外との接触は絶たれるはず。何もなければこっそり逃げ出せば良いだけだが、ベンに不穏な行動が見られれば助けが必要だ。


 それに、俺が何日ベンの屋敷に滞在するか分からない今、ジェラルド達も気が気でないだろう。猫のショーンなら少しの隙間さえあれば抜け出せる。情報伝達役にはもってこいだ。


 ベンは俺の根気に負けたのか、眉を下げて笑った。


「分かったよ。君がしっかり責任持って世話をするんだよ」


「良いの!? おじさんありがとう!」


「パパ」


「え?」


「おじさんじゃなくて、私の事はこれからパパって呼ぶんだよ」


 その優しい笑顔に何故か背筋が凍った。


「はい、パパ」


「良い子だ。ここが今日から君の家だよ」


 朝まで見張っていた屋敷の扉の前に立った。俺は緊張した面持ちで、ベンが扉を開けるのを待った。


 ギィィィ。


 不気味な音を立てて開いた扉の中に、一歩足を踏み入れた——。

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