第六十三話 保食忍
深い深い暗闇の中で、昔の記憶が呼び起こされていく。思い出したくもない記憶が、堰を切ったようにどんどんと溢れ出してくる。
これは夢なんだ……と自分では実感しているものの、思うようにいかない。
忘れていたはずの記憶、忘れていたかった思い出が、蓋を開けてどんどんとボクの足元から飲み込んでいく。
ある日、小学生だったボクは周りの子と馴染めずに困っていたのだ。ボクは体力が無かったし、あまりお外での遊びが好きじゃなかったから。
お前みたいな女みたいなやつ、仲間に入れてやらないと何度も言われて、泣いていた。
お父さんに相談したら、お前に男らしさが足りないせいだと言い出した。
「……なあ忍……父さんがお前をもっと男らしくしてやろうか?」
「? ほんと? お父さん。ボクが男らしくなったらみんなと仲良くなれるかな?」
「ああ……きっと仲良くなれるさ」
そう言って父さんはボクを抱え込んだ。
すると……彼はボクを抱きしめて、静かに囁いた。
「忍は……小さいな。まるで女の子みたいだ」
「お父さん! ボク男だよ!」
「ははは……ごめんごめん。忍が可愛くてな」
そう言って、父さんはボクのズボンの中に手を入れてきた。突然のことで驚いたが、その時は何故だが声を出してはいけないような気がした。
背後からは荒い父の息遣いが聞こえて、逃げ出そうにも腕の力は到底敵うはずもなかった。
「なあ……忍……今、父さんがお前を立派な男にしてあげるからな……」
「お父さん……?そこは弄っちゃダメだよ?」
父が、ボクの股間を触り出したと思った時。
その光景を、母が聞いたことのないような悲鳴をあげて静止した。
それから父の姿を見ることはなかった。
母は初めはボクのことを抱きしめて泣いていたものの、次第にしきりに父のことを話しはじめた。
あの人は本当に家庭的でいい人だった。
あの人は私のことを愛してくれた。
あの人はお前のせいでいなくなった。
そうして、母はボクをなんどもなんども厳しく躾けた。
ご飯が少しでも残っていれば叩かれる。
学校からの帰り道で服を汚したら服を取り上げられた。
給食費を頼んでも返ってきたのは空の袋だった。
耐えきれなくなって、もう何日もろくに食べていないことを小学校の先生に相談した。
今度は母がボクの前からいなくなった。
しばらくは一時避難所で過ごした後、ボクには新しい両親ができた。
里親になってくれた藤雄さんと桜さんはとても良い人だった。ボクの過去を知っても、変わらずにボクのことを家族として受け入れてくれる。
上梁さんと出会って、少しは男らしくなったのかなと思った。彼女のことを甲斐甲斐しく世話しているうちに、自分が価値のある人間だと錯覚していた。
けれどボクはずっと、ずっとひとりぼっちだった。
小学生の時のあの日から。
父がいなくなったきっかけのあの日から。
母がおかしくなったあの日から。
ボクはずっと、無力な子どものままだった。