9.最高級塗り薬
王国一行が去ってしまうと、座り込んだままの麻梨菜の周りにはトルカットを先頭に人垣ができていた。
「ご、ごめんなさい」
小麦色のカツラを持って佇むトルカットの圧力に屈して先手を打つ。全身傷だらけのぼろぼろで謝る女の子にそう強くは出られないはず。いやでもトルカットのことだから以下略。下げた頭にトルカットの視線がびしびしと突き刺さるのを感じて、麻梨菜は審判の時を待った。
「違うんですトルカット様。俺がマリーナのそばを離れたから……、」
隣でジーノスが言い募るのをさっぱりと無視してトルカットが麻梨菜の目の前にしゃがみこむ気配がした。そして覚悟にぎゅっと目をつぶる麻梨菜をじっと見つめて一言。
「ひでー顔」
予想していなかった第一声に思わずぱちくりとしてしまうと、彼は泥水が飛んで服が汚れたときみたいな、後で洗わないといけないのめんどくせえなあというような感情だけで顔をゆがめていた。……怒って、ない?
ほらもうそういうこと言わないの、と後ろのほうで優しげな神官が注意しているのを聞いているのかいないのか、たぶんまるっきり無視して彼は麻梨菜の治療に来ていた巫女たちのほうへと視線を向けた。
「ウチの商材に瑕がついたら困る。完璧に治してやってくれ。最高級の塗り薬を使っていい」
「ご心配なさらなくても、まだお若いですから。すぐに綺麗に治りますよ」
白い上着を羽織った高位の巫女がにこりと笑って請け負うと、トルカットはそうかと答えて麻梨菜に視線を戻した。まともに見つめられて、再び緊張が走る。
「でもあいつら、ぎゃふんと言わせてやっただろ」
「は、はい!」
一転してにやと悪い笑みをするトルカットに、麻梨菜の表情も明るくなる。またトルカットに、ひいては神殿の未来に貢献してしまった。当事者だった二人が満足げな様子に、周囲の人々もホッと一息。次第に微笑みが伝播して、和やかな空気が辺りを包んだ。
めでたしめでたし。そんな雰囲気の中でしかしジーノスだけが一人、浮かない顔をしていたのを、麻梨菜は全く気づいていなかったのだった。
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トルカットの口添えで一番いい塗り薬を使ってもらえたのは良かったのだが。
「この機会に古いのはたっぷり使っちゃって、新しいのを買ってもらいましょ」
というとある巫女の提案のせいで、麻梨菜は必要以上にべたべたに塗りつぶされる羽目となった。
「うう……」
しかも腕や足は布でも巻けばしのげるが、問題は顔だった。こんなてかてかの顔、誰にも見られたくない。のに、隠す手立てもないまま生活を余儀なくされるのだ。いいんだか悪いんだか、控えめに言って地獄である。
「っ、あー!!」
しかも時折、ふと顔を触ってしまいそうになるたびに自制しなければならないのだ。むしろ今みたいに、触ってしまってからそのぬるりとした感触に飛び上がること多数。この指先についてしまったぬるぬるをどうしよう……。なすりつけるものを探そうとして、隣にいるのにやけに静かなジーノスの服にぺたりと押し付けてみた。
「……」
いつもなら汚ねえ!やめろ!とか言って即座につき飛ばしてくるはず、なのに、何も反応がない。ちらりと上目遣いで窺うと、拭いている現場をじっと見ては、いる。無言で。
「……。どうかした?」
別に言われたいわけではないけど何も文句を言ってこないのが気になって聞くと、ずっと思いつめたような顔をしていたジーノスは、その顔のままごめんとぽつりと謝ってきた。
「え、え?」
「俺が一人にしたせいで、こんな……」
そう言って両手で麻梨菜のてかてかの顔を上向けて、心を痛めたような表情をする。
「……ていうかこれ、ほとんどレジーナのせいだけど……」
「いや、でもあそこで王国側に少しでも手を出したらそれこそ外交問題だった。だから、もっと俺が……」
もっとちゃんと見ておくべきだったとかなんとか、要するに麻梨菜を一人にしたせいで王国勢に拉致られたと後悔しているようだった。むしろジーノスがいないうちに、なんて考えて麻梨菜自らついていったというのに。ていうか、そんな顔するならレジーナのしつけ方のほうをもっと後悔してほしいんだけど……。などと努めて関係のないことを考えようと頑張る麻梨菜の努力をふいにするかのように、ジーノスはじっと見つめてくるのをやめようとしない。
「ちょ、ちょっと、あんまじろじろ見ないでよ。べたべたしてるし……」
さすがに見すぎじゃないだろうか。こっちのほうが目のやり場に困って、あと傷だらけなうえに薬でてかてかとしている顔を穴が開くほど見つめられるのが恥ずかしくなって顔を背けようとすると、
「ああ、ごめん……」
ごめんと言ったわりには何かまだ考えている様子で体のほうは動いていない。さすがに困って上目遣いで再びちらりと様子を窺うと、
もふり。
割り込むようにレジーナが、その鼻先を向かい合う両者の顔の間に突っ込んできた。
「うわっ、ギャッ。もさもさするう!」
しかもそのままくーんと猫を被った鳴き声でジーノスのほうを向くもんだから、麻梨菜の顔にもっさりと獣の毛が押し付けられることとなってしまった。
「あ、ごめんなレジーナ。べつにお前を怒ってるわけじゃ……」
違う、奴は明らかに邪魔しに入っただけだ。なのにジーノスは甘えるように鼻先をこすりつけてくるレジーナが、自分のせい?ごめんなさい。許して。と言っているとでも思っているようだった。いつもより数倍激しくすり寄って、というよりもはや体当たりしているような状態のレジーナにだいぶよろめきながらも盛大にわしゃわしゃとなだめている。
「うわあ!もう!ほらあ!毛がついたあ!!」
それよりもこっちのほうがひどい。顔中べたべただったところにレジーナの毛が無数にくっついて、たぶん脱毛テープの表面みたいなことになっている。
「うわっ、ああ~……、ひっでえ……」
麻梨菜がもがいていることに気づいたジーノスの反応からもそれは明らかだった。しかも若干引き気味なのが無性に腹立つ。誰のせいだと思ってんだ!
「なんとかしてよこれ!!」
「うわきっも。ちょ、こっち来ないで……」
こっちはかゆいようなチクチクするようなで苦しんでいるというのに、きもいきもいと連呼して逃げる薄情な男。しかもレジーナを守るようにして!だから原因はそいつだ!
「バカ――!!!」
麻梨菜の渾身の怒りは、神殿の空高くに吸い込まれていくこととなった。




