2 領の話
ギャレット子爵領で新たに製作した草刈り鎌が使いやすいと評判がよく、近隣の領からも発注が来るようになった。王都には人が集まる。商品を置いてくれる店があれば、北部以外でもこの鎌の使いやすさを売り込めるだろう。子爵は王都での販売代理店を探していた。
その話を聞き、シード伯爵領のルビー商会が王都に支店を持っているのを思い出し、フェリシアはルーカスに声をかけてみた。
「新しい草刈りの鎌が売れ行きがいいの。持ち手の角度を工夫して、補助ハンドルをつけてみたらとても使いやすくなって、時々他の領からも問い合わせがあるのよ。それで王都でも売ってみようかと商品を取り扱ってくれる店を探しているのだけど、伯爵様の領にあるルビー商会なんて適任じゃないかと…」
その話を聞いたルーカスは声をあげて笑った。
「王都で草刈り鎌を売るのかい? 田舎じゃ売れるかもしれないが、ここじゃ必要としている人なんていないさ」
「王都には領主様が多くいらっしゃるもの。まずは多くの方に見ていただく機会を作って…」
「まあ、そうだなぁ。…考えておくよ」
ルーカスはそう答えたが、それから一週間経っても何の返事もなかった。
同じ頃、ギャレット子爵領を訪れた商人がこの草刈り鎌を高く評価し、王都で見本品を置いてくれることになった。どこかの農園主が気に入ってくれたことから口コミで広がり、遠く東部の領からも大口の購入依頼が来た。草刈り鎌の切れ味の良さから領で作る刃物も評価され、農具だけでなく鋏や包丁なども売れるようになり、ギャレット領のマークのついた刃物は王都で人気商品となった。
「王都のレオナルド商会が君の所の刃物を優先的に扱ってるそうじゃないか。うちの領にも王都に店を出している商会があるんだよ。声をかけてもらいたかったなぁ」
シード伯爵にそう言われ、ギャレット子爵はルーカスが伯爵に話をしていなかったことを知った。しかしギャレット子爵は、娘が一番にルーカスに話をもっていったことはあえて言わなかった。
「領に来た商人が草刈り鎌を気に入ってくれてね。話をしているうちに意気投合して、試しに王都の店で置いてもらったんだよ。それが縁で他の刃物もお願いすることになったんだ」
「ああ、うちも東の牧場で導入した奴だな。小さな工夫であそこまで使いやすくなるとはなぁ」
草刈り鎌の試作品ができた時も、友人であるシード伯爵に見せ、興味を持ってもらえた。完成品をいくつか買ってもらっていたので商品の評価はつくはずだ。娘が嫁ぐシード伯爵領の利になればと思ったのだが、気に入らなかったのならともかく、親子で話もしていないとは。
よく言えばおおらか、悪く言えば他人任せなルーカス。一人息子で甘やかされているのは知っていたが、伯爵家嫡子としてあまりにお粗末だ。
ギャレット子爵は、家に戻ると娘にルーカスのことを尋ねた。
「おまえはルーカス君にあの鎌の販売代理店のことを話したと言っていたな?」
「ええ。…でも、興味を持っていただけなかったようです」
「今日、シード伯爵に代理店を立てたことを初耳のように言われたよ」
まさか伯爵に相談もしていないとは思わず、フェリシアは驚きを隠せなかった。それは伯爵家嫡男として成すべきことさえできていないことへの驚きだ。娘の反応が領を担う者としてまともだと思えたからこそ、ギャレット子爵は二人の関係に疑問を持った。
「…彼とは、うまくいっているのか?」
父からの問いに、フェリシアはどう答えればいいのかわからなかった。
「同じ学年のご友人と過ごされることが多く…。卒業までの間だからと優先したいお気持ちがあるようで…」
「その中には女性もいるのだろう?」
ルーカスとよく集まっている友人の中には女性もいた。いつもルーカスの隣にいるのはエレナ・オークウッド伯爵令嬢。オークウッド家の嫡男の娘だ。二人きりでいるのを見たことがある訳ではないが、腕を組んで歩いているのを見かけたという人もいた。あの集団の中で二人が特に親密なのは遠くで見ていてもわかる。
「学生時代の出会いが卒業と同時にすべて切れる訳ではない。それは友情もだが、愛情もまたそうだ」
「すみません、ルーカス様のお心をつなげておくことができず…」
「おまえだけではない。領の事にも無関心すぎる。あれで嫡男が務まっているのかはなはだ疑問だが、…見切りをつけるなら早めに言いなさい」
いくら父親同士が親しいとは言え、相手は伯爵家だ。そう簡単に婚約を取りやめることはできないだろう。父親同士の、領の関係を悪くしてしまうことにもなる。
それでも、ルーカスのことを冷静に判断し、自分を気遣ってくれる父の言葉がフェリシアには嬉しく、
「…はい」
と返事をしながらも、何とか婚約者として認めてもらえるようにしなければと気を引き締めた。
「うちの領で育ちが悪かったオレンジの新品種の苗を、南部のダニング伯爵の領で育てていただいてたんですけど、ようやく収穫できるようになったみたいです」
「へえ」
「とても甘くて評判がいいようで…」
「いいとこ取られただけか。それは残念だったな」
「オコナー大公の公女様がご結婚なさるそうですね」
「なかなか嫁のもらい手がないと噂されていたらしいが、あんな姫でも引き取ろうなんて、よほど金でも積まれたかな」
「…そのお話、どこで」
「みんな知ってるさ。有名な話だ。知らなかったのかい?」
「今年は雨が少なくて、ブドウの実りがあまり多くなくて…。その分、もしかしたら当たり年になるかもしれません。もしよければ、伯爵様に先んじてご予約いただいても」
「ま、味を確認してからだな。今年ももらえるんだろう?」
やがて、フェリシアは父から
「もうルーカス君には何も言わなくていい。無理に会う必要はない」
と言われた。
フェリシアが王立学校に入学して一年と半年が過ぎていた。
苗木提供の縁で、ギャレット子爵領にダニング伯爵領から南の果実を手頃な価格で取引してもらえるようになった。
フェリシアがルーカスに新しいオレンジの話をして二週間。ギャレット子爵は待っていたがやはりシード家からは何の連絡もなかった。その間に刃物の取り扱いをしてくれたレオナルド商会がこの話を聞きつけ、北部の周辺の領への販売もまとめて引き受けると言い、レオナルド商会に任せることにした。
ダニング伯爵とはこれからも苗や新品種の開発で協力していくことになり、柑橘類だけでなくギャレット領のワインにも関心を寄せてきた。今年のブドウの出来を話し、五年前のヴィンテージイヤーのワインを出せば、ダニング伯爵は先行投資だと数樽分予約を入れた。
そして時を置かずレオナルド商会も大口の予約を入れてきた。思いがけない予約数に、
「味見してからでもかまいませんよ」
と言ったのはギャレット子爵の方だったが、レオナルド商会の会頭代理ジャスティンは自信を持って答えた。
「ブドウ畑にも足を向け、農家の方のお墨付きをいただいてます。今年のワイン、是非、私共に商売させてください」
野心を隠さない笑顔に、ギャレット子爵はこれまでの実績も踏まえ、レオナルド商会に希望するだけの予約を認めた。
オコナー大公国の第一公女エスメラルダが自身の護衛ハロルドとの婚姻を認められた。大公があてがった婚約者候補を全て断り、その断り方が実力主義であまりに容赦ないために悪評となって流れた。公女は意図的に悪評を放置し、それでも婚約を申し込む者をコテンパンに倒していったという。
唯一自分よりも強いと認めるハロルドとなら結婚してもいい、と言い続けて八年。意地になっていた大公が折れ、ようやく結婚を認めた。
公女の悪評ばかりが広まっているが、実際には大公に溺愛され、その多才な能力から公国を継ぐのではないかとも言われている。
そんな公女の婚姻に、大公が極上の品々を取り寄せるのは容易に想像できた。
この話をいち早くギャレット子爵に伝えたのもレオナルド商会だ。ヴィンテージイヤーのワインを買い上げ、大公に売り込みたい物があれば斡旋すると約束を受けている。
シード伯爵ともそうした話をすることになると思っていたが、少なくともルーカスには振られた男性側の流した中傷しか耳に入っていないらしい。そしてこの話も、シード伯爵家からは何の反応もなかった。
二度ほど予定が合わないことが続くと、それきりルーカスとフェリシアが学校で会うことはなくなった。
休みに領で会うことも、ルーカスが都合がつかないと断りを入れ、次の日程も示されないまま休みは終わった。
学校で見かけても声をかけてくることもない。ルーカスの目にフェリシアは映っていなかった。