3 卒業パーティ
フェリシアが修学して二年、ルーカスは卒業を迎えることになった。
久々に届いた手紙。そこには卒業パーティの招待状が入っていた。添えられた手紙には短く
卒業の記念パーティに出席してほしい
と書かれていて、フェリシアは驚いた。誘われるとは思っていなかったが、それにしてもこんな手紙で済ませるなんて。
卒業パーティには恋人や婚約者を連れて行くのが一般的と聞いている。立場的に婚約者を同行しないわけにいかなかったのかもしれないが…
ドレスが贈られてくることもなく、衣装の打ち合わせもなかったので、色目を揃えることもないのだろう。フェリシアは自分の手持ちのドレスを身に着け、エスコートも受けず、家の馬車で一人学校に向かった。学校の行事なのだからそんなものかとフェリシアは思っていた。
しかしこの日は貴族のパーティに準じた扱いで、皆本命であれ臨時であれパートナーを伴っていた。学校まで行ったものの、一人で会場に向かうにはあまりに場違いで引き返そうとした時、近くにいた男子学生がフェリシアを見て声をあげた。
「ああ、来たぞ、こいつだろ? ルーカスの図々しい婚約者」
よくルーカスと行動を共にしている学生だった。ニヤニヤと笑いながら二人の学生が寄ってきて腕をつかまれた。人が大勢いる場所ではあったが、男二人に腕を引かれ、強引に会場の中に連れて行かれたフェリシアは恐怖で身がすくんでいた。
連れて行かれた会場ではルーカスとエレナ・オークウッド伯爵令嬢が腕を組んで楽しそうに話していた。色を揃えた衣装、フェリシアには見せなくなった笑顔、親密な間柄にしか許されない距離。
これを見せるために、あえて呼び出しを?
「おい、ルーカス! 見ろよ!」
男がフェリシアの背中を強く押した。危うく転倒するところを何とか踏みとどまったが、数歩飛び出たフェリシアは周囲の目を引いた。
「…! フェ、フェリシア…、なぜここに…」
ルーカスはフェリシアを見るなり驚き、うろたえていた。ということは、ルーカスが呼び出したのではないのか。隣にいたエレナは慌てた様子もなく、フェリシアに口元だけの笑顔を向けた。
「フェリシアさん、卒業パーティにわざわざお越しになるなんて。今更ルーカスの心を取り戻せるとでも思っているのかしら。ほら、ルーカス、教えて差し上げて?」
エレナはルーカスの腕を引いてフェリシアに近づいてきた。
「あ、ああ、…」
後ろにはここまで連れてきた男達が立っている。足がすくみ逃げることもできず、二人と向き合うしかない。
周囲は興味津々で成り行きを窺っている。大半は上級生で話したこともないが、中には同じ学年の者もいた。しかし手を差し伸べてくれる者はいない。
エレナはルーカスを見上げて笑みを浮かべ、そのまま顔をゆっくりとフェリシアに向けた。
「私のことを愛してるって、さかしげな婚約者なんてうんざりだって、そう言ってたでしょ?」
否定しないルーカス。
「あなたが選んでくれたこのドレス、とっても気に入ってるの。指輪だって…」
フェリシアに見せびらかすように手の甲を見せつけてくる。指輪の色はルーカスの瞳と同じ深いグリーン。エレナの言葉を聞いているうちに、恐怖心が怒りに変わっていった。
「…婚約を解消したいなら、そう言えばいいのに」
ぼそりとそう言ったフェリシアに、ルーカスもエレナも驚いた顔をした。二人はフェリシアが婚約にしがみついているとでも思っていたのだろうか。
「こんなお祝いの席に呼び出さなくたって。手紙をくれるなら、むしろ婚約をどうしたいのか、あなたの気持ちを書けば良かったでしょう?」
「手紙?? 何のことだ」
思った通り、あの手紙はルーカスが送ったものではなかった。恐らくエレナか、後ろにいる男が仕組んだのだろう。二人の中途半端な関係を何とかしたくて、わざわざ大勢の証人がいる前で婚約を破棄させるつもりで。
「ルーカス、ちゃんとあの子に言ってやってよ! いつもみたいに!」
エレナはルーカスの腕に強くしがみついた。
フェリシアはルーカスの様子を黙って見つめていた。
「お、俺は…」
目をそらせ、幾分か言いよどんだ後、ルーカスは言った。
「エレナと、結婚したい。…おまえのように、会うたびに領の話しかしないような女、愛せるもんか。婚約なんか、ずっと、…ずっとやめたいと思っていた!」
ずっと我慢していた心の蓋を開け、興奮したのか、ルーカスの声は叫びになっていた。
「俺は、おまえとの婚約を破棄する!」
静まった会場。
華々しい旅立ちを祝う会場の空気がずっしりと重みを増した。
表情を失ったフェリシアを見て、ルーカスははっと我に返った。
こんな大勢の人の前で言うようなことではなかった。しかしどんなに頼んでも父はエレナとの結婚を認めず、フェリシアとの婚約の解消を許さなかった。卒業したらエレナと会う機会は激減してしまう。ずっと一緒にいた時間が失われてしまう。
いつからフェリシアへの罪悪感を感じなくなっていたのだろう。会って話をしても子爵からの伝言を聞かされているだけで面倒だと思っていた。会わないでいるのが楽だった。
自分の言葉に傷ついたフェリシアを見るまで忘れていた。
フェリシアは妹のようで、家族のような存在だったことを。
自分の幸せを邪魔するだけの憎い「婚約者」ではなかったことを。
「わかりました」
フェリシアはルーカスとエレナに深々と礼をした。そして、会場にいた卒業生に向けて、
「卒業される皆様のご多幸をお祈りしています。…お幸せに」
と言い残し、一礼の後、会場を後にした。
こんな早くに帰ることになるとは思いもせず、迎えは当面来ない。しかしこれ以上こんな所にいたくなかった。
一人歩いて家へと戻り、あふれる涙をそのままにして足を速めた。
好かれていないことも、自分への関心を失っていることもわかっていた。それでもはっきりと言われた言葉は、時間が経つにつれてより深く心に突き刺さっていった。
そんなに自分が邪魔だったのだろうか。そんなに煩わしかったのだろうか。
「お嬢さん、どうしました?」
すぐそばで荷馬車が止まり、声をかけられて顔を向けると、レオナルド商会の会頭代理が驚いた顔でフェリシアを見ていた。
「こんなむさい荷馬車で良ければ、送りますよ」
フェリシアはこくりと頷いて、荷物がたっぷり載った荷馬車の馭者台に座った。荷馬車は領でも乗り慣れていたが、ドレスで座るのは初めてだった。
「どうぞ」
会頭代理から差し出されたハンカチを受け取った。
「鼻水も拭いていいですか?」
「遠慮なくどうぞ。ハンカチも本望だ」
許可をもらって本当に遠慮なく涙も鼻水も拭き取った。
「今日は確か王立学校は卒業式…。ふーん…、フラれましたか」
ドレス姿で泣きながら歩いていたのだ。察するところはあるだろう。しかしけろっと言われたのがかえって気楽だった。
「そんなところです」
「シード伯のとこのぼんくら君でしょ? よかったんじゃないですか?」
領に頻繁に出入りし、顔も見知っているが、自分の婚約者のことを知っているとは思わなかった。さすができる商人は違う、とその情報収集力に感心した。
「婚約がなくなるのは正直言うとほっとしてますけど、…あんないっぱいの人の前で『婚約破棄だ!』なんて叫ばれると、ちょっと堪えちゃいました」
へへへ、と自虐的に笑うフェリシアに、会頭代理は軽い調子で
「じゃ、フリーですか。それなら次、立候補していいですか? 平民でも」
「その手の冗談は、今はちょっと受け止められません」
急に怖い顔になったフェリシアに、
「おおこわっ」
と口では言いながらも、少しも怖がる様子はない。変わることない笑顔で
「何かあったら力になりますから」
と言われると社交辞令でも不安が消えていき、フェリシアにも自然と笑みが戻ってきた。
「…て、俺なんかが関わったら、子爵に怒られるかな」
「殺されるかも」
「ですよねー」
この話はそれで終わり、その後は、エスメラルダ公女の好きな宝石はエメラルドではなくルビーだったことや、隣国で採掘された一番大きなルビーを大公が購入したとか、そのルビーの加工先を探しているとか、そんな話をしているうちに家に到着した。玄関で執事が出迎えてくれたが、家に入るまでずっと見守っていてくれたのを心強く思った。
軽く振られた手に小さく振り返し、少しだけ、平民になってもいいかも、と思ったのもつかの間。
卒業パーティで婚約破棄された貴族令嬢を取り巻く現実は、甘くはなかった。