雨焼け
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
よし、洗剤も入れたしこれでいいだろ。
いやね、予約洗濯してくれる洗濯機を用意したはいいんだが、ふとした拍子に洗剤を入れ忘れるときが多くてな。生乾きのあの臭いは、いつまで経っても慣れないもんよ。
いまとなっては指さし確認。きっちり注ぎ口へ投入したのを見てから、ふとんへ入るようにしている。
しかし、俺たちの都合で洗剤にもまれるわけだけど、実際に洗われる衣服たちはこのことどう思ってんだろうな?
ただでさえおぼれそうになっているのに、場合によっちゃ身体がちくちくうずくような洗剤に浸からされて、苦しんでいやしないだろうか。傷んだり、色落ちしたりする生地を見るたび、昔からそう考えちまうんだよ。
俺たちもさ、普段とは何か違うものにもまれる機会があったなら、少し気をつけといた方がいいかもしれないぜ?
俺の父親の話なんだけど、聞いてみないか?
お前は日焼けをしやすい体質か?
昔は今ほど、暑い日は多くなかったみたいでな。親父に言わせると、多くの肌が「ぬるい」環境に慣れていたんだろう。
だからそれらの間に、ひょいととびきり暑い日が差し込まれると、張り替えたかのように、ぱっと肌が黒ずんでしまう。
日焼けもやけどの一種と聞くからな。当人がどう思おうと、親から見たら心配が募るものだろう。
だが父親の地域だと、日焼けとは別に「雨焼け」と呼ばれる現象が、見聞きされる時期があったらしい。
雨焼け。字面からして判断しやすいと思うが、肌が焼けるような雨のことだ。
こいつは最初、普通の雨と同じ。軽い接触と湿り気をもって接触してくる。
しかし当たってから数分してくると、パンチの表現じゃないが、じわじわと効いてくるんだとか。
強い日差しの下にいるような、痛みのチリつき。そいつが時間を追うごとに強さを増していき、かきむしりたい衝動にさえ駆られる。
からがら家に逃げて落ち着くと、じょじょに腫れ出すおのが肌。はじめは赤に、次第に黒くなっていくのが、まるきり日焼けのようだとな。
ただ、日焼けとは違う効果も見られる。ダイエット効果だ。
頻繁に体重計に乗る人が気づいたんだが、雨焼けの前後では体重が落ちるというんだ。
極端な人だと、1キロ以上の減少。トイレで用を足したり、サウナに入ったりすることなくな。
一部の人には喜ばしいことだろうが、問題のない人にとっては気味悪さのほうが勝る。
削れる量は個人差があり、ほんの100グラム程度の変化では被害に遭っているかは分からない。それでも雨焼けを懸念する人は、どうしても外へ出ないといけないときには、上下のカッパに手袋と完全防備を固めていたのだそうな。
俺にしてみれば、それならそれで、かく汗が身体をスマートにしそうなもんだけど。
その雨焼けの話が広まって、少し経ってからのこと。並行してまた別のウワサが浮上してきた。
父親の使う通学路の途中に、石材店がある。雨の日は店の中へ引っ込めるが、晴れた日には店先のスペースに、見本の石材がいくらか展示されていた。
シンプルな立方体の墓石などもあるが、中には動物や人気のキャラクターをかたどったものもちらほら。
その中のひとつ、抱えられるほどのサイズのガマの石像が、以前よりも大きくなっているとささやかれ出したんだ。
ガマは他の像に囲まれて、店と道路の間の中ほどにたたずんでいる。
ウワサがのぼるまで、父親はさほどこの像を気にかけていなかったらしい。だが、いつも他の像たちと一緒に、定位置にいるおかげで検証がしやすくなっている。
ガマの像は、父親から見て左手に直方体の墓石。右手に腰かけられるサイズの丸石……を模した某キャラクターの像に挟まれる形で控えている。
父親が気にし出して初めて見るとき、ガマはどちらの像からも同じ距離だけ、離れているように思えた。
具体的には、右手の親指と人差し指をめいっぱい伸ばして「てっぽう」を作ると、そいつがぴたりとはまる長さだったみたいだ。
店先に出してそのままにしているのか、数日間はガマや他の像の配置に変化はなかった。
ところが、ある雨の日を挟んでから変わった。
その日は「雨焼け」する雨で、そうと分かるやすぐ自宅へ退避した父親だけど、後から来る腕のひりつきは、数時間おさまることはなかった。
痛みが引き、雨もすっかりあがった翌日に、湿り気残る道の途中でまた父親は石材店の前を通りかかる。
あらかじめ指定されているのだろうか。雨でいったん引っ込める前と、同じ配置をしているように父親には思えた。少なくともガマの周りに関してはだ。
しかし、間隔がおかしい。
あらためて指を広げて、測るまでもなかった。ガマの像の輪郭はすでに左手の墓石、右手の丸石に隠れてしまうほど、太っていたからだ。
別に作られたもの、という線も否めないが父親は同じものだと確信していたようだ。
ガマの顔そのものは、最初に気にしたときと大きさやパーツのバランスが変わっていなかったかららしい。作り直したのではなく、純粋にかさ増ししたのだろう。
疑いの目を強める父親は、並び立つ石たちの中へ。例のガマを見下ろせる、すぐ手前まで忍び寄っていった。
ガマは他の石たちと大差ない、灰色をベースにした表面に白や茶、黒の細かい粒を浮かばせていた。少なくとも、店の外から見る限りでは、だ。
だが、上から見てみると分かる。
左右の像に隠されている、輪郭の数ミリ。それらが周りの色とは似つかない、明るい色をしていることを。
そのやや黄色がかった白みと、かすかに生えている何本もの毛……あたかも、人の体皮のように思えた。
と、寝ていた毛先がひとりでにぞぞぞっと、逆立っていく。
見えない何かに、下方からなぞり上げられたかのような動きに、父親もまた鳥肌を立ててしまう。
ごくり、と音がしたのは父親の喉の奥からじゃなかった。
毛の動きに合わせ、波打つような動きを見せる、ガマの表皮。その内側から響いてきたものだったんだ。
わずか向こうで、店の引き戸を揺らす気配。くもりガラスの奥は見通せないが、冷やかしを見とがめられるのも、いい気分はしない。
そそくさと父親はその場を去るも、少しして振り返った店の引き戸からは、誰も姿を見せなかったらしい。
それからしばらく、件のガマの像は学校でもたびたび話題にあがった。
太った件もそうだけど、ときどきあの惠体の上にモノホンのカエルたちが乗っかっているというんだ。
たいていは普通のカエルだったが、一部のものはカエルの背中が、よく見られるぬめりに加えて起伏を帯びていると話す。
ちょうど人の顔があおむいたような、造詣を浮かばせているのだとか。
父親はその現場をじかに目にすることはなかったが、あの毛と皮、そして立った音については、頭の中からいつまでも離れなかった。
ガマの像に関しては、それから半月後に店先から姿を消す。
代わりに町内のあちらこちらに現れたのは、小さいカエルたちの姿だった。
生きているものもあれば、部屋に飾るお守りみたいに、固まっている像もあったらしい。
ただいずれにも見られたのが、その表に浮かぶ、人肌を思わせる色合いだったのだとか。
以降、「雨焼け」の話はぱたりと止んでしまったとのことだぜ。