1-6 命について思う事
あらかた殺して、あらかたぶっ壊して。
悪魔じみた破壊衝動に身を任せに任せて、散々暴れる事ほんのひと時。
人々がどれくらいかけて培ってきた歴史とやらは暴力で瓦解して、重ねに重ねた血筋とやらは暴力で断裂して。
目に入る建造物を片っ端から壊して。動くものを獣じみた反応で殺して。
ようやく一息つくように停止した弟を見て。
「は‥‥‥はぁ、ぶっはぁぁぁ」
こうして思わずため息だって出る。
確かに弟と俺は血の繋がった家族である。
それは間違いない。
だけど、関わる時間がものすごい多いのかというとそれは別だ。
もしかした弟の同級生のほうが俺より一緒にいる時間が長いかもしれない。
弟の同級生のほうが俺より弟の性格を詳しく把握しているのかもしれない。
つまりなにが言いたいのかというと。
こうなってしまった弟の抑え方がわからない。
言葉や泣き脅しが通じるか?
いや、さっきから助けを懇願する村人の願いを低いうなり声で何回も踏みにじってきた。
力が通用するか?
無理。絶対無理。なんで血の繋がった兄弟なのに俺と弟の間にはこんなに絶望的な力の差があるのか。カミサマとやらを糾弾したい気持ちでいっぱいだ。
結局、待つしかないのか。
今、俺がとれる行動はそれくらいのようだ。
弟を置いていく、なんて選択肢は論外。
俺に異世界モノの力がこれっぽっちもない以上。成人男性の平均的な肉体能力くらいしか無い以上、そこらの適当な悪漢とかモンスターなどにあっさりと殺されてしまう自分が容易に想像つく。
「うぅ‥‥‥」
殺される。
文字にすれば簡単だし、日本にいたころテレビの向こうではいつも誰かしらがなんかしらの理由で殺害されていた。
その殺害という言葉は日常の一部としていくらでも垂れ流されていたものではあるが、死体というヒトのナレノハテは決して慣れ親しむものではない。この世界に来ていっぱい肢体とかみて、うわー、こーはなりたくねー。とかより深く思う。
俺は目の前の惨劇を演出している要因の一つである「ソレ」には絶対になりたくない。
目を限界以上に見開いて、手足を至る方向へ投げ出して、血だか尿だか体液をまき散らして地面に横たわる「ソレ」には絶対になりたくない。
殺す、という言葉の本懐をたぶん理解できていないが、それでも死ぬくらいなら殺すと心に抱かさせる程度には死に恐怖感は覚えていた。