第八十八話 キャンプ前編
ホイル焼きとバゲットを美味しくいただいてお腹は満腹になったものの、雨は相変わらずざあざあと降り続いている
キャンプ場の水を汲みにいくのも一苦労だ。
とりあえずはインスタントコーヒーを淹れて、焚き火をして暖まりながらゆっくりと寛ぐことにした。
園尾さんはインスタントコーヒーに何本かシュガースティックを使って、ようやく自分好みの味にして飲んでいる。
「……和むわね。あたしこういうの好きよ」
「それは良かった。たまにはペンを置いてダラけるのも良いことさ」
「ねえ……木石くん。わがまま言ってもいいかしら?」
すると、首を傾げて彼女はこちらを覗き込んでくる。
その所作は中々に蠱惑的で、たぶん男なら彼女のお願いを断るのは至難の技のように見えた。
「手、握ってもいいかしら?」
「……手?別にいいけれど」
「じゃあ……ちょっと借りるわね」
彼女に左手をそっと掴まれる。その白い手は僕とは違って柔らかくて、指の形からして細く、嫋やかだった。
そして、雨の中で冷えたのか少しひんやりとしていて気持ちがいい。
「……全然違うのね。とても大きい」
「そこまで違いは無いと思うけどねぇ」
「でも木石くんの手は暖かいわ」
指を絡めて、隅々まで感触を確かめるように弄ばれる。ふにふにと親指で押してみたかと思えば、恋人のようにぎゅっと噛み合わせてみたり。
「……ねえ。焚き火にあたってたら……少し眠くなってきちゃった。一緒にお昼寝でもしないかしら?」
「……へんなことはしないよ?」
「えっちね。……してもいいのに」
コーヒーを飲み終えて、手を引かれてテントの中へと誘われる。そこまで大きく広くないテントの中で、自然と距離が近くなった。
「その……」
「なんだい?僕に出来そうなことなら聞くよ」
もじもじと園尾さんらしくなく、遠慮がちに言葉を選んでいるようだ。
しかし決心したのか、ようやく重い口を開いた。
「あ、頭を撫でてほしいの。いいかしら……」
「……うん、いいよ別に。そのくらいお易い御用さ」
それを聞くと彼女はおずおずとおもむろに近づいて、そのままもたれかかるように僕の膝に頭を預けてくる。
どうやら僕に甘えてみたかったらしい。
なんとも可愛らしいお願いだ。
「よしよし。園尾さんはいつも頑張ってるねぇ」
「……ふみゃ……!」
!? なんだ今の甘い声は?
いつもクールで淡々とした園尾さんらしからぬ、
まるで子猫のような声にならない声だ。
「……は、恥ずかしいわ……!」
「……良いんだよ、園尾さん。今日ぐらいは存分に甘えてくれ。ほーれよしよし」
「ふみぃ……! にゃ…… なぁ……」
撫でてあげると、面白いように甘い声をあげる。
少し頬を紅潮とさせて、手足がだらんと力無く垂れ下がっているあたり、本当に頭を撫でられるのが好きらしい。
「ふふふ……園尾さんはかわいいねぇ」
「なあ……! そんな、かわいいなんて……」
おっと、ついつい口の端から本音が出てしまった。
しかし今の園尾さんは、普段のキリッとしていて隙がない様子とはまるで違って新鮮だ。
隙だらけでふわふわとしていて、愛くるしい。
「……も、もう大丈夫……」
「おや? もう良いのかい……楽しくなってきたのに」
いつのまにか耳まで顔を赤くした彼女が僕の手をとって動きを止めた。
園尾さんをモフるのは中々に楽しかったので残念だ。
「……次は……その……だ、抱きしめてちょうだい」
「いいよぉ。遠慮なく甘えてくれたまえ」
両手を広げて歓迎すると、躊躇しつつも園尾さんが後ろを向いて僕に腰掛けてくる。
意図がわかったので、彼女を包み込むように抱きしめてあげた。園尾さんの良い匂いがして、とても柔らかい感触がこちらとしても心地が良い。
「あ……ふぅ……ぅ…… とても……良いわね」
「そうかい? それは良かったねぇ」
「……あたし……このまま寝たいわ……いいかしら?」
「いいよぉ……。抱きしめておくから、ゆっくりと寝るといい」
そのまま横になって、僕の腕を枕にして彼女が寝転んだ。
僕とは違って華奢な彼女の身体をゆるく抱きしめてあげると、彼女の心音が背中越しにとくんとくんと聞こえてくるようだ。しばらくそのままでいると、だんだんと彼女の鼓動がゆっくりと治まってきて大きなあくびをした。
「……あたたかいわね……こうへいくん……」
「おや……? おねむなのかな? 遠慮せずに寝てしまうといい。ずっと抱きしめてあげるから」
「こうへいくん……ずっと……いっしょに……」
そして、そのまま寝息を立ててしまった。
なんだか誰も知らない彼女の知られざる一面を見てしまったようでとても優越感がある。
それに何より甘えてくれる彼女はとても可愛らしい。普段の淡々とした様子が嘘のようだ。
(今の君なら……僕も好きになれそうだよ)。
そんな、なんとも傲慢なことを思いながらも僕もあくびをして、そのままうつらうつらと眠ってしまった。