第六十一話 お酒
「遅いぞ、保食。早く着替えてくれ」
「す、すいません。すぐに準備します」
榊原さんに急かされてバイトの制服に着替えて、すぐに接客を始める。
暑い季節だからなのか、辛いメニューが特に人気で、冷房の効いた店内でもてんやわんやになるほどの盛況ぶりだった。
おそらくはここの店長さんの腕がいいのもあるのだろうが、やはり駅前という好立地と、部活帰りの学生という太い客層がこの忙しさに起因しているのだろう。
「3番、大盛りラーメンだ。気をつけろよ」
「はい!……お待たせしました!」
それでもここ数週間で仕事にはだいぶ慣れたので、難なくこなすことができた。
こうして働くのも自分の中ではとても楽しい。
報酬という形で見返りがあるし、ないより学校での自分の立場を忘れられるのだ。
「お疲れ様。……保食、今日はまかない、食べていこうぜ」
「ええと……じゃあ、家に連絡しておきますね」
ここは個人経営の中華料理屋さんなので、店主さんのご厚意でまかないを食べることが出来るようになっている。
ただし無料というわけではなく、少しだけお金を払う必要はあるのだが、それでも安く美味しいお料理を食べられるのでお得だろう。
ボクはチャーハンを、榊原さんは大盛りのラーメンとミニチャーハンを頼んだ。
大柄な男の人らしく、とても良い食べっぷりだ。
するとふと榊原さんがニヤっと笑って、一度厨房に戻っていった。帰ってくるとその手には二つのジョッキが握られていた。
「ほれ、保食も飲め。たぶん美味いぞ」
「? なんですかこれ……?」
飲んでみるとどうやらそれはレモン入りの炭酸ジュースのようで、スッキリとした喉越しだ。
しかしどこか臭いというか嗅いだことのあるものが……これは……。
「! これお酒じゃないですか?」
「……おう。気づいたか」
榊原さんは小声で言うと、グイッとジョッキをあおる。
ニヤニヤした顔は崩さず、悪びれない様子で続ける。
「まあ……何事も経験ってやつだよ。
安心しろ。店長にはバレないようにしておくし。
俺も何も言わねえから」
「でも……お酒はマズイですよ」
「気にすんなって。なんならお前の分まで飲んでやるよ」
言われて、興味はあったものの怖くなって榊原さんにジョッキを渡す。
つれねえなぁとジョッキを受け取った榊原さんはそれを一気に飲み干した。
「榊原さんは……いつもこんなことを?」
「いや……今日が初めてだな……」
「どうして……?」
「……なあ、ちょっと話……聞いてくれるか?」
こうして少し赤らめた顔で、呂律が怪しい榊原さんのお話を聞く羽目になった。
「俺なぁ……好きなやつがいたんだよ」
「え……そうなんですか?」
榊原さんが語り出す。
なんでも、榊原さんには最近気になる人がいたらしい。
その人は真面目な努力家で、顔が可愛らしくて華奢な人らしく、榊原さんとしては一目で気に入ってほのかな恋心を抱いていたというのだ。
「けどな……最近になって、そいつが恋人を見つけたみたいなんだ」
「それは……悲しい話ですね」
「そうだろう?俺は……想いを伝える前に、フラれちまったんだよ」
まあ、俺にはそんな度胸、無いんだけどな。
そう言う榊原さんは、その大柄な体格に見合わず小さく見えた。ボクも……今はいいが、そのうち上梁さんに他の男の人が言い寄ったら、ボクよりも素敵な人に出逢ったらと思うと、胸が締め付けられる思いになる。
「あー……一度でいいから、アイツを抱きしめたかった……」
「……ははは、榊原さんはかっこいいですし、
すぐに次の人が見つかりますよ」
「そうか……?嬉しいこと言ってくれるな。
でも、やっぱり諦めきれねえよなぁ……」
若干焦点が怪しいが、榊原さんがここまで落ち込んでいるのははじめてみる。
どうやらよほどその女の子にご執心だったのだろう。
「……すいません。ちょっとお手洗い行ってきますね」
「……おう。行ってこい」
昼間にかき氷を食べたからか、ふと尿意を催して席を立つ。その時……榊原さんの目が、少し怪しく光ったような気がした。
(榊原さん……かわいそうだけど、ボクには何もできないしな……)。
用を足しながらどうしたものかと考える。
なにぶん恋愛経験なんて無いから、どう慰めていいものかもわからないのが難しいところだ。
そんなことを考えて、ドアを開けると……
そこには、榊原さんが立っていた。
「?榊原さんどうか_」
何か言葉を紡ごうとした矢先に、素早く口を塞がれる。
驚きのあまり体勢を崩しそうになり、そのまま後退りして便座にへたり込んだ。
「俺はなぁ……保食。
お前が好きだったんだよ」
そう言った榊原さんの目は、血走った獣のようなギラギラとした眼光を宿していた。