第三十五話 温泉前編
そのあとしばらく広縁で夕日に染まった海を眺めていると、柳城も徐々にではあるが気持ちも落ち着いてきたようだ。
男である俺としても、あの粗野な風貌の義次さんは苦手としているので、女性であり男性に苦手意識を持っている柳城は相当に恐怖を感じたに違いない。
何度かお茶を淹れてあげて、備え付けられていたお茶菓子を食べていると、いつのまにか夕食の時間になったようだ。
中居さんが次々と食事を運んできてくれて、その煌めくような料理の数々を見るころには、すっかりいつもの調子を取り戻したかのように思えた。
「お、美味しい……何これ……すごいお出汁が効いてる……」
「ああ……いや改めてこれはすごいな……美味い」
料亭もかくや、というレベルの食事には流石に驚かされる。味の複雑さと深みは一般的な家庭では到底出し得ないものだと感嘆するが……。
しかし、これはたぶん……。
「う、うう……もっと食べたいのに、もう……」
「……まあ、美味しそうなものを一口でもいいから、
少しぐらいは俺が食べるよ」
やはりというべきか、柳城にはこの量は多すぎたようだ。
実に悔しいといった様子で渋々こちらに少し齧ったものを任せてくる。
……もう当たり前になってはいるのだが、柳城はそういうのに全く頓着しないのだろうか?
「ごめんなさい……せっかくこんなに美味しいのに……」
「……今回はお茶菓子でお腹が膨れてたから仕方がないが、
できるだけ腹は空かせておけよ。
朝もたぶんこんな感じの食事だぞ」
「これどのくらいの値段になるんだろう……」
「考えると無理して食べ過ぎるぞ。こういうのはとりあえず感じたままに厚意に感謝したほうがいい」
浅海家ってやっぱりすごいんだね……。
と膨れたお腹を二人で抑えてしばらく食休みをした。
せっかくの北海での旅行なのに、二人して特に何をするでもなく普段と同じように携帯をいじっていると、ふとそろそろ遅い時間だというのに気づく。
「柳城、俺は風呂に入ってくるつもりだけど」
「あ、そうなの……?」
すると柳城は何故だかモジモジとしていて、どこか様子がおかしい。そう思ったら、意を決したのか少し顔を赤らめて頼み込んできた。
「その、で、できればでいいんだけど……
一緒にお風呂、入ってくれない?」
「え?……いや、その……それはどういう?」
「えっと、その……今日は久しぶりに怖い目にあったから、
一人でお風呂入るのが、ちょっと怖くて……」
……んんん?つまりどういうことだ?
おそらくは部屋に備え付けられている家族風呂に俺と一緒に入ってほしいということなのだろうけど。
「い、いつもはこういう時、お母さんと一緒に入るんだけど。今日はその、祐介しかいないから、ね」
「いや、それは……さすがにまずいだろう」
「そ、そうだけど……でも、祐介なら大丈夫かなって」
いや、微塵も大丈夫ではないだろう。
……しかし、男性に対して恐怖を抱いている彼女に、少しでも安心してほしいというのはある。いやでも一応俺も男なんだけどな?
「だ、駄目そうなら今日はお風呂入らなくてもいいから……」
「ぐぅ……しかしなぁ……」
浅海家の問題で色々と苦労を強いてしまった手前、できるならばこの旅行で日々の疲れを癒してほしい。
何故だかは全く理解できないが、俺はどうやら異性として見られていないみたいだし、一緒にいれば気が休まるというなら……。少しは償いになるだろうか?
要は……俺がへんなことをしなければいいのだ。
「……タオルは巻いてくれよ。予備のタオルを持ってくれるようにフロントに電話してみるから」
「……いいの?わたし、結構すごいこと頼んでるんだけど?」
「ああ、自覚してくれると助かる……。今回は特別だぞ」
そういうわけで……いや一体どういうわけだか。
一緒にお風呂に入ることになった。