幕間その1 声
声が聞こえる。
耳鳴りがする中で、くぐもった音響が響きわたる。
どこかから聞こえてくる蝉の鳴き声に紛れて、その声がかき消されてしまわないか心細くなる。
その声はどうやら近づいてきているようで、だんだんとはっきりと聞こえてくる。
どうやら私のことを助けてくれようとしているみたいだ。
自転車で轢かれた瞬間の記憶はどうにも思い出すことができないけれど、何処かに硬い地面に寝転んでいるのを感じるから、まだそれほど時間が経っていないのだろう。
私はその声に応えたくて、手足を動かそうとするけど、思うように動いてくれない。
痛みは無いのだけど、身体の自由が利かないのだ。こんな経験は初めてで、とてつもない恐怖を感じる。
声を出そうとすると、肺の中の空気が勝手に口の中から漏れ出てくるのを感じる。上手く舌が回りそうにないけれど、どうしても伝えなくては。
近づいてくる気配は、ついに私の真横まで来てくれたようだ。私を抱き起こそうとしているのだろうか?
ならば……一目……一目でいいから、その顔を見たい。
何故だかとても眠気が増していて瞼が鉛のように重いけれど、それだけは譲れなかった。
ここで見ておかなければ、たぶん私は一生後悔してしまう。もしここで死んでしまうとしたら、最期に見るものはその人の顔が良かった。
なんとしても私を救ってくれる人の顔を見なければならない。
力を振り絞って瞼をようやく開くと……そこにいたのは、髪を短く切り揃えた男の子だった。
彼はどうやら、私の意識を確かめているらしい。
じゃあ、私も彼に返事をしてあげないと。
まだ私は生きていると伝えてあげないと。
「…………やっと会えた……」
万感の想いでそう告げて、視界がぼやけてあまり見えないけれど、ならばせめて触れたいと思って動かせる左手を彼の顔に添える。
ああ……満足だ。
もし私がここで死んでしまったとしても、私を救おうとする彼の顔を一目見ることができた。
それだけで私の心は暖かくなる。
なのに、次第に意識が薄れていくのを感じる。
もっと彼と話をしたい。助けてくれてありがとうと言いたい。そんな想いは叶えられることはなく、ただ暗闇の中に沈み込んでいく。
でも十分だ。最期に、私にとっての救世主の顔を見ることができたのだから。
私の人生はこの瞬間のためにあったのかもしれない。この充足感のためにこれまでの人生を生きてきたのだ。
幸せな気分を抱えたまま、私は微笑んで眠った。