第6話 NO ESCAPE
数時間後にこちらから警察を呼び出すまでは、各種の準備が残っているとはいえ、ひとまず息の詰まるような緊張感からは解放される。最初の制圧フェーズが滞りなく終了し、教室への爆弾の設置が済んだことで、襲撃者たちは一段落付いた気になっていた。
「あ、生徒が走ってく! 脱走者だ!」
弛緩し始めていた雰囲気を、生徒ホールの窓から外を監視していた大学院生の土屋の素っ頓狂な声が遮った。
防火シャッタを溶接加工していた萩生田の「馬鹿野郎! 撃て、撃ち殺せ!」という怒鳴り声に首を竦めた土屋は、やっと自分の役割を思い出したらしく、窓の外にMP5短機関銃を向けて引鉄を引き絞った。
壮絶な発砲音が連続し、周囲から銃声以外の音を消し飛ばす。秒間十発以上のサイクルで発射された九ミリ弾は、その三分の一弱が脱走者を直撃した。
生徒玄関から走って逃げ出した男子生徒は、十数メートルほど進んだところで銃撃を浴びて、その場に倒れた。
ベージュ色のセーターが斑に赤く染まり、レンガのタイルの上に溜まっていた雨水に鮮血の赤が広がっていく。
「射殺しま――えっ」
殺害を終えたことを報告しようとした土屋が、驚愕の声を上げる。
死んだかと思われた男子生徒だったが、彼は驚異的な生命力を発揮し、這うようにして再び前に進み始めた。
高精度で有名なMP5を使っているにもかかわらず、二十メートル程度の至近距離で過半数を外す土屋の拙劣な射撃技能は、男子生徒の頭や心臓を尽く外していた。
「クソ、まだ生きてるのかよ」
土屋は悪態とともに、なおも逃げようとする男子生徒に短機関銃の照星と照門を重ねた。
ほとんど止まっているのと変わらない速度で這う男子生徒はもはや単なる的でしかなく、今度こそ土屋は落ち着いて狙いを定めて引鉄を引いた。
再び鳴り響いた銃声とともに発射された九ミリ弾が、男子生徒の身体を直撃する。
既に血塗れだった身体が跳ねた。男子生徒を外した弾が周囲のタイルを砕き、タイルの破片と雨水と血が混ざった飛沫が上がる。
銃撃が止んだ後、襤褸切れ同然になった男子生徒が動くことは最早なかった。
初めて人を殺した手応えに満足げに口元を歪めた土屋の視界の隅で、また何かが動くのが見えた。同時に「行け行け」「走れ」といった怒号が聞こえ、銃口ごとそちらに目をやった土屋は、職員玄関から一斉に走り出る生徒たちの姿を見て絶句した。
どこに隠れていたのか、五人の男女が一目散に校庭に向かって走っていく。一切の遮蔽物のない校庭の先には、土砂降りの雨のカーテンの向こうに煙る通用門が見える。
「また脱走者! 馬鹿め、皆殺しにしてやる!」
驚愕からすぐに回復した土屋は、日課のFPSゲームのノリで、生徒たちの背中にMP5短機関銃の銃口を向けて引鉄を引いた。
薬室に収まっていた九ミリ弾の雷管が撃針に叩かれて発火し、薬莢に収まっていた発射薬に点火する。燃焼する発射薬から文字通り爆発的に生じた気体が弾体を急加速させ、弾体は銃身に刻まれたライフリングに食い込んで回転しながら、唯一の出口を目指して驀進する。
そして、音速を超える速度を得た弾体は銃口を飛び出し、一直線に生徒たちの頭上を飛び越えていった。
短機関銃内では反動で遊底が後退し、撃ち終えた薬莢を薬室から放り出すとともに弾倉から新たな九ミリ弾を装填しようとし、弾倉内に残弾がなかったために、遊底は前進位置に戻ってそれきり動かなくなった。
「あ、弾が出ない!」
土屋の悲鳴に近い叫び声を受けて、溶接機を放り出した萩生田が舌打ちとともに立ち上がる。しかし、減音器付き拳銃を抜いた萩生田が駆け寄ってくる前に、大河原が「退け」の一言とともに窓の前から土屋を突き飛ばすほうが早かった。
大河原は、固いカーペットの上を無様に転がった土屋には見向きもせず、窓枠にPKM機関銃の二脚を乗せる。そして、一面水浸しの校庭に差し掛かった五人の生徒たちに照準を定めた。
さっきの短機関銃のものとは比較にならない、より重く強烈な銃声が轟く。音速の二倍を軽く超える速度の七・六二ミリ弾が連続して発射され、着弾の水柱が走っていく生徒たちを追い掛け、追い付いた。
最後尾にいた小太りの男子生徒が仰け反るようにして倒れる。その前を走っていた女子生徒も腕を吹っ飛ばされ、もんどりうって倒れた。
五発に一回混じる曳光弾がレーザのように校舎三階と校庭の間を切り裂き、着弾した箇所で泥水の飛沫が派手に上がる。
最後尾の二人が撃たれても構わず一目散に走り続けていた先頭の三人も、すぐに七・六二ミリ弾の暴風に巻き込まれ、ぬかるんだ校庭に倒れ伏した。
昨日の体育で描かれた白線が残る校庭は一瞬にして野戦場と化し、高威力の機関銃弾を受けて身体の一部が取れてしまった死体たちが転がる地獄絵図が出現した。
「大河原、とどめを」
いつの間にか椅子を立っていた清水が、すぐ後ろから大河原に命じる。
大河原は無言でPKMを構え直し、今度は一発ずつ丁寧に死体の胸部を狙い撃っていった。途中、死んだふりをしていたらしい女子生徒が、隣の死体が撃たれた直後に手を挙げて降伏しようとしたが、大河原は構わずその女子生徒を射殺した。
「仕方なかったとはいえ、これだけ派手に銃声を鳴らしたのはまずかったかもしれん。予想より早く警察が来ることを想定した方がいい」
拳銃をホルスターに戻した萩生田が、清水と大河原の後ろから窓の外を見て言った。
土砂降りの雨のせいで、校庭の向こうにあるはずの住宅地は霞んだシルエットとしてしか捉えられない。例え晴れていたとしても、住宅地は校庭より数メートル低くなっているので、住宅地側から校庭を見ることはできないだろう。
だが、音は届く。
短機関銃ならまだしも、汎用機関銃の強烈な銃声は二百メートル以上離れた住宅地に届くころには散逸しつつも、住民たちの興味を引く程度の音量を維持していたはずだった。
自衛官から傭兵に転身した後は世界各地の紛争地帯を渡り歩き、過激派になったのはつい最近の萩生田は、常に最悪を想定する軍人時代の癖が抜けていなかった。
萩生田が想定する「敵」はそれなりに訓練された民兵か、あるいは紛争地帯で常に戦争の臭いに晒されてきた現地住民であり、八十年以上の長きに渡って平和を享受してきた日本国民ではない。それに気づいていた清水は、「問題ないわ」と軽い調子で萩生田の懸念を一蹴した。
「聞こえていても、銃声だなんて誰も思わないわ。それに、あなたに言われた通り、一週間前から何度も学校の近くで爆竹を鳴らしておいた。住民たちは、また悪戯だと勝手に納得するはずよ」
「指導者」である清水にそう言われれば、萩生田としてはそれ以上言うことはない。「そんなことより、そこの間抜けにもう一度銃の使い方を教えてやりなさい」と、所在無げに立ち尽くしている土屋を顎でしゃくった清水に一礼して、萩生田は下がった。
「萩生田はああ見えて、心配性ですね」
土屋に代わり校庭に監視の視線と銃口を向ける大河原が、すぐ横の机に腰を下ろした清水に目を向けることなく話しかける。清水はちらと大河原を見たが、すぐに手元の護身用拳銃に視線を戻した。
「わたしたちが楽観的過ぎるのよ。萩生田からしたら、こんなサバゲーマーにも劣るようなエセ戦闘員を引き連れてテロを起こすなんて悪夢でしょうね」
三十二口径のワルサーPPKは、ピカピカに磨かれ銀色の金属光沢を放っていたが、その見た目と裏腹に多くの血を吸っていた。
元々は父――解放機構前議長、現死刑囚の清水敏文が肌身離さず持ち歩き、専ら幹部党員の「後改」に用いたワルサーは、両手では数えきれないほどの「同志」を殺害してきた曰くつきの拳銃だ。だが、清水はこの銃のそこが気に入っていた。
『警察無線に異常なし。誰も通報しなかったようです』
今後必要になる衛星電話の準備を終え、その後は警察無線の傍受に勤しんでいた菅野の耳障りな声が、机の上に置いたトランシーバから流れてくる。
生徒ホールの隅に陣取り、十メートルも離れていない場所にいながら態々無線で連絡してきた菅野に一瞬ゴミを見る目を向けた清水は、ため息を吐いてワルサーをブレザーのポケットに戻した。
高校襲撃からここまでの推移は完璧といってよかったが、もはや壊滅同然の解放機構からかき集めた人材の能力不足だけが今後の気掛かりだった。