第5話 平山高校陥落
『萩生田だ。これより大詰めの教室制圧フェーズに入る。各員、打ち合わせ通りの位置につき、それぞれの役割を果たすように。以上』
訓示というには簡潔に過ぎる萩生田の台詞が、教室棟三階に展開する襲撃者たちのトランシーバから発せられた。
短機関銃や自動小銃を手にした戦闘服の男が六人、それぞれが担当する教室の黒板側出入口の前に立ち、合図を待つ。
バックアップ要員として階段で待機する内田も、短機関銃を握る手に力を込めた。
『突入』
萩生田の号令とともに、戦闘服たちは教室の引き戸を勢いよく開け、同時に突入した。
直後、一斉に銃火器の発砲音が鳴り響き、窓ガラスの割れる破壊音と悲鳴が学校中に響き渡る。
五組の教室に突入した大河原並の体格の男――渡辺は、AK‐47自動小銃をフルオートで薙ぎ払うように乱射した。
銃撃を受けて木端微塵に砕けた窓ガラスの破片が窓際の生徒たちに降り注ぎ、教壇に立っていた男性教師が流れ弾を浴びて倒れる。
突然の事態に悲鳴を上げる生徒たちに、渡辺は「黙れ!」と怒鳴った。
「平山高校は、我々日本市民解放機構が占拠した!」
渡辺は先ほどまで男性教師が立っていた教卓の前に立つと、そう宣言した。
腰だめに構えられた自動小銃の引鉄には指が掛けられ、まだ硝煙を立ち昇らせる銃口は、席に座ったまま凍り付く生徒たちに向けられていた。
突然の乱入者に、驚愕と恐怖の表情を浮かべる生徒たちは、しかし立ち上がって逃げ出そうとはしない。
否、できない。
彼らは、少しでも妙な動きをしたら即座に撃ち殺されることを、教師一名の犠牲を以て学習させられていた。
「これから諸君には、我々の指示に従ってもらう。もし抵抗や脱走を試みれば、命でその代償を払ってもらうことになる。我々の本気は、さっきので理解できただろう」
渡辺はそう言って、足元の血溜まりに沈む教師の死体を爪先で突いた。何人かの女子生徒が恐怖で泣き出す。
それを見た渡辺は満足そうに口の端に笑みを浮かべ、ベストにカラビナでぶら下げたトランシーバを手に取った。
「こちら五組。制圧を完了」
渡辺の報告から間を置かず、二組制圧の報告がトランシーバから流れてきた。それを皮切りに、各教室から次々と制圧完了が報告される。
他の教室でも、五組とほぼ同じことが起こっていた。教室に乱入した戦闘員が、銃と決意が本物であることを示すために窓ガラスと教員を銃撃し、一クラス四十人の生徒たちを瞬時に支配下に置くことに成功していた。
四組だけは、そのとき授業中だった数学教師の田中が突如としてパソコンバッグから自動拳銃を取り出し、生徒たちに向けたという違いがあるが、それも計画通りであった。
こうして、瞬く間に二年一組から七組までの全ての教室が制圧され、都立平山高校は日本市民解放機構によって完全に占拠された。
『全教室の制圧完了を確認した。二組から四組は、計画通りに他クラスの生徒の受け入れ準備を進めろ。一組と五、六、七組は、準備完了まで生徒たちを静かに待機させろ。大河原たち三人は防火シャッタを閉鎖した後、トラックに物資を取りに行け。搬入は爆破資材を最優先。他の者たちについても、予定通りに行動せよ』
萩生田の指示が、暗号化されたデジタル無線周波数に乗って駆け抜ける。
階段の辺りにたむろし、脱走者が出た場合に対応することになっていた大河原たち親衛隊の三人は、階段脇の壁の赤い非常ボタンを押した。
ガラガラと金属の擦れ合う喧しい音を立て、三つの階段および一組前の特別教室棟渡り廊下の防火シャッタが降り始める。ボタンを押すと同時に鳴るはずの火災ベルは、職員室の制御盤に細工をしたために沈黙したままだった。
『こちら田中。机が足りそうにない。誰か持ってきてくれないか』
『李か松本に運ばせる』
『こちら桐山。二組で過呼吸の生徒が出た。どうすればいい?』
『他の生徒に対応させろ。パニックが広がりそうなら射殺して構わん』
トランシーバから流れてくるやり取りを聞きながら、内田と久山の二人は駐車場のトラックに向かった。
大河原は「清水議長代理をお迎えに上がる」と言ってどこかに行ってしまったので、内田と久山の二人で、トラックの荷台に積み込まれていた大量の武器弾薬を慎重に台車に載せていく。特別教室棟のエレベータが使えるとはいえ、二三往復で終わる量ではない物資を二人でせっせと教室棟三階に運ぶ間に、生徒たちの教室移動が始まっていた。
二組、三組、四組の三教室の窓際には机が積み重ねられ、脱出口あるいは外部からの突入口となる窓を塞ぐバリケードが構築された。そして、その三教室に、一組および五~七組の生徒たちも詰め込まれる。
定員四十人の教室に百人近い生徒が押し込まれ、すし詰めとはいわないまでも、教室はかなり窮屈な状態になった。生徒たちは命令された通りにリノリウムの床に腰を下ろし、冷えた床と割れた窓から吹き込んでくる冷気に震える。
二組の黒板側の出入口の引き戸を開けて、短機関銃を手にした二人の男に両脇を守られた痩せぎすの四十過ぎの男が教室に入ってきた。出入口の近くにいた生徒たちは、怯えた様子で慌てて男たちに道を開ける。
「はい、どうもね。ちょっと通るよ……ああ、狭いよね、ごめんなさいね」
痩せぎすの男――菅野は妙に甲高い声でそう言いながら、手刀でモーゼのように生徒たちを退かし、教室中央に置いた教卓に近づいていく。菅野の後ろに続く二人の戦闘員らは短機関銃の銃口を忙しなく振り回し、生徒たちを威嚇している。
「金村君、カバンを」
菅野が後ろに手を差し出し、金村と呼ばれた二十代前半の若い戦闘服の男が、肩に提げていたカメラバッグを菅野に渡した。
菅野は受け取ったバッグを教卓に置き、ファスナを開ける。
本来はレンズとカメラを収納するためのバッグだったが、中に詰まっていたのは、複雑に電線が接続されたマイコンボードとバッテリ、塩ビ管、ねじや釘の詰まったビニール袋だった。
「ええっと、電池を繋いで、マイコンをスイッチオンっと……」
菅野は、教室内の生徒たちから向けられる不安と恐怖の籠った視線を気にすることなく、独り言をぶつぶつと呟きながらモバイルバッテリとマイコンボードをUSBケーブルで接続し、プリント基板に直付けされたスイッチを押した。
ピッという短い電子音が鳴り、マイコンが起動する。
基板上に四基実装された十四セグメントLEDディスプレイに、「TEST」の文字が赤く光った。
「高橋君、スイッチ」
菅野は後ろに目をやることもなく、右手を後ろにやった。
ニキビ面の男――高橋が、ラジコンの送信機を改造した起爆コントローラを菅野の手に置く。
菅野はコントローラのアンテナを伸ばし、「2組」「3組」「4組」と表示されたトグルスイッチのうち「2組」以外はオフ側に倒れていることを確認してから、誤操作防止カバーを開けて中央の赤いボタンを押した。
またピッという電子音が鳴り、爆弾側の十四セグメントディスプレイに受信できたことを示す「RCVD」の文字が表示される。
動作確認を終えて「よし」と呟いた菅野は、教室内の生徒たちに向き直った。
「皆さんが逃げようとしたり、警察が突入してきたりしたときに備え、ここに爆弾を置かさせていただきます。私が手にしているこのスイッチを押すと、カバンの中に収められた三キロのプラスチック爆薬が起爆し、爆風と飛散する金属片が皆さんを切り裂くことになります」
菅野はコントローラを生徒たちに見せながら、人に不快感を抱かせる間延びした喋り方と甲高い声でそう言った。
そして、赤いスイッチを三回押し込んだ。
ビー――――
静まり返った教室に、ビープ音が鳴り響く。
爆発するとでも思ったのか、生徒たちは悲鳴を上げながら後退り、一部では他の生徒を押し退けて壁際に向かおうとする生徒と周囲の生徒の間で小競り合いすら始まった。
高橋と金村の二人が「黙れ!」と怒鳴り、特に暴れる生徒らに銃口を向けて強制的に鎮める。
「落ち着いて下さい。今、爆破するつもりはありませんよ。ただ、起爆装置には解除防止回路と振動センサを取り付けてあるので、この周りで騒いだり、不用意に触ったりすることはお勧めしません。まあ、集団自殺したいなら止めはしませんけどね。それじゃ」
起爆回路基板上の十四セグメントディスプレイに、爆弾が待機状態に入ったことを示す「SBY」の表示を確認した菅野たち三人は、女子生徒らのすすり泣く声と外から聞こえてくる雨音だけが満たす教室を出て行った。
遠隔起爆式爆弾の設置作業は二組だけでなく、同様に生徒を収容している三組と四組の教室でも行われた。
各教室に設置された爆弾は、高見沢駅爆破事件で用いられた二十キロ近い重さのキャリーケース爆弾よりはだいぶ小型だったが、それでも教室一つを吹き飛ばすのには十分な量の爆薬が内蔵されていた。テロリストが無線式の起爆スイッチを押すだけで、瞬時に二百八十人の生徒らを爆殺することができると分かれば、数時間後には大挙して押し寄せてくるであろう警察もおいそれと突入することはできないだろう。
爆弾の設置作業が終わると、職員室から連れてこられた教職員約四十五人が一組の教室に押し込まれた。
一組には爆弾は設置されていなかったが、先生方には「もし妙なことをすれば生徒を殺す」と言ってあるので、抵抗したり何か企んだりはしないだろうという判断だった。
もし仮にしたとしても、容易く皆殺しにできるだけの能力を彼らは持ち合わせていたので、問題にはならない。
銃を持った戦闘服たちが廊下を歩き回り、さらに脱走と外部からの侵入を防ぐべく、複数の銃器が校舎の外に向けられていた。都立平山高校は、彼らの持つ強力な火器と大量の人質によって、外の誰にも知られぬうちに難攻不落の要塞と化した。
「生徒たちは教室に仕掛けた爆弾と我々の銃に完全に委縮していて、抵抗の兆しはありません。先生方についても同様です。情報通り、我々と人質が数日は食べていける量の保存食と水が防災倉庫にあったので、十分に長期戦もいけそうです」
宅配業者の青い制服を着たままの伊瀬が、緊張の面持ちで清水麗華に状況を報告していた。
二組から四組の前のスペースをぶち抜いてつくられた広い空間――生徒ホールの壁際には自習用の机が並んでいて、清水は窓際の机に腰かけて伊瀬の報告を黙って聞いていた。その脇に立っている大河原は直立不動の姿勢を崩さず、噛みそうになりながら話す伊瀬を無表情で見つめている。
「――作戦はおおむね滞りなく進行していますが、所在不明の教員が一人いるため、今後捜索に向かうとのことです。ついでに、四階のクリアリングがまだなのでそれも済ませ、校内を無菌状態にします。これは約三十分後、十一時頃までには終わると思われます」
「そう。その辺は萩生田に全て任せるわ。これ以上の人質はあってもなくてもいいから、もし誰かが隠れていても、連れてくるのが面倒ならその場で始末して構わない」
清水が気だるげに言う。伊瀬は清水の容赦のない指示に引いたような表情を浮かべたが、それをすぐに顔から掻き消して「承知しました」と答えた。
「萩生田さんにそのように伝えておきます。失礼します」
報告を終え、伊瀬は一礼して去っていった。
「彼、中学生だったかしら? 流石に子供をこの計画に加担させるのは気が引けるわね」
「伊瀬ですか? あいつは十九歳ですよ。たしか高校も卒業して、もう働いていたかと」
「本当? てっきり年下だと思っていたわ。まさか二歳も年上だったなんて……」
清水と大河原は、萩生田の下へ足早に向かった伊瀬を目で追う。
他の者たちが割り当てられた仕事をこなしている中、清水と大河原は特に何もせず、生徒ホールの一角で暇そうにしていた。
議長代理という現在の解放機構では最高指導者の立場にある清水麗華だが、戦闘の指揮は萩生田がとることになっているので、今の段階ではすることがなかった。
大河原は清水のボディガードであり、常に清水の間近にいることが仕事だ。清水が暇なら、大河原も基本的に暇になる。
「しばらく暇ね」
清水は自習用机から立ち上がり、生徒ホールの一角に乱雑に積み上げられた大小の箱の山に近づいて行く。大河原もそれに続く。
清水は一番上に置かれていた、いかにも武器が入っていそうな雰囲気のオリーブドラブ色のハードケースを開けた。
ケースの中には、全長一メートル前後の黒い金属製の筒が収められていた。金属筒の側面には握把や折畳み式の銃床、照準器などが取り付けられていて、同じ箱に収められていた弾頭を装着すれば、映画などでよく見かける旧ソ連製対戦車ロケット弾発射器の姿になるだろう。
積まれている他のハードケースを開ければ、十丁以上の拳銃や自動小銃といった小火器と銃弾、さらには手榴弾や無反動砲といった強力な武器の数々を見ることができるはずだ。
解放機構が高見沢駅爆破事件を起こして壊滅する前に収集し、分散隠匿してあった兵器のほぼ全てがここに持ち込まれていた。
「これだけあれば、自衛隊とだって戦えるわね」
清水はそう呟いて、その美しい顔に冷たい笑みを浮かべた。