4 婚約解消、その後の人生計画
シード伯爵家との婚約は、三日後には解消の手続きが取られた。
シード伯爵自らギャレット家を訪れたが、ルーカスは同行しなかった。
「あのような場で、婚約を破棄するなど…。フェリシアを傷つけてしまったことを申し訳なく思っている」
ルーカスに代わり伯爵から謝罪を受け、ギャレット子爵もフェリシアもそれを淡々と受け入れ、手続きは終了した。
卒業パーティ以降、学校に行けなくなったフェリシアは領に戻った。既に試験も終わっていて、その後すぐに長期休みに入ったので休学扱いにはならなかった。
ギャレット子爵家には、フェリシアが傷物になった前提で少々無茶とも思える縁談が持ち込まれるようになった。フェリシアは間もなく十六歳になるが、もう結婚に希望は持てなくなっていた。
幸い弟は元気に育っており、将来はこの領を継いでくれるだろう。自分が結婚しなくても家には問題はない。しかしずっとこの家で養ってもらうのも父や弟に迷惑をかけてしまうだろう。
レオナルド商会の会頭代理の名前はジャスティン・レオナルドだと聞き、新しく買ったハンカチにイニシャルの刺繍を入れてみた。ジャスティンが父の用事で家に訪ねてきた時、ハンカチを渡して先日の礼を言った。ジャスティンは軽く会釈して受け取ってくれた。
結婚はさておき、レオナルド商会に仕事を斡旋してもらえれば独り立ちできるのではないか。そう思いジャスティンに聞いてみると、フェリシアが刺繍したイニシャルを見て、
「うーん、お針子は無理そうだなぁ」
とにやにや笑われた。
「じゃあ返して!」
フェリシアがハンカチを取り上げようとすると、
「もうもらいましたから、俺のもんです」
と早々にポケットにしまい込んだ。
「平民と同じ仕事でよければ探しますが、学校を出た方がいい仕事に就けるんですがね…」
学校をやめて今すぐにでも仕事に就きたい気持ちはあったが、今後を考えると我慢してあと二年学校に通ったほうがいいのかもしれない。
どうしたらいいか悩んでいる中、突然父から新たな縁談を告げられた。
「…おまえに、縁談が来ている」
父の様子から、どうしても断れなかったものらしいことは察せられた。
「オークウッド伯爵が、おまえとの婚姻を望んでいる。おまえの面倒を見たいと」
オークウッド伯爵。それはルーカスが選んだエレナの家だ。エレナの父はオークウッド家の嫡男、次期伯爵だ。ということは、今の伯爵はエレナの祖父…。
フェリシアは目の前が真っ暗になった。
今のオークウッド伯爵は六十代半ば、長年連れ添った奥方も健在だ。婚姻ということは、第二夫人だろうか。よりにもよって、あのエレナのいる家に…。
「いや…。そんなの、嫌よ」
フェリシアはその場にへたり込み、体を震わせた。
「卒業パーティの招待状をおまえに送ったのはエレナ嬢だったようで、孫の不始末を詫びたいと、伯爵直々の強い要望で…。すまん…。どうしても我が家から断ることはできず…」
父の苦々しい表情を見て、これはもう決まったことなのだと悟った。
「二週間後に、王都のオークウッド家に行くように。身一つで気軽に来てほしいそうだ。必要なものは向こうで用意すると…」
フェリシアは書斎を飛び出し、自室に戻ると部屋に閉じこもり、ずっと泣いていた。ひとしきり泣いて、いつの間にか寝てしまっていたが、翌日泣き腫らした目で父の書斎を訪れた。
「オークウッド家に、行きます。わがままを言ってすみませんでした」
そう言ってうつむく娘に、父は目元を手で隠し、
「…すまない」
とつぶやいた。
身一つでいいと言われても、馬鹿正直に信じる訳にはいかない。当面の暮らしに必要な程度、大きなカバン二つに収まるだけの着替えや日用品をまとめ、一週間後、両親や弟に別れを告げて領を出た。その間ジャスティンが領に来ることはなかったので、もう仕事のあっせんは不要になったこと、嫁ぎ先が決まって王都に行くこと、そして世話になった礼を書き添えた手紙を父に託した。
所詮平民になって仕事をするなど、夢だったのだ。
縁談がなければ、仕事を父に反対されても家出することだってできただろう。しかし伯爵家の中でも有力なオークウッド家に逆らい、逃げたりすれば、ギャレット家のような田舎の小さな領など簡単にひねり潰されてしまう。
逃げることさえ許されない。
王都に向かう馬車の中で、フェリシアは何度も涙を流した。お守り代わりに持ってきたジャスティンからもらったハンカチは、今日も涙と一緒に鼻水を吸っていた。