2.パスタの上のパセリ
「朝っぱらから何やってんの?」
狼たちの異変に気付いて駆けつけてきたジーノスは、ふわあと大あくびをしながら呆れ顔で言った。
「お前が騒ぎ起こしたら怒られんの俺なんだからさ~、勘弁してよ」
そして言葉にたがわず迷惑そうな様子でぱたぱたと着ているシャツをはたいた。汚れているしひっかき傷だらけだし、髪の毛もぼさぼさの満身創痍のありさまだった。朝っぱらからうるさいと激怒したレジーナの父親(群れのリーダーでもある)をなだめていたからだ。……いや髪がぼさぼさなのはもともとかもしれない。
「だってこいつが……」
そういう騒動のすべてを自分のせいみたいに言われて、麻梨菜はむくれてレジーナを指さした。こいつがいつまで経っても麻梨菜に対して失礼な態度を取り続けるからいけないのだ。しかも元はと言えば、このいけ好かない犬っころなんかを溺愛しているジーノスのせいでこいつがつけあがっているんじゃないか。ちゃんと人間様に対する礼儀というものを教え込むべきだ。
麻梨菜の指し示す先でレジーナは、父親に怒られて怖かったの、慰めて、とでも言いたげに、しゅんと哀れっぽくジーノスにすり寄っていった。
「おおレジーナ、ごめんなあこいつのせいで。怖かったよなあ」
ジーノスがわしゃわしゃと、たぶん慰めているつもりの雑な手つきで小麦色の毛皮を撫でると、レジーナは一転して満足げに目を細めた。
怖かったわけがない。なぜなら奴は撫でられながらジーノスの肩越しにちらりと視線をこちらに向けて、
どうだ、まいっただろう。
とでも言いたげにしているのだ。
むかつく。
・
レジーナとの確執は麻梨菜がこの世界に来てからすぐに始まった。
神殿の偉い人にその可能性を見出されて神子姫というやんごとなき地位に就いた麻梨菜が、そのやんごとなき身分から常に専用の護衛に守られることになるのは当然だった。そうしてその重大かつ幸運な役目を担ったのがジーノスで、初対面の場で彼の相棒であるという神獣の狼とも引き合わされたのだった。
「こいつはレジーナといいます。メスなので、気が合うと思いますよ」
メスだから気が合うという理論はどうかと思ったが、それ以上に麻梨菜は直感でこの獣に親しみを感じることができなかった。なにせ、大きいのだ。隣に立つジーノスの軽く三倍はあろうかという体躯をしていて、人間なんて丸呑みしてやると言わんばかりの大きな口。神経質そうにぴんと立った三角形の大きな耳。極めつけはその狼の鋭い目つきで、麻梨菜のことをじろりと睨んでくる。まるでこの私と関わり合いになるにふさわしいか見定めてあげてよ、と品定めされているかのようだった。
神獣だか何だか知らないが、しょせん動物ごときになめられてたまるものか。内心その大きさと鋭さに若干怖気づいていた麻梨菜だったが、ヒトとしてのプライドから胸を張ってその獣と相対した。
「お手!」
その巨体な威圧にもひるまずに右手を出して命令してやると、
「……」
奴は不遜にも、ぴくりとも動かずに視線だけで麻梨菜をじろりとねめつけてきた。
「あっ、あの~。こいつ、犬じゃないんで……」
神獣で狼で、背に人を乗せて戦う獣なので芸は仕込んでいませんなどと脇のほうでジーノスが両者を取り持つようにあわあわと言い訳をし出したが、その時点ですでに女二人の間で決着はついていた。
こいつ、気に食わない。
相手もそういう結論に達したことは間違いなく、その後麻梨菜は幾度となくふいに服をひっかけられたりわざと強くぶつかられたりした。まあこっちもつまづいたふりして足を蹴ったり毛皮をつかんで引っこ抜いてやったりしたが。
さらにムカつくことに、そういう子供じみた嫌がらせを受けると訴えても、
「ええ?レジーナがそんなことするわけないのになあ~……」
相棒だという男はこの犬っころに完璧に騙されていて、ちっとも役に立たないのだ。
「レジィ。お仕事中は遊んじゃダメだぞ」
挙句の果てにようやく注意ともいえないような生ぬるい言葉でめっ、と叱られたと思ったら、レジーナはきゅーんと精一杯弱々しさをアピールできるようなかすれ声でもってそれに答え、その姿はまるで何も悪いことをしていないのに麻梨菜によって陥れられた悲劇のヒロインそのもの。
その時に麻梨菜は悟った。このムカつく犬っころには、どちらが上の存在なのかということをじゅうぶんわからせてやらなければならない。
・
というわけで日々静かに二人の争いは続いているのだが、そんなことに露ほども気づいていないにぶい相棒の男は、相変わらずレジーナをぐるぐると撫でまわしては締まりのない笑顔で喜んでいる。
「よーしよし。今日も綺麗な毛並みだなー。今日は週末礼拝だから、もっと綺麗にしてやるからな」
まんざらでもなさそうに尻尾を振っている犬っころは、やはり麻梨菜のほうをちらりと見てふふんと得意げな顔をした。
もはや何を自慢されたのかもさっぱりわからないが、喧嘩を売られたことだけは確かだった。たとえ路地裏の、知る人ぞ知る毎日一時間しか営業していない店で売られていたとしても麻梨菜はその喧嘩を即座に買う所存だ。こいつのやることなすことすべてが気に入らない、すでにそういう域にまで達していた。両者の間に、控えめな火花がぱちぱちと散る。
「ほら、お前も。準備あるだろ」
しかし振り返ったジーノスにそう言われて、麻梨菜もうって変わって得意げな顔になった。そうなのだ、どちらかといえば、いや言うまでもなく、今日の礼拝の主役は神子姫様である麻梨菜。ジーノスとレジーナは、それの護衛のために付き従うだけの、いわばパスタの上のパセリ。そしてそれは今日に限ったことではなく、両者の普遍的な立ち位置の違いであるといえるのだ。
そのことにようやく気づいたのか、レジーナはわずかに顔をしかめた(ように、見えた)。
バカめ、今さら気づいたか。その顔に己の圧倒的優位性を確信した麻梨菜は、上機嫌で週末礼拝の準備へと向かうのだった。
レジーナ(……なにこいつ急に得意げになってんの?)




