第百四話 園尾翠
彼女は抱きついていた僕の元から離れて、何かをゴソゴソと漁り出す。どうやらキャンプ用品の中のものを探しているようだ。
そうして、お目当てのものを見つけ出したようで、それを取り出した。
「翠ちゃん?……何をするつもりなんだい?」
持ち出したのはガスバーナー。
それは小さなもので、僕がオススメして買ったものだ。
彼女はそれに火をつけて、そのまま揺らめく炎を見ている。
「……少しお化粧するの、あなたに、
幸平くんに見つけてもらえるように」
そして……その火を、自分の顔の左側面へと押し当てた。
「!!! 何をしてるんだ! やめろ!」
バシッと彼女からガスバーナーを叩き落とし、その火が燃え広がらないように消す。
彼女は呻きながらもその場で動かずに、焼けた自分の顔を押さえてうずくまっている。
「待ってろ! 今水を持ってくる!」
急いで階段を駆け下り、大きな器に水を入れてまた彼女の元へと走る。
彼女は相変わらずそのままうずくまっていたが、僕が戻ってきたのを確認したのか、よろよろと立ち上がってそのまま僕の肩を掴んだ。
「見て! よく見て幸平くん!
……これがあたしの顔よ! この傷がある顔が!
あなたを愛して、あなたに愛されてる女の顔!」
彼女の顔の左側面の一部、特に左目の中心としたあたりは、バーナーで炙られて皮膚が赤くなってしまっていた。
「……クソ!なんてことをするんだ!」
僕は急いで彼女の顔に水をかけて、その火傷の応急処置をしようとする。
「これで……これでもう二度と、
あなたに忘れられることなんてないわ……!」
「……もう絶対に君を忘れたりしないし、もう絶対に君を僕から離さないからね!」
そのまま肩を担いで一緒に階段を下り、お風呂場のシャワーで冷水を浴びせた。二人でずぶ濡れになりながらも彼女がふと、口を開く。
「ねえ幸平くん……」
「今から救急車を呼ぶから手短に頼む」
「キス、してくれる?」
僕のことを掴む彼女の手は、まるで万力のように僕をその場から動かすまいとしていた。
やむを得ずに彼女に乱暴に口づけすると、彼女は……今まで見たことがないほどに笑い出した。
心底楽しそうに、とても彼女とは思えない笑みを浮かべていたのだ。
その時初めて、僕は人の顔を認識できた気がしたのだ。いや……認識できなかったとしても、その顔だけは絶対に忘れてはならないと思った。
目を離したら、彼女はどこまでも僕のために壊れてしまう。そんな危うさがそこにはあった。
結局のところ、彼女の顔を焼いたのは正しく恋の業火だったのではないか。僕はそんなことを思いながらも美しいその顔に手を当てた。
僕にとってこの最愛の人の顔だけは、絶対に忘れられないものになった。