1 将来家族になる人
ギャレット子爵家のフェリシアとシード伯爵家のルーカスが婚約したのは、フェリシアが七歳、ルーカスが九歳の時だった。父親同士が学生時代からの友人で、同じ北部に領を持ち、以前から両家を訪問し合う間柄だった。フェリシアにとってルーカスは優しいお兄様で、婚約者と言われてもピンとこなかったが、
「将来家族になるのよ」
と言われるとなんだか嬉しく、二人は何の抵抗もなく婚約を受け入れ、結婚するのが当たり前だと思っていた。
シード家は王都に長く滞在することが多く、時に王都の屋敷で会うこともあった。シード家のタウンハウスはギャレット家の領の家よりも大きく、多くの使用人がいた。王都で会う時は領で会う時以上に緊張したが、シード伯爵夫妻もルーカスも都会に慣れないフェリシアにやさしく接してくれた。
弟が生まれてからはフェリシアの母は弟と共に領にいることが多くなり、時に父も同席できないこともあったが、慣れてくるとフェリシア一人でシード家を訪問することもあった。
「そういえば、この前いただいたワインは実においしかったよ。父上にもお礼を言っておいてくれないか」
「父も喜びます。お届けしたのは三年前のもので、あの年は雨が少なくてブドウの取れ高は良くなかったのですが、濃厚でいいワインができた年だったと父が申しておりました」
「父上とは、そういった話も?」
「はい。…ほとんど、父が言ったこと、そのままですが」
話した内容のほとんどが父からの受け売りであることが恥ずかしく、フェリシアは少しうつむいていたが、伯爵は笑顔で頷いた。
「そうした知識を蓄えるのも大事なことだ。是非いろいろなことを父上から学び、役立ててもらいたい」
「っ、はい!」
伯爵の言葉は自分だけでなく父のことも褒められたように思え、フェリシアは嬉しくなった。ルーカスはまだワインが飲める年ではないこともあってか、こうした話にあまり興味はないようだった。
シード伯爵とギャレット子爵は隣国の情勢、他領の状況、近年の気候や収穫量、新しい農機具や衣服の流行に至るまで様々な情報を交換し、意見を交わしていた。東部の新しい宝石の鉱脈の投資話では、サファイアと言われながら石の色が薄く、質が疑われた鉱山への投資を見送る決断を下し、詐欺まがいの投資話を回避したこともあった。
父親同士の信頼し合う姿はフェリシアとルーカスの互いの信頼にもつながった。
フェリシアは伯爵夫人を目指して算術や外国語といった勉強はもちろん、自領や伯爵領のことを積極的に学び、父について領を巡り、法律の調べ方や出納の管理、土地の利用や税に関する手続きといった実務を実践を交えながら少しづつ身に着けていった。
ルーカスが十三歳になると、王都にある王立学校に通うことになった。
学校に通う間、ルーカスは王都のタウンハウスで暮らすことになった。学業を優先したいと会う機会はめっきり減り、初めの頃は手紙をくれたが、それもだんだん間隔が空いていき、二年目にもなると三ヶ月に一通も届かないこともあった。
長期休暇にはシード伯爵領で会う約束をし、領の家を訪問したが、二年目には約束をすっぽかされた。
フェリシアはせっかくここまで来たのだからと一人で伯爵領を見学させてもらったが、虚しい気持ちは拭えなかった。夫人は遠く伯爵領まで来たフェリシアをねぎらうことも、謝罪することもなかった。
「伯爵家を継げばもっと忙しくなって会えない時だって出てくるものよ。こんなことに一喜一憂していてはいけないわ」
婚約者から軽んじられている現実をつきつけられた時に伯爵家を継ぐ心得を語られても余計につらくなるだけだったが、気持ちを抑え、不満を口にすることなく伯爵領を後にした。
後から謝罪の手紙が届いた。急に学校の友人との予定が入ったと綴られていたが、言い訳だけの短い手紙に、忘れていたことなどわかりきっていた。
同世代の者が集まる学校は楽しいのだろう。少し寂しい気持ちもあったが、自分ももうすぐ王立学校に行く年になる。同じ学校に通うようになれば頻繁に会う機会もできるだろう。楽しい学校生活を期待しながらも、不安を消すことはできなかった。
フェリシアが十三歳になり、フェリシアも王立学校に通うことになった。
王都にある家に住むことになったが、母は弟が領に愛着を持つよう幼いうちは領の家で育てると決めており、王都には同行しなかった。父は王都と領を頻繁に行き来するので家を空けることも多かったが、頼りになる執事を置いてくれた。
王都の生活に不自由はなかった。普段着る服は王都の貴族の令嬢に比べると地味だが、学校には制服があり、アクセサリーも禁止されているのでさほどセンスは問われない。高位の貴族からは相手にされないながらも、良い友人に恵まれ、クラスでは楽しく過ごしていた。
フェリシアが学校に通うようになってからは、シード伯爵から最低でも月に一度は会うように言われたらしく、ルーカスと話をする機会は増えた。会うのは学校の中で、昼休みや放課後に話をする程度だったが、ルーカスが変わってしまったことを実感するには充分だった。
世間話程度の話で終わり、落ち着かない様子で去って行く。立ち話で済ませることもあり、友人達が待っているからと顔を見せただけで去って行く時もあった。待ち合わせの片手間で会う程度の婚約者。
ルーカスが友人達に
「今の子、誰?」
と聞かれ、
「幼なじみだよ」
と返しているのを聞き、自分のことを婚約者だとさえ言わないことに胸がズキンと痛んだ。
私、本当にこの人と結婚するのかしら?
どうしても不安がよぎってしまうが、それを父に告げることはできなかった。