表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/22

第2話 前兆

 誠一が都立平山高校の通用門を潜ったのは、一時間目が始まる五分前だった。


 なんのために掲げているのか分からない「自主・自律 文武両道」と書かれた横断幕には目も向けず、ところどころに水溜まりができている校庭を横切って生徒玄関に向かう。

 ロッカーが並ぶ生徒玄関には、誠一以外に人影はなかった。

 特に急ぐこともなく上履きに履き替えた誠一は三階まで階段を上り、所属する二年一組の教室の引き戸を開けた。年季が入った引き戸のガラガラと喧しい開閉音に、クラスメイトらが一斉に戸口に立つ誠一を見る。

 一瞬静寂に包まれた教室だったが、入って来たのが先生ではないと分かると、教室にはすぐにさっきまでの喧騒が戻ってきた。

 誠一は机と机の間の狭い通路を進み、自分の席に腰を下ろした。周囲のクラスメイトはお喋りに興じたりスマホを眺めたりしていて、誠一に話しかける者は誰もいない。


 誠一には、このクラスはおろか全校を見渡しても、友達とよべるような生徒はいない。

 全く周囲と関わろうとせず、それどころか入学当初やクラス替え直後にフレンドリーに話しかけてきたクラスメイトに対して「放っておいてくれ」という雰囲気全開で接したのだから、当然であった。

 誠一はクラスで浮いていたが、自分の人生にすら興味関心を持てない誠一が、クラスメイトに興味を持って接することなど出来るはずもなかった。


 チャイムが鳴り、それと同時に世界史の若手教師が教室に入って来る。

 学級委員が号令を掛け、教室内の四十人が立ちあがる。全くやる気の籠っていない形式だけの礼の後、誠一を含む生徒たちは着席した。

 世界史教師はどうでもいい雑談を数分した後、授業を開始した。

 黒板に白いチョークでヨーロッパの略地図が描かれ、そこに国名と謎の数字が黄色いチョークで書き込まれる。

 情報量を増していく黒板だったが、しかし誠一のノートを書く手は開始二行のところで止まっていた。一応下を向いてノートを取っている雰囲気を醸し出してはいるが、実際には何も書いていない。


 紀元前のヨーロッパの国名が誠一の興味を引くことはなく、いつの間にか誠一は眠りに落ちていた。

 家で布団に入っても酒が無ければ眠れず、酒の力を借りてどうにか眠りについても三時間と経たずに起きてしまうのだが、どういうわけか授業中は酒なしでぐっすりと眠ることができるのだ。

 誠一が長期間に渡る睡眠不足で過労死せずに済んでいるのは、授業中の居眠りで辛うじて最低限の睡眠時間を確保できているからだった。


「起立、礼」


 学級委員の声で目を覚ます。

 一時間目が終わったのかと思ったが、黒板の前にはさっきとは違う教師が立っていた。時計を見れば、針はちょうど二時間目の開始時刻を指している。居眠り常習犯の誠一だったが、休み時間まで寝過ごしたのはこれが初めてだった。


「小テスト印刷してくるの忘れたから、自習でもしているように」


 数学の田中は、小さいのに何故かよく通る粘ついた声でそう言うと、生徒たちが着席するのも待たずに教室を出て行った。

 先生がいなくなったことで、教室には即座に休み時間の喧騒が戻ってきた。教員の中でも特に嫌われている田中の指示通りに自習をしている者など全体の一割にも満たず、残りの生徒たちは降って湧いた自由時間をお喋りやスマホゲームの時間に充てている。

 誠一も、田中の指示には従わず教科書は閉じたままだった。しかし、ゲームに興じることも周りと喋ることもなく、窓ガラスの向こう側を流れ落ちていく水滴をぼうっと眺めていた。


 ふと、誠一の視界の隅で、何か大きいものが動いた。

 そちらに視線を向ければ、斜め前の席の男子生徒が立ち上がるところだった。軽く身長一九〇センチはあるプロレスラーのような肉体を制服に無理やり押し込んでいる彼は、クラスメイトの大河原剛だ。

 いかにも強そうな名前と、それに見合う容姿をしている大河原だが、実際に柔道の全国大会で準優勝したこともある猛者で、名前と見た目から想像できる通りの強さを誇るらしい。

 他校の不良十人以上を一人で返り討ちにしたとか、柔道部に仮入部した際に先輩部員五人を半殺しにしたとかといった武勇伝に事欠かない彼は、二年一組の生徒全員から恐れられ、避けられている。

 誠一も例外ではない。もっとも、誠一は大河原に対して恐れではなく憎悪に近い悪感情を抱いており、クラスメイトたちとは事情が異なっていたが。


 大河原は机と机の間の狭い通路を通り抜け、開閉のたびに喧しい音を立てる引き戸を開けて教室を出て行った。クラスメイトたちは大河原が一応授業時間中に教室を抜け出したことを気にも留めず、誠一も「トイレにでも行ったのだろう」と疑問にも思わなかった。







 十分経っても田中はまだ戻らない。

 誠一は、休み時間に行き損ねたトイレに行くため、一組の教室から最も近い特別教室棟のトイレへ向かった。そして、トイレの扉に手を触れる寸前、トイレ横の東階段から複数の足音と話し声が下りてくるのに気づいて手を止めた。

 声の中に、大河原の特徴的な低い声が混じっていたのだ。


 誠一は、気配がここ三階を通り過ぎるのを待ち、階段を覗き込んだ。

 薄暗い階段を、大河原を含む制服の三人組が下りていく後姿が見えた。大河原の後ろのチビとデブの二人は、背中を見ただけで内田と久山と分かった。

 大河原と内山のブレザーの肩口は濡れて濃い紺色に変色し、どちらの髪もシャワー後のように濡れていた。


「『親衛隊』のクソ共、いったい何してやがるんだ……?」


 誠一は、思わず小声で呟く。

 大河原を筆頭とする三人は、日本市民解放機構元議長で現死刑囚の清水敏文の娘であり現在議長代理の座に就く清水麗華のためだけにこの学校に入学し、授業中以外はまるで侍従かSPかのように常に彼女に付き従っている。

 かつてそれなりの勢力を誇った解放機構高校生部門も今や見る影もなく、底辺地下アイドルの追っかけさながらの人数まで減勢した彼らは、入学から一ヶ月もしないうちに、他の生徒たちから皮肉と嘲りを込めて「親衛隊」と呼ばれるようになった。


 「親衛隊」の三人は当然、解放機構のシンパ――それも、三年前の高見沢駅爆破事件後に幹部の大部分が逮捕され、多くの党員が離反し壊滅状態の解放機構を未だに信奉し、更にそのリーダーを引き継いだ清水麗華のために進学先の高校すら決めてしまうほどに熱心なシンパである。

 誠一は、彼らに直接何かをされたわけではないが、家族を皆殺しにした解放機構を未だに信奉する彼らを好意的に捉えることなど出来るはずもなく、彼らが視界に入るたびに強い嫌悪と憎悪を感じていた。


 そんな親衛隊の連中が、授業中にコソコソと校舎内をうろついている。

 しかも、一年の内田は先週土曜にあった一年生のみ対象の学力調査テストの振替休日で今日は休みのはずで、三年の久山に至っては大学受験休み期間中のはずである。今日この場にいないはずの二人が揃っているというだけで、不信感を抱くには十分だった。


 親衛隊の気配が遠ざかるのを待ってから、誠一は、連中が何をしていたのか確かめるべく階段を上り始める。

 濡れた足跡が、階段の上へと続いている。まさか、この真冬に上の階で水遊びをしていたわけではないだろう。

 誠一は階段を一階分上り、四階踊り場で足を止めた。四階から上は「立入禁止 屋上に侵入した者は停学処分とする 校長」と書かれた札とロープで封鎖されていたが、三人の足跡はさらに上へと続いている。

 誠一は迷うことなくロープを跨ぎ、照明が落とされているせいで暗い階段を上っていく。そして、中間の踊り場を折り返し、階段の先を見て固まった。


 階段の上には、見覚えのある女子生徒の姿があった。

 女子生徒のほうもすぐに誠一に気づき、屋上のドアを背に誠一を見下ろしてきた。彼女は去年のクラスメイトで、確か一ノ瀬といったか。

 取り立てて印象に残っているわけではないが、普通の女子高生といった感じだったのは覚えている。そんな彼女が、授業中にこんな場所で何をしているのかと、誠一は自分を棚に上げて疑問に思った。


「何してるの」


 一ノ瀬が、数秒の睨み合いを破り、警戒した様子で誠一に聞いてきた。


「俺は……そっちこそ、何をやってるんだ」


 警戒しているのは誠一も同じだった。誰かがいるとは思っていなかった。

 彼女が大河原たち親衛隊の仲間だとは思えないが、大河原の名前を出して藪蛇になる可能性を考えれば、正直に答える気にはならなかった。

 一方の一ノ瀬は、露骨にはぐらかした誠一に、殺意すら籠っていそうな鋭い視線を向けてきた。普通の女子高生のものとは思えない尋常でない殺気に、誠一はたじろぐ。


 まさか、彼女も親衛隊の仲間だったのか。

 そう思った矢先、一ノ瀬は「まあ、大丈夫か」と呟き、誠一を睨みつけるのをやめた。記憶通りの愛嬌のあるたれ目気味の目元が戻ってくる。


「私、親衛隊のカス共が変な動きをしていたから尾けてきたの。佐々木君もそうなんでしょ?」


 一ノ瀬は息をするように親衛隊を罵倒しながら、さっきまでの殺気が嘘のような軽い調子で聞いてきた。

 「え、いや、まあそうだけど」と答えた誠一は、完全に一ノ瀬のペースに飲まれていた。


「奴ら、屋上に出て何かしてたみたいだけど、鍵が掛かってるんだよね」


 立ち尽くす誠一の視線の先で、一ノ瀬が屋上のドアのノブを回し、前後に押し引きして見せる。上半分がガラスになっているアルミのドアがガタガタと音を立てて揺れたが、彼女の言う通り開くことはなかった。


 彼女がなぜ授業を抜け出してまで親衛隊を尾行していたのか、動機も理由もよく分からない。

 だが、ひとまず解放機構シンパや親衛隊の仲間ではない――むしろその正反対に位置する人間だろうと、誠一の直感が告げていた。

 彼女の眼の奥に見えた憎悪に抱いた親近感に、気づけば誠一の警戒心は雲散霧消していた。


 誠一は半階ぶんの階段を上り切り、屋上のドアの前まで来て一応ノブを回してみた。男の力ならあるいはというダメ元は、当然あっさり否定された。普通ならサムターンがある場所には鍵穴があり、生徒が内側から開けて勝手に屋上に出ることがないようになっている。

 では、どうやって大河原たちはドアを開けたのかという疑問が浮かぶが、濡れた足跡と水滴がドアの前から伸びていることから、連中がこのドアを開けて屋上に出て何かをしていたことは確かだった。

 薄汚れたガラスの向こうに見える屋上は、室外機や太陽光パネルの蓄電池などの設備が所狭しと並んでいて視界が悪く、見える範囲にタバコの吸い殻やシンナーの空き瓶を見つけることはできない。

 もっとも、奴らは昭和のヤンキーよろしく授業をフケてタバコを吸って喜ぶような人種ではないだろう。だからこそ、授業を抜け出して立ち入り禁止の屋上に上がるという行為の目的が分からず、とてつもなく不審なのだが。


「ねえ、これ見て」


 ぽつんと置かれた掃除用具入れの中を探っていた一ノ瀬が、声を掛けてきた。振り返ると、一ノ瀬が百五十センチ程度の身長の半分はありそうな斧を持って立っていた。


「なんだ、それ」

「斧。連中がさっき使ったんじゃない」

「使うって……そんなもん、何に使うんだよ」

「さあ。でも、濡れてるから奴らが外に持ち出してたのは確かよ」


 一ノ瀬から斧を渡され、誠一は思っていたよりだいぶ重たい斧をまじまじと観察する。

 木製の柄は湿っていて、真っ赤に塗られた刃の部分には水滴が付いている。刃の先端に僅かな欠けがあったが、それ以外は新品と言って良く、刃の側面には大手ホームセンターの値札シールが貼り付いたままになっていた。


「元々ここにあったとは思えないな」


 観察を終えた誠一は斧を掃除用具入れに戻した。毛がほとんど抜け落ちた自在箒の残骸や、錆びて真っ赤になったブリキの塵取りが押し込まれていた掃除用具入れの中で、鮮やかな木の色と赤い塗装は相当に浮いていた。


「連中が持ち込んだんでしょうね」

「何のために? 爆弾はもう無理だから、斧で高校の設備に破壊工作ってか」

「連中ならやりそう」


 結局、斧と床の水滴以外に連中の行動の痕跡を見つけることはできず、誠一は教室に戻ることにした。

 腕時計は教室を出て既に二十分以上が経過していることを示していて、流石に田中も教室に戻ってきているだろう。一ノ瀬も諦めたようで、自分に続いて階段を下りてくる気配を背中に感じる。


 札の掛かったロープを跨ぎ、四階の踊り場に出る。ちょうどその時、外から「ドン」という音が聞こえてきた。車のドアを勢いよく閉めるような音だった。

 普段なら気にも留めないありふれた騒音だったが、誠一は四階踊り場の窓の外に何の気なしに目をやる。


「……は?」


 そして、驚愕に目を見開き、硬直することになった。

 窓から見下ろせる校舎裏の駐車場には、大手配送業者のトラックが駐車レーンを無視して停車し、開け放たれた運転席のドアの脇に配送業者の青い制服を着た男が立っていた。男の数メートル先では、国語の杉山先生が水溜まりの中に倒れている。

 制服の男は数歩前進し、手にしていた銀色の拳銃を仰向けに倒れている杉山先生に向ける。

 拳銃にしてはやたらと長い銃身が跳ねると同時に、さっき聞こえたのと同じ音がした。先生の身体がビクッと震え、水溜りに赤い血が広がっていく。


「何よ、あれ……」


 一ノ瀬の困惑と驚愕がない交ぜになった呟きが、後ろから聞こえてきた。たった今、殺人の瞬間を目撃した誠一と一ノ瀬だったが、二人ともあまりに現実感に乏しい光景に唖然とするばかりで、その場に立ち尽くすことしかできない。


 トラックの助手席から、小柄な若い男が降りてきた。若い男は、二人に上から見られていることになど一切気づいていない様子で荷台の後ろに回り、大量の荷物の積み下ろしに威力を発揮する観音開きのリヤドアを全開にした。

 若い男は、しかし荷台には上がらず、一歩下がった。

 「荷物」は、ぞろぞろと歩いて出てきた。全身真っ黒の服の上にポケットだらけのベストを身に着けた、見るからに怪しい男たちの手には、自動小銃ライフル短機関銃サブマシンガンといった日本国内ではまず見ることのない軍用の銃器が握られていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ