第六十二話 榊原の恋
驚きと恐怖のあまり叫ぼうとする。
すると、榊原は素早くボクの鳩尾を殴りつけた。
「ぐぁっ……!?!」
息が詰まって悲鳴が途切れる。
あまりの痛みと嘔吐感に支配され、一瞬視界が白く歪んだ。
「俺はなぁ保食……一応空手やってたんだけどな。
……なんか見る目がやらしいとかで、部を追い出されたんだ」
俯いたボクの髪を乱暴に掴んで、そのままもう一発鳩尾に拳が入れられる。今度こそ耐えきれなくて、胃の中身をトイレの床にぶちまけた。
「保食ぃ……お前、やっぱそういう顔の方が似合ってるよ。なんか涙目の方がエロいし……そそられる」
無理矢理顔を上げられて、そのまま便器に座らされる。
吐瀉物が詰まって声が出せなくなっていると、
榊原さんはカチャカチャと自分のベルトを緩め始めた。
「わりぃ……やっぱ我慢できねえわ。
とりあえずは口で___」
「何してるんだ二人とも?!!」
瞬間、榊原の背後から怒号が響く。
どうやら店長さんのようだ。
ああ……助かった……
そんなことを思いながら、次第に意識が遠のいていった。
目を覚ますと、ボクは店の椅子に座らされていた。
周囲には警察官の方がいて、水を注いでくれた。
榊原はあの後、店長を押し退けてどこかへ行ってしまったらしい。店長は素早くボクの容体を確かめて、とりあえずの応急処置をした後、警察に通報してくれた。
彼は傷害と未成年飲酒の疑いで家庭に連絡が行く手筈らしい。おそらくは、すぐにでも捕まるだろう。
「……つまりは君と榊原くんの間で、痴情のもつれが起きたと?」
「……そう、みたいです……」
警察官の方への事情聴取になんとか答える。
ボクも突然のことで何が何やらよくわかっていないが、つまりはそういうことなのだろう。
「……なんとも、かける言葉が見つからないな。
とりあえずは君を家まで送ろう」
婦人警官の方に案内され、家路に着く。
正直……今はこのお腹の痛みと汚れた衣服を早く着替えて、泥のように眠りたかった。
家に帰ると、藤雄さんと桜さんはこちらを心配してか言葉もなく出迎えてくれた。
すぐにシャワーを浴びて、服を着替えた。
自分の部屋に戻り、携帯をみると何件かメッセージと着信が入っていた。どうやら上梁さんからのようだ。
『何度か電話をかけたのだけど、今忙しいの?』
(……今は……とても上梁さんと話せそうにないや)。
『ごめんなさい。しばらくお返事できません。
落ち着いたら必ず連絡します』
薄れゆく意識の中でなんとかメッセージを打って、そのまま意識を深い闇に沈める。
明かりの無い暗闇の中で、ボクはただひとりぼっちだった。