麻梨菜が現れた日2
こいつ、俺にくれないか。
そう言うと相手は一瞬ぽかんとして、その後すぐにぎゅっと眉根を寄せた。
「何企んでるの?」
「別に?」
なんでもない風を装ってみせたが、さすが長年のライバルがトルカットの企みを見過ごすはずはなかった。こっち、と再び隣の部屋まで誘導されて、声量を戻しての話し合いとなる。
イドゥリオは顔をしかめたまま腰に手を当て、正面からトルカットを見据えた。
「ダメだよ。知ってる?君、巫女長補佐だったとき巫女からの評判最悪だったよ」
「別に、神官長補佐だったときも神官からの評判は特に良くなかったぞ」
悪びれもせずさらに追加してみせると、
「わかってるならなんとかしなよ……」
相手は付き合っていられないというようにはあとため息を吐いた。しかしそういうのはこいつの得意な領分。あえて相手の土俵で争うつもりはこれっぽっちもなかった。だから評判がどうとかいうのはトルカットにとっては何の意味もないのだ。それよりも自分の勝てる土俵を増やすほうがよっぽど建設的といえる。
「ま、別にいいさ。今は俺が神務長補佐だ。神殿の人事権は俺にある」
肝心の神務長はトルカットに一通りのことを教え込むと、あとは実践あるのみだとかなんとか言って地方神殿の視察へと出かけてしまった。寒い地方は駆け足で回ってあとは暖かい地方にいるから何かあったらそっちによろしくとかなんとか言いおいて。バカンスでもする気満々じゃねえか。だから今現在、実質神殿の人事全般を牛耳っているのは補佐のトルカットである。あの少女をどうするかという決定権だって。ということをほのめかすと、
「神殿長補佐は俺なんだけど」
イドゥリオも目を吊り上げて対抗してきた。神殿長はこの神殿の責任者であり神務長よりも上。しかも当の神殿長は神務長と一緒に視察という名の旅行に出かけてしまったため、だから今現在、実質神殿のトップを務めているのは気に食わないがこの男なのだ(ちなみにこいつのほうが早く生まれているからトルカットよりも先を歩いているだけで、実力の差とかでは全然ない)。
だから最初に一応くれないか聞いておいてやったのに、意味の分からん理由で突っぱねたのはそっちじゃないか。
「じゃ、聞くが。その神殿長補佐様は、あの子供をどうするつもりなんだ?」
「どうって……」
今はまだ混乱しているようだから、落ち着いたらどこから来たのか話を聞くこと。そして家に帰してあげる。準備が整うまでは巫女見習いにでもして神殿で暮らせるようにしてあげること。ライバルの男はそんな誰でも思いつくような常識的でありふれていて、しかも何の得にもならない解決策を語った。トルカットに言わせれば重大な機会損失である。
自分で聞いた手前、一応相手の答えにはふむと頷いてみせてからトルカットはおもむろに話題を変えた。
「ところで……。例の巡礼路の件、どうなってる?」
相手は急な話題転換にちょっと目を見開いたものの、
「あんまり進展してないよ」
悩みの種だというふうに腕を組んだ。
イストリエカまで巡礼してくるために作られた道を巡礼路という。いくつかあるそれらは巡礼者にとっては便利な道であると同時に、イストリエカにとっても収入を運んでくるという重要な役割を果たす。ところがそれらの道は当然、その地方の領主が管理するところであり、
「全体の八割くらいは修繕が必要そうなんだけど……、なかなか直してもらえそうにはないね」
一定の利用者はいるものの、王都へつながる道ほどは栄えていないとなれば後回しになってしまうものだった。しかしその後回しにされているという事実こそが、紛れもなく神殿が軽んじられているという証拠だ。こちらとしては何とかさせたいところである。
「特に五年前のとき、反対派だったところはひどいね……。がけ崩れがそのままだったり、獣道みたいになっちゃってるところもあるとか。さすがにそういう酷いところはウチからお金を出してもいいから直させたいけど……」
ふうとため息を吐くさまは、話し合いすら思ったように進んでいないらしいと危ぶむのに十分だった。
この確執には当然理由がある。五年前に武器持ち込み完全禁止の法が制定された時、根強い反発があったのだ。それまでは一定額以上の寄進を納めた者にのみ帯剣が許可されていたので、イストリエカで武器を堂々と持ち歩くのはある意味、一種のステータスだったのだ。それがなくなってしまい、もう高額納める意味はないとばかりにあからさまに激減した寄進の額。イストリエカの独立性を知らしめてやったことと引き換えに受け入れざるを得なかったマイナス面だが、そろそろなんとかしたいとみんなが頭を悩ませていたのだ。
「なあ、それ、あの子供がいれば解決するかもしれないぞ」
せっかくの朗報に、しかし相手は警戒するように眉をひそめた。
「どういうこと?」
「あいつは野生の神獣に食べられることなく、神殿まで運ばれてきた。その時点で箔がつくと思わないか」
箔がつくという言葉で全てを察したのか、相手は苦い顔になった。
「……神獣は人間は食べないのかも」
「そうだとしても、わざわざ神殿まで運んでくる事例が過去にあったか?俺の知る限り、ない」
断言はしたが特に歴史に詳しいわけでもないので相手の反応を待っていると、彼もしばし考えこんでいたようだが否定はしなかった。
「……でもそうだとしても、俺は賛成できないな。そんな、あの子を利用するようなこと……」
「もちろん本人の意思は確認する。神の使いを演じる度胸はあるか、それとも巫女見習いのつらい仕事をやるほうがいいのか。それになにも、もし協力してもらうとしたって一生神殿に縛り付けるわけじゃない。二、三年いてくれたら、それで神殿の格はじゅうぶんに上がるんだ。そのあと家に帰ることだってできる」
そして二、三年もいれば神殿に染まって、こちらに有利な働きをしてくれるようになるだろう。というところまでは戦略的に口に出さずにトルカットはまずの第一関門を見つめた。
「強要はしない。選択肢の一つとして提案するだけだ。それならいいだろ?」
相手は渋い顔をしつつも、選択肢が増えること自体を悪と思ってはいないようだった。ほらな。トルカットは内心勝ち誇った。
評判は最悪かもしれないが、人を丸め込むのは得意なほうだ。大神官候補双璧のライバルと目される男でもこの通り。トルカットがイドゥリオに対して圧倒的に優位な分野といえた。ましてやあんな小娘の一人や二人、造作もないことだろう。
降ってわいた神殿の幸福に、トルカットは思わず片頬を上げた。
二、三年どころか二、三日でトルカット(権力)に染まってそうな麻梨菜