第八話 お見舞いの攻防
数日の間、休んでいた部活動に久々に顔を出すために重い足を引きずって登校する。そのまま校内へと入り茹だるような熱気の外の空気とは異なり、冷房の効いた職員室で目的の人物と話を終える。
「……留木。とりあえず籍を置いておいてもいいんだぞ」
「いえ……俺はもう野球ができませんから」
「……そうか。最後にこれまで世話になった先輩と部員たちにも挨拶してこい。……短い間だったが世話になったはずだ」
野球部の顧問に深々と頭を下げる。
あんなに練習した野球があっさりと手元から離れていった。
表向きには自分が事故で肩を故障したことにした。実際には……四葉さんのお見舞いに行く必要があるため、野球をする時間も精神的な余裕もなくなったためだった。
四葉さんは……事故の後遺症により今後の進学は難しいとの事だそうだ。
徳子さんの話によると、彼女は非常に成績が良かったようだ。学年でも上位に入る実績で、今後は国立大学のエリート校に受験することを視野に入れていたらしい。
先生方からも目をかけてもらっていたらしいのだが……。
こうなってしまった以上、難しいとの判断だ。
「短い間でしたが……お世話になりました」
「おう……災難だったな留木。お前の居なくなった穴は大きいが……なぁに、俺たちだって一年坊には負けてられないからな。気にするな」
「はい……」
グラウンドで練習をしていた先輩に声をかけると、こちらを気遣ってか、バシバシと肩を叩きながら笑顔で言ってくれる。とても心苦しいが……どっちみちこれからは野球は出来そうにないのだ。
野球にはあまり思い入れがないと思っていたが……。
こうした人との交流の機会としてはとても重宝していたと思うし、失った今になって自分の人生における比重の大きさに気づかされた。
「先輩……凛堂さん……って知ってますか?」
「……どうした? 知ってるも何も……凛堂四葉さんならうちの前生徒会長だぞ。知らなかったのか?」
「いえ……その、なんでもないです」
「……まあ、見かけて気になったとかなら悪いことは言わないから止めとけ。あの人は誰にでも優しいけど誰か特定の人と特別な仲にならない人だからな」
俺もフラれたよ、なはははと笑われて再度バシバシと肩を叩かれる。自分の知っている四葉さんとは何もかも違っていてますますわからなくなった。
恋人を作らない四葉さんがなぜか俺だけは側に置いておこうとする。理由が全くわからない。
しかし、逃げるわけにもいかないのだ。
そんな決意を胸に秘めてまたあの病院の一室に向かうべく歩を進めた。
四葉さんの希望通りにお見舞いに来ていると何度かクラスメイトと思しき先輩方が来た。
ただ……四葉さんは自分以外との面会を全て断ってしまった。今日はお仕事などで四葉さんのご両親がいないため、そうすると必然的に事情の説明をするのは自分になるわけだが……。
「……そうなの、凛ちゃん今そんなに大変なことになってるんだ……」
「はい。ですのでとりあえず今月いっぱいは面会できそうにないです」
「……ちなみになんだけど。君って凛ちゃんとどういう関係なの?」
「……ええと……」
諸々の事情や病状を伏せているのもあるが、四葉さんを事故に遭わせた張本人です。とは流石に言えなかった。仕方なく仲の良い親戚ということにしておいた。
「ふーん……凛ちゃん一人っ子だし、彼氏とかいなさそうだったけど……そっかそっか」
「はい……その、お見舞いの品は渡しておきますので……」
「よろしくね。お大事にどうぞって伝えておいて」
こんなやりとりが数回続いてその度に冷や汗をかくことになるのでとても心苦しい。
何籠目かの果物の詰め合わせを手にして病室に戻ると、四葉さんは相変わらずご機嫌な様子で至って元気だ。
ちょいちょい
「あぁ……今行きます」
果物を備え付けの冷蔵庫に閉まって急ぐ。四葉さんはどうやら自分を側に置いておくのがお気に入りのようだ。
俺としては四葉さんとはできるだけ距離を置いておきたいのだが、彼女がそれを許してくれない。
病室に据え付けられたテレビをぼうっと眺めながら、傍らに座っている自分の手を握って時間を過ごしている。
じーっ
「……ん?あぁ……果物、食べますか?」
こくんとうなづかれた。小皿を準備し果物ナイフで慣れない皮むきをする。りんごの皮剥きなんていつ以来だろうか?四葉さんがときどきくすくすと笑いながら見つめてくる。……たぶん、この人はそれくらい朝飯前だったんだろうな。
どうやっても皮が厚くなってしまった不恰好なりんごをフォークと共に差し出すと、いやいやと首を振ってしまった。
「えぇ……っと?ど、どうすれば……?」
じーっと見つめられてはっと気づく。
もしかして、食べさせてもらいたいのかな……?
「ど……どうぞ……?」
りんごの切れ端を差し出すが……不満げである。
「…………あーん……?」
恥ずかしさを堪えてそう言ってみると、今度は先ほどまでがウソのようににっこりとして、その小さな口を開けた。
シャリっとりんごを噛むと幸せそうに味わっている。
頃合いを見計らってもう一度あーんとしようとすると……今度は左手でフォークを取られてしまった。
「た、食べろ?ということですか?」
うんうんとうなづかれて、食べかけをそのまま口に押し込まれた。初めて女性にそれもこんなに美人の先輩にこんなことをされたという気恥ずかしさと、どうしてこんなことを加害者である自分にするのだろうという疑問と罪悪感で、正直味なんてわからない。
けれど……四葉さんはとても満足そうだ。
そんなやりとりを果物が無くなるまで……というより、面会時間ギリギリまで続けていた。
時間を伝えにきた看護師さんに見られたのは流石に恥ずかしかった。