第百三十四話 保食忍のクリスマス
幼い時の記憶が蘇る。
ボクにとってはクリスマスはあまり良い思い出のない行事だ。幼い頃はあまり覚えてないけれど、父も母もボクにおもちゃを買ってくれて楽しかったと思う。けれど今はそのおもちゃは母に壊されてしまったし、父の顔はできれば思い出したくない。
藤雄さんと桜さんに引き取られてからは、またクリスマスを祝ってもらえるようになったけれど、それもまた自分の空白を広げていくような感覚があって少し気まずくて、いつからかクリスマス自体が嫌いになっていた。
けれど、今年のクリスマスは違う……だってボクには……。
「純香! 待たせてすまない、今日も綺麗だね」
「忍くん……! 私ちっとも待ってないわ。貴方に会えるのが楽しみで仕方がなかったもの……!」
最愛の女性がいて、今日は彼女と一緒のイブを過ごす予定なのだから。
「迎えに来てくれてありがとう忍くん……その……私、変な格好じゃないかしら……?」
「いつもの純香よりも少しフォーマルな感じで凛々しくて素敵だよ。それに純香は普段通りでも品があって綺麗なんだから、心配しないで」
手をとって不安そうな彼女のことを励ますと、その言葉に照れたのか純香が頬を赤らめた。
かと思うと眉根を引き締めてさらにキリッとした表情になる。
「忍くんのご両親に会うんだもの……失礼の無いようにしないと」
「藤雄さんも桜さんも優しい人だから大丈夫。
それにボクが散々話してるから純香がどんな人柄かは知ってるよ」
そう、今日はクリスマスということでボクの家におうちデート兼挨拶に来るということになっている。
ボクとしては本当は二人で過ごしたかったのだけれども、彼女がどうしてもご挨拶に伺いたいと言うので藤雄さんたちにも許可を貰ったのだ。
少し緊張して震えているその手を繋いで、励ますつもりでぎゅっと握りながらボクの家へと向かう。
純香は手提げに菓子折りを持参しているようで、まるで結婚の報告のようだなと思ってしまった。
ボクも純香につられて少し緊張しながらも家のインターフォンを押すと、桜さんからの返事が聞こえて、そして気さくに家に入るように促される。
そして玄関を開けるとそこには藤雄さんと桜さんが待ち構えていて、純香を歓迎してくれた。
「いらっしゃい純香ちゃん! 話は忍くんから聞いてるわ。寒かったでしょう? さあ早くあがってあがって」
「君が上梁さんだね? 今日は来てくれてありがとう。大したもてなしはできないが、どうぞ中へ」
「お、お邪魔……します……!」
緊張で声が裏返っている純香のことを心配に思いながらも、彼女をボクの大切な家族に会わせることができてホッとする。
それに藤雄さんも桜さんも純香のことはかなりの好印象を抱いていたらしく、その顔は微笑みで溢れていて純香も少しだけ肩の力が抜けたようだ。
リビングに通されて藤雄さんと対面でボクと純香が並んで座る。桜さんはお茶請けを取りに台所に急いで足を運んでいるようだ。
「まずは自己紹介から。私は吉野藤雄。忍くんの義父でこの家の主人だ」
「はじめまして……忍くんとお付き合いさせて頂いています。上梁純香です。」
「ああ、そんなに固くならなくてもいいよ。純香さんが素敵な女性というのは忍くんから散々聞かされてるからね。お会いできて光栄だよ」
「こちらこそ……ご挨拶が遅くなり申し訳ありません」
ぎこちなく互いの距離を測りながらの会話。
それでもお互いがそれぞれをよく思っているのが伝わってきて、相互に尊重していることが窺える。
そして温かいお茶とクッキーを持ってきた桜さんがそこに入ると、女性特有の姦しさが加わった。
「純香ちゃん! 忍くんのどこが好きになったのかしら? おばさんに教えてくれないかしら?」
「その……優しくて、気遣い屋で男らしいところに……」
「あら〜わかってるじゃない! この子は主人に似てとても細かいところまで気が利く子でね。それに最近ではすっかり男気が増してきて良い男になったのよ!」
「さ、桜さん……恥ずかしいですよ……」
「な〜にぃ? 照れちゃって! 忍くんは本当に純香さんと出会ってから変わっていってね! 日に日に顔が凛々しくなるものだからきっと素敵な女性と出会えたんだって思ってたの〜」
ふふふふ、となんとも楽しそうにボクと純香のことを自慢する桜さんは、とても楽しげでまるで自分の子供を誇るようだ。いや……彼女にとってボクが心の底からそういう存在だと思われているとわかって、なんだか胸がぽかぽかと暖かくなるとともに喜びで少し涙が滲む。
すると藤雄さんが純香へと捲し立てる桜さんの会話の間隙を上手くついて、にこやかな微笑みからどこか真剣で……そう、正しく家長に相応しい威厳を持った表情で純香に向き直る。
「純香さん。忍くんがどういう境遇なのかは……知っているね?」
「はい、これまで辛いことがあったけれど……忍くんはそれを乗り越えてきたことを知っています」
「…………そうだね、忍くんは強い男だ。だからこそこれからも何かしらの逆境に見舞われるかもしれない……」
そして、藤雄さんは深々と頭を下げた。
「そのときに……忍くんの隣で、彼を支えてやってはくれないだろうか。恋人として……それ以上の存在として」
それは、まさしく父親としての願いだった。
ボクのような非力で弱い男でも、純香がいればきっと困難を乗り越えられると信じてくれているのだ。
「……必ず。私は命に換えても忍くんと共に歩みます」
「……そう、そうか。……忍くん、彼女を……君が人生をかけて幸せにしなさい。それが君が彼女に報いる最低限の覚悟だ」
改めてそう言われるまでもない。
ボクにとって純香はもはや欠かすことのできない、この世で一番大事な人だし、純香にとってもボクがいなければ生きていけないような間柄なのだ。
「任せてください。ボクは純香を生涯かけて愛します」
隣に座った純香の小さな手を握りしめながら宣言すると、純香は微笑みながらうなづいてくれて、桜さんは涙を流していた。そしてまた、藤雄さんも満足げに目を細めて笑みを深めた。
ボクたち家族に新しい一員が増えた……そんな確かな実感を感じさせる瞬間だった。