第三十話 北海へ
夏休み初日
涼しいグリーン車の車内の中で、傍らに青い空と海原が見えるスッキリした夏日和
そんな気持ちの良い天候とは裏腹に、俺の心はどんよりとした気分になっていた。
対して柳城は興奮冷めやらぬと言った感じで、白いワンピースに小さめの麦わら帽子という涼しげな格好で海を眺めていた。
「それにしてもすっごい太っ腹だよね。浅海の家の人……えっと、たしか信行さんだよね?」
「ああ、信行さんは俺の義理の兄にあたる方だ。
少なくとも今の浅海家の表向きの実権を握ってる人」
「まさか無料でいくらでも使って良いなんて……。
それにグリーン車の切符までもらっちゃったし」
……駄目で元々、といった調子で浅海家の本家筋である信行さんに電話したのだが、何を考えているのか知らないが破格の条件で了承されてしまった。
曰く、直営の旅館で空いた部屋を作るから、そこに夏の間なら声かけしてくれればいくらでも泊まっていくと良いとか。
正直、あの人に借りを作るのは良い気分ではない。
「ええと、ちょっと整理させてね。
浅海のお家の本家の人が、三郎さん、信行さんと梅さんであってる?」
「そうだな。その方たちはおそらく北海市の本家にいるから、ご挨拶しておかないと文句を言われるだろう」
「……他の親族の方で注意しておく人は?」
「……義次さん、この人も俺の義兄にあたる人だが、
あまり良い噂を聞かない。おそらく海のほうで遊び回ってるから会わないとは思うけど」
浅海の家はかなり面倒な家庭になっている。
考えただけでも頭が痛くなってしまうほどに。
「後は、俺の義理の母親……になるのかな。
宮子さんはかなりこちらを目の敵にしてるだろうから。注意した方がいい」
「お、覚えきれないかも……うう……これから知らない人に挨拶すると思うと、き、緊張する……」
「……たかが高校生にそんなに期待はされてないから安心しろ。失礼のないようにしておけばいい」
とは言ったものの……俺もこれから顔を合わせる面々のことを考えるととても気分が重くなる。
その点でいえば、こちらよりも緊張している柳城の様子を眺めていると不思議と気が楽になるものだ。
『次は〜北海温泉。北海温泉でございます』
「……着いたか。信行さんがお迎えしてくれるそうだから急ぐぞ」
「う、うん。だ、大丈夫……大丈夫……」
震えてこちらの手を掴んでくる柳城の様子を見て、やっぱり断固として連れてくるのを断るべきだったかなと思った。
「やあ祐介くん。この子が例の柳城さんかな?」
「はい、信行さん。見ての通り人見知りなやつなので……すいません。ほら挨拶しろよ柳城」
「あ、こ、この度は、お世話に、なります」
「あはは……いや、いいっていいってそんな堅苦しい。私は祐介くんの義理の兄の浅海信行。
柳城さんの泊まる予定の旅館の支配人をしてる者だから、
何か不満が有れば遠慮なく言ってね」
「そ、そんな不満なんて……厚かましく押しかけてきてしまって申し訳ありません……」
「いいのいいの!祐介くんのご友人なんだから、
たっぷりとおもてなししないと私が父に怒られてしまうよ」
まあ、とりあえず車に乗って。
といかにも外向き用の車高の低い外車に案内される。
中には運転手の方がいて、助手席に信行さん、後部座席に二人で乗り込んだ。車内はおそらく煙草の臭いだろうが独特の香りがした。
信行さんは50代後半といった歳の身なりの良い壮年の男性だ。旅館の支配人として人前に出ることも多くあるのか、その顔には笑顔が絶えず一見してとても気さくな印象を受ける。
「いやあ、遠目で見て驚いちゃったよ。祐介くん。こんな可愛らしい子といつ知り合ったんだい?」
「ええ……同じクラスでして、最近仲良くなりました」
「そうかそうか!君がわざわざ一人暮らしで高校に通うと聞いた時には驚いたもんだが、こうして良い出会いがあったとなれば素晴らしいことだ」
「は、はい!浅海くんとは……とても仲良くさせていただいてます」
「結構結構……。ああそれと、祐介くんのことは名前で呼んでくれると助かるな。ほら、私も祐介くんも浅海なんだからね」
アッハッハといかにも上機嫌といった様子で信行さんが笑う。
……おそらくだが。信行さんは柳城のことを俺の交際相手だと見ているのだろう。
そして、こちらに借りを作ることで間接的に俺の母親……そして父である三郎氏の覚えをめでたくする目論みだと思えた。
「さて……祐介くんに柳城さん。旅館に着く前に少し付き合ってほしいところがあるんだ」
「ええ、なるべく早くご挨拶しないと、と思っていました」
「うん。君たちが来ると知って誰よりも喜んでいたから」
「私の義父……浅海家現当主 浅海三郎は、ね」