第六十六話 カレーライス
眠っている彼女を起こさないように家に連絡する。
とりあえず今日は介抱のために家に帰れそうにないと伝えておいた。
そしてただ広く、部屋数は多いものの生活感があまり感じられない上梁さんの家を少し歩き回り、彼女の部屋と思われる部屋を見つける。
そこは彼女らしく、大きなクローゼットと姿見のある部屋で、とても綺麗に整頓されていた。
羽のように軽い彼女をその部屋まで運び、そのままタオルケットをかけて横に寝かしたところで、ボクも緊張の糸が解けたのか眠気が襲ってきた。
(内鍵は閉めて……申し訳ないけど、とりあえずはソファを借りて眠ろうか……)。
上梁さんは今は静かに眠っているようだけれど、未だに容態が安定していないだろうし、何よりボクが彼女をそのままにして帰りたくない。
後で彼女の親に何か言われるかもしれないが、こんな状態になるまで彼女を放っておく人間には、逆にこちらから文句の一つでも言いたい気分だった。
そう思いながら、自分にできることをした後、うつらうつらとしてソファに倒れ込んだ。
目が覚めると、香辛料の良い匂いが鼻をついた。
そういえば上梁さんの家で寝てしまったんだと思い出して飛び起きると、何処からか鼻歌のようなものが聞こえてきた。
「〜♪ ……? 保食くん……起きたの?」
「上梁さん……起きて大丈夫なんですか?」
見ると、エプロン姿の上梁さんがキッチンから出てきた。
その手にはお玉を持っていて、どうやら匂いから察するにカレーを作っているらしい。
「ええ……自分でもビックリするぐらい……元気。
たぶん……保食くんのお料理を食べたおかげね……」
「無理は良くありませんよ……」
「まあまあ……とりあえず。朝ご飯にカレーを作ってみたの。食べてくれるかしら?」
朝からカレーとは……強がってはいるものの、上梁さんも実は相当にお腹が減っているらしい。
確かに昨日の色々で、かなりお腹が減っているボクとしても嬉しい申し出だった。
それに、せっかくの上梁さんの手料理を食べられる機会だ。逃す手は無いだろう。
「その……ご馳走になります」
「ええ……保食くんのご飯よりは美味しくないだろうけど、レシピ通りに作ったから……」
そう言って、カレー皿に山盛りのカレーが盛られる。
「? ……上梁さんは食べないんですか?」
「……ごめんなさい……我慢できなくて、もう食べちゃったの」
「そうですか……ではいただきます」
テーブルについて、一口カレーを食べてみる。
少し味が濃いような気がしたものの、普通に美味しいカレーだ。だけど、上梁さんがボクのために作ってくれたと思うと、更に美味しく感じられる。
「美味しいです。上梁さん」
「そう……良かったわ。お料理って苦手だから。
口に合わなかったらと心配だったの」
実質、上梁さんが作ったものならたとえ不味くても食べ切れる自信はあったのだが。
こうして好きな人に手料理を食べさせてもらえるとは感無量だ。
「……ねえ……保食くん。一週間前……何があったのか、
聞いても大丈夫かしら……?」
「あ……その……」
……そう。そういえばそうだった。
事の発端は榊原の事件でボクが引きこもった事なのだ。
彼女にも多大な心配と迷惑をかけてしまった以上、
ずっと隠しておくわけにもいかないだろう。
伝えにくい話なので、少したどたどしくなりながらも、事の経緯を全て上梁さんに報告した。
上梁さんはその話の最中で、泣いてしまうほどボクに同情してくれた。
「保食くん……そんなことがあったのなら……。
ずっと連絡が取れなくても、仕方がないわね」
「いいえ……その。本当はずっと上梁さんに会いたかったんです。あなたに慰めてほしくて……。
でも、弱いボクを見せるのが……怖くて」
すると、上梁さんがボクを包み込むように抱きしめる。
それはまるで、母親の胸の中にいるかのように暖かかった。
「弱くてもいいの……保食くんは、私のことを救ってくれたんだもの。
だから、今度は私があなたを救いたいの……」
「上梁さん……ボクは……ボク、は……」
上梁さんの優しさと……暖かさに包まれて、ボクはまるで子供のようにわんわんと泣きじゃくった。それを上梁さんは静かに受けとめて、ゆっくりと頭を撫でてくれた。