第百一話 熱い夏の終わり
その日は雨がざあざあと降っていたのを覚えている。
午後には父が迎えにくると聞かされていて、
またあの薄暗い雨の国、イギリスに帰ると思うと憂鬱で仕方がなかった。
それに、数日前から幸平くんとは顔を合わせていない。
このまま別れも言わずに帰ってしまうしかないのかな。
そんなことを思いながらも、その方が綺麗な思い出だけが残って良いかも知れないと感じた。
そんなことを考えながら縁側で横になっていると、
いつかの出逢いの日のように、あたしの王子様が迎えに来てくれた。
「やあ、翠ちゃん」
「こうへいくん……」
なんでもないかのように雨に濡れながら挨拶してくる幸平くんの胸に飛び込み、そのままわんわんと泣いた。
幸平くんも全てを察していたのか、あたしの頭を撫でながらそのまま受け止めてくれる。
「あたしね、こうへいくんがすき。
でも……もう、かえらなくちゃいけないの」
「……僕も君が好きだよ。
はじめは好奇心で近づいたけれど、次第に本当に君のことが大好きになった。こうして別れるのはとても、悲しい」
ぐすぐすと泣くあたしとは対照的に彼はこの結末を受け入れていたのか、赤くなった目をしながらも涙を堪えてこちらを真っ直ぐに見据えていた。
そして、惹き合うようにキスをした。
静かに涙を流しながらするキスは、初めてのキスよりもしょっぱく感じた。
名残惜しみつつも離れたあたしに、彼は何かをポケットから出して渡してきた。
「君に……これをあげたいんだ。
受け取ってくれるかい?」
それは小さな淡い緑色の石で、表面はとても滑らかな感触をしていた。
「これ……何?」
「翡翠、と言ってね。
親にねだって買ってきてもらったんだ。
どうしても君にそれをあげたかった」
「ひすい……。きれいな石」
「ああ……君の瞳の色と同じ石だ。
最も、君の瞳の方がよほど美しいけれど」
そう言って、彼はあたしにその宝石を渡した。
それは宝石というには小さいし輝きも薄かったけど、あたしには何よりも価値のあるものに思えた。
「こうへいくん……あたし、ずっとあなたのそばにいたいよ……」
「僕も、君とずっと一緒にいたい」
もう一度抱き合って、しかし父の声がしたのでびくりと反応してしまう。父にこんなところを見られたら、彼が何を言われるかわからない。それに、たぶん父はあたしの行動をよく思わないだろう。
それを察してくれたのか幸平くんもあたしから離れて、また雨の降る外へと行ってしまう。
「こうへいくん、またね……またあおうね」
「ああ……また、またいつか、会おうね」
そう言って名残惜しそうに去っていく彼の背中が、あたしが見た幸平くんの最後の記憶だった。