第十二話 汗ばむ朝
もう何度目かわからないが病室の前に来ると思わず身構えてしまう。あの日、四葉さんと初めて顔を合わせた日を思い出す。凛堂さんから病状を説明されたときは地獄に叩き落とされた気分だった。
相手は自分の身体をボロボロにした相手を罵倒することすらできない怪我を負ってしまって。それは今後もずっと続く消えない傷なのだとはっきり告げられたとき。
俺はなんてことをしてしまったのかとどうして俺はこんなにピンピンしてるのに、何の罪もない彼女はそんな十字架を背負う羽目になってしまったのかと自身を呪った。
深呼吸して病室に声をかける。
当然だが返事はなく、そのまま入るしかなかった。
「四葉、おはよう……?! すみません!」
部屋に入ってどきりとする。
四葉さんは自身の持ち込んだであろうパジャマを少しはだけて、タオルを持った左手で自分を拭いていたのだ。
急いで部屋の扉を閉めて先ほどとは違った理由でドキドキと高鳴る心臓を必死で抑えようとする。
チラリと見えた白い肌、パジャマの端に見えたその胸元は、思っていたよりもずっと……その、大きくて。
なんどか腕を組んだときに感じてはいたものの改めて目の当たりにするとその肌の魅力に、自分が男であることをいやがうえにも気付かされる。
数十分後再び今度はより大きく息を吸い込んで、
「四葉さん、今は大丈夫そうですか?」
……返事がないのがもどかしい。仕方がないのでほんの少しだけ扉を開けて中の様子を見ると、今度はきちんと服を着ているようでホッとする。
「先程は本当にすいませんでした……」
四葉さんの近くに座り平謝りする。四葉さんは珍しく顔を少し朱に染めてぎこちない笑顔で苦笑しているようだ。
「今後は四葉のご両親と話し合って合図となるように何かしらの音のでる道具を買いますね」
ハンドベルなどの回数で伝える方式がいいだろうか?
お医者さんとの話し合いなど含めて凛堂さんに早めに対策を取る必要がありそうだ。
うんうんと四葉さんがうなづくとともに何かを考えついたようで、少しむぅ……と悩んだような顔をしだした。
「……どうかした? 四葉?」
すると、一層顔を赤らめて左手でこちらにタオルを差し出してきた。
これはまさか?
「えっと……その、俺が拭く……のかな?」
こくん……と控えめにうなづいてくる。
いや……それは駄目だろう……。
おそらくは左手で届かないところの寝汗などを拭いてほしいのだとは思うのだが、それは看護婦さんなどにお願いしたほうがいいのでは無いだろうか?
「か、看護婦さんを……呼んでくるよ」
立とうとすると、ちょびっと服をつままれる。
四葉さんは顔を赤くしてふるふるとこちらを上目遣いで見てくる。そんなふうに可愛らしい動作をされてしまうと男としては……断れなくなってしまう。
それに無理に断ったらまた四葉さんが何をするかわからない。
「ど、どこを拭いたらいいかな?」
すると四葉さんが少し考え込んだ後に、おずおずと自分の左足を指差した。
あ、足か? それならばまだ……なんとかなるかもしれない。
「わかったよ……じゃあその、足をこちらに投げ出してもらえるかな?」
そのままもじもじと動きづらそうに右足を引きづりながらベッドの端に足を投げだしてくれる。
確かに、この怪我では満足に足を拭くことはできないように思えた。
「じゃ、じゃあ、服を……捲るね?」
四葉さんの返事を確認してできるだけ意識をどこか別のところに追いやって足に手をかける。
四葉さんの足は、病室に閉じ込められているのもあってか真っ白で、同じ人間のものとは思えないほどに華奢で、揃えられた爪の細部まで可愛らしい。
ほのかに香る匂いがおそらくはそのまま四葉さんの汗の匂いだと思うと、その薫香にくらっとしてしまった。
タオルを持ってそのまま四葉さんの足に手をつけると、びくんとくすぐったいように震えて、こちらも身震いしてしまった。
「少しだけ、我慢してね」
なるべく早くけれども傷つけないように丁寧に。
……そう、これ以上傷をつけないように丁寧に。
砕けやすいガラスの彫刻を磨いている気持ちになった……実際、それよりもよほど価値のあるものなのだが。
吹き終わると四葉さんは頬を紅潮させて熱い息を吐いていた。その様子は……どこか蠱惑的でこちらも体が熱くなるのを感じた。
「終わったよ。その……今度からは看護婦さんを呼んだほうがいいかな? ま、毎回こんなだと俺の身が保たなそうで……」
こくこくと四葉さんがうなづいてくれる。
どうやら今回の件は四葉さんにとってもかなりの冒険だったらしい。自分ではキスなどをするわりに意外と責められるのは慣れてないようだ。
ふと四葉さんの首元を見ると先ほどよりもうっすらと汗が滲んでいるように見えて……。
今度はイタズラっぽく笑ってパジャマのボタンを緩めようとしてきたので、一声謝ってそのまま看護婦さんを呼びに急いで部屋を飛び出た。