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第七話 ジャクリーヌ視点

第三者視点になります。

 

 ジャクリーヌは大股で廻廊を闊歩していた。眉はつり上がり、口を引き結んだ彼女は、社交の場では見られない姿だ。


 新参者以外の使用人は彼女の態度に慣れたのか、黙って道を開く。それを一瞥もせず、ジャクリーヌは目当ての場所まで突き進んだ。


 ここは侯爵邸。そして、彼女が目指していたのは、レオンの部屋だった。


 先触れもなく来たため、本人がいるかは分からなかったが、それでも構わなかった。本人に会うまで居座る気だった。家令に聞いたところ、レオンは部屋にいるとのこと。ジャクリーヌは客間で待つように言われたが、自ら赴くと言って、廻廊を歩いていたのだった。


 侯爵家とは家族ぐるみの付き合いだ。レオンを赤子である時から知り、彼の曲がった性格を知るジャクリーヌは、エリアルとの会話の後にすぐさまこちらにやって来た。


 幸いにも時間は合ったので都合はよかった。いや、時間はなくてもどういうことか聞きたい彼女は、何としてでも都合をつけただろう。


 あのレオンが動いた。〝攻略本〟の中身を知るジャクリーヌは嫌な予感しかしなった。



 ***


 長すぎる廻廊を進み、レオンの私室にやってきたジャクリーヌは、ノックもそこそこに部屋の扉を開いた。


 猛然と来たジャクリーヌに、レオンは読んでいた本から視線を上げた。


「ジャクリーヌ様……急にどうしたのですか?」


 一見、穏やかな笑みを浮かべているレオンだったが、ジャクリーヌの存在に辟易(へきえき)しているのが、長年の付き合いからわかった。


 ジャクリーヌは無言で突き進むと、腕組みをしてレオンの前に立つ。


「あなた〝ヤンデレ〟であることをエリアルに話したそうね」


 ひくりとレオンの眉が動く。彼はわき机に読みかけの本を置くと、足を組んだ。


「えぇ、言いましたよ。それが何か?」


 あくまで平然を装う彼に、ジャクリーヌは眉根をひそませる。


「今日のサロンでエリアルに会ったわ。あなたの〝ヤンデレ〟のことで悩んでいたわよ」


 レオンはけだるそうに肘掛けに頬杖をつき、口の端を持ち上げる。


「そうですか……」


 何もかもが計算通りみたいな顔をされて、ジャクリーヌはムッとしてしまう。それを押し殺して、神妙な面持ちでレオンに尋ねた。


「……あなた一体、何を考えているの? 一ヶ月前からおかしいわよ」


 レオンはふっと笑うと、瞳の奥に影を落とす。


「別に……路線を変更しただけです。優しくしても変わらない。冷たくしても変わらないから、今度は……どうしてやろうかと思っているところです」


 クスクスと笑うレオンは楽しげだったが、正常な判断ができているとは、到底思えなかった。


 ジャクリーヌは、彼らのこの一年間を知っていた。いや、レオンがエリアルに心を奪われてからのことも知っている。


 二年前、気まぐれとも言える聖女の行動によってレオンは恋狂った。その思いを利用して、暴徒化した聖職者を一掃したのでは?と、ジャクリーヌは思っていた。


 二年前は、聖女が国内の安定に力を入れていたときだった。聖職者は元々、身分が最も高く、それゆえに医療・婚姻、戸籍管理とありとあらゆるものを任されていた。集中しすぎた権力は、教会を腐敗させ、金品の裏取引、身寄りのない子供の売買など、目を背けたくなるような出来事もしていた。


 聖女の命により、権力の剥奪が言い渡されたが、一部の聖職者が教会に立て籠り反発を強めた。


 その鎮圧の指揮をとったのがレオンだった。彼は無慈悲に聖職者たちを銃殺した。


 その容赦なさは、かえって彼への株を高めた。聖職者らしからぬ彼らの振る舞いは、それほどまでに市民の不満だったのだ。


 その功績があり、エリアルとの婚約を渋っていた彼の父親も折れた。


 そして一年前、エリアルへ婚約を申し込んだとき、レオンはすでに婚姻の準備も進めていた。


 エリアルの気持ちを無視した行動を諌めたのはジャクリーヌだ。


『相手はあなたとは違って、貴族の世界に慣れていないのよ。心の準備をさせてあげなさい』


 そう言ったのが効いたのか、はたまた婚約を申し込んだとき、エリアルの母親が卒倒したのかが効いたのかが分からないが、レオンはすぐに婚姻には走らなかった。


 運が良かったのか悪かったのか。

 エリアルとの婚約が結ばれて間もなく、レオンは遠征に駆り出された。半年はあまり会えずじまいに終わり、その間、エリアルは淑女教育に力を注いだ。


 遠征から帰ってきたレオンはまたもすぐに婚姻を結ぼうとしたので、『社交に慣れてからの方がいいわよ』と釘を刺したのもジャクリーヌだ。


 エリアル自身も社交に慣れた方がよいらしく、レオンはまたも我慢した。


 気品に磨きがかかったエリアルに負けじとレオンも勉強や紳士的な態度に磨きをかけていた。口調まで変えたのには笑ってしまった。


 ゆっくりと花開くように初々しい恋を育んでいたはずなのに、関係は二ヶ月前、エリアルがレオンのエスコートなしでも平気だと言ってきたあたりから狂いだした。


『……エリアルは綺麗になりすぎた。僕が手を引いてあげていたはずなのに』


 レオンに会ったとき、そんなことをぽそりと呟いていた。


 それから一ヶ月前からは、レオンの様子がおかしくなった。エリアルを置いてきぼりにして他の令嬢にうつつを抜かす始末。それに、あわよくばを狙う令嬢が群がった。


 ジャクリーヌが影でレオンを咎めたが、彼は冷たい眼差しを向けるのみだった。


『たまには引いてみているのです。放っておいてください』


 エリアルは動揺を隠してレオンの前では淑やかに笑っていた。


 極めつけはあの聖女の祝いの日だ。


 エリアルのドレスをみたジャクリーヌは思わずカッとなり、レオンを控え室に呼び出した。


『どういうつもりなの! あんなドレスを着せるなんて!』


 シュミーズ・ドレスは卑しい視線に晒されるものだ。お祝いのこの日にあのドレスを着せる意味をレオンは知っていたはずだった。


 レオンは感情が欠けた眼差しで、淡々とジャクリーヌに言った。


『どれほど冷たくしたら彼女は乱れてくれるのか……試しているところなんです。放っておいてください』


 その言葉にジャクリーヌは背中に悪寒を走らせた。


 言葉を続けられずにいると、レオンはさっさとお祝いの広間に戻っていった。



 そして──たぶん、あの瞬間、レオンの理性は壊れた。



 ヴェロニクを支えている所を目撃したエリアルは、美しく微笑んでいた。その姿は淑女の鏡そのもので、余裕すら感じられた。


 そして、彼女はレオンの邪魔にならないように去っていったのだ。


 その背中を見たレオンはクスクスと笑いだした。場の雰囲気は異様な空気にのまれ、群がっていた令嬢たちはそそくさと去っていった。


『そう……これでもダメなんだ……』


 そう、ぽつりと呟いたときのレオンの顔が忘れられない。


 口元は歪んだ笑みを描き、瞳の奥は闇に染まっていた。その底知れない何かを見た瞬間、ミュレー侯爵家の人間だとジャクリーヌはつくづく思った。



 ──これは私が悪いのかしら……


 レオンのご機嫌な顔を見つめながら、ジャクリーヌは深いため息を漏らした。


 彼に我慢を重ねさせたのは自分だ。エリアルが生真面目すぎるというのもあるが、二人の関係がこじれたのは、自分にも責任があるように感じてしまう。


 もう一度、深いため息を吐くと「どうしてやろうか」と不穏なことを言って、ご機嫌なレオンに詳細を尋ねてみることにした。


「どうしてやろうかって……何をする気なの?」


 レオンは上機嫌のままに、口を軽くした。


「エリアルをここに迎え入れます」

「ここって、侯爵家にってこと?」


「えぇ。変なことではないでしょう。今までの婚約は彼女が成長するためのもの。次からは侯爵夫人としての振る舞いを覚えるという名目でここに呼びます」


 その家のことを覚えるという名目で婚約期間中に嫁ぎ先に行くというのは珍しくはない。古い家柄ではよくあることだ。


 辻褄は合っているが、今のエリアルが彼の家に行って激しく動揺しないか……いや、絶対に笑顔が張り付いてしまうだろう。


「……家に呼んで何をするつもりなの?」


 無粋とは思いつつも、エリアルの身を案じてつい聞いてしまった。


 レオンはくすりと小さく笑った後、今までの闇を消して、爽やかな笑顔を見せた。


「それは勿論。まずは、どろどろに甘やかしますよ」


 まずはってなんだ!? 終わったらどうする気だ!?


 とは言えなかった。圧がすごすぎて。


 顔をひきつらせるジャクリーヌを無視して、レオンは心底、楽しげにまだ見ぬ生活に思いを馳せていた。


「朝も晩もエリアルがいるなんて、最高だなぁ」


 少年のように破顔するレオンに、ジャクリーヌは無言になるしかなかった。


 くくっと笑い声を漏らしたレオンは、そうそうとジャクリーヌに釘を刺す。


「エリアルがここに来たら、大股で歩くような無作法はしないでくださいね」


 小首をかしげながら、レオンは仄昏い笑みを見せた。


「彼女はジャクリーヌ様を大変、尊敬しているのです。彼女の理想を壊さないでくださいね」


 その一言にジャクリーヌは顔をひきつらせた。レオンは笑っているが、明らかな嫉妬が見えていた。


「……いい性格してるわね」


 皮肉混じりに言ってもレオンはどこ吹く風である。ご機嫌なままに口を開いた。


「まぁ、彼女をここに呼んでも〝あのバッドエンド〟をするつもりはないので、それは安心してください」


 その一言にジャクリーヌは背筋が凍る思いがした。ひゅっと息を飲む彼女にレオンは口の端をさらにあげて歯を見せた。


「生きているうちに、彼女の愛らしさをまだ堪能しきっていませんので」


 しきったらやるつもりか!?とは、言えなかった。嫌な予感しかしなかったからだ。


 ジャクリーヌは大きく息を吐いてまた同じことを思う。


 ──やっぱり、私が悪かったのかしらね……でも……


 エリアルにとっても、よい機会なのかもしれない。彼女は本心を押し殺すくせがあるから、これをきっかけに二人が寄り添えば…………と、そこまで考えてジャクリーヌは、眉間をもみほぐした。


 ──今のエリアルが、レオンの本気に耐えられるかしら……


 想像できたのは、張り付いた笑顔でいる彼女だけだった。



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