第五話 サロンにて②
本日のサロンはランベール夫人の邸宅で行われる私的な演劇です。
ランベール夫人は演劇の脚本家で、自分の描いたシナリオで自ら舞台に立ち、屋敷の舞台で演じております。演劇は上流階級の趣向品。こうして自分の屋敷に舞台を作る方も多いと聞きます。
ランベール夫人は斬新な舞台をする方で、大ホールで演じられる舞台に負けない演出をされます。
この前見た悲劇の話では、ラストで、「ぎゃあぁぁあ!」と叫びながら、血を吹き出して主人公が死んでおりました。リアリティーがありすぎて、失神する方が続出でした。
過激な演出をされる方ですが、夫人はおしゃべりで気さくな方ですわ。新米のわたくしにも声をかけてくださいます。
「ふふふ。この血ね。動物の血を使ったのよ。よい演出でしょう?」
血みどろのドレスを纏い微笑む夫人を見て、わたくしは何度も頷きました。
そんな夫人がやるものですから、今日はどんな舞台なのかと、ハラハラします。
屋敷に着いて、馬車を降り、舞台があるサロン室へ足を進めると、すでに多くの人がいて賑わっておりました。
小上がりの舞台を前にして、ソファが整然と並んでおります。左右、二列に分かれて置かれたソファは、ここから見ると一列、十脚はありそうです。
それに腰をかける方。立って談笑をしている方など、様々でした。
サロン室に入ると、すかさず給仕の方がわたくしに近づいてきました。
「どうぞ。ボルドー産の赤ワインです。濃厚で豊かな味わいでございますよ」
初老と思われる給仕の方が、穏やかな笑みですすめてきました。わたくしは微笑み、ありがとうと声をかけて、グラスをもちました。
グラスを持ったまま、わたくしは最後尾のソファの隅に座りました。ソファの生地に視線を落とすと、白地に紅の線で描かれた天使が、飛び回っていました。その愛らしさに目を細め、視線をワイングラスに戻します。
一口飲もう。そうグラスを顔に近づけた時でした。
「ちょっと、通りにくいわね。もう少し、ソファの間隔を広げてくださらない? パニエが引っ掛かるわ」
女性の声がして、顔を上げます。視界に入った人物に驚いてしまいました。
聖女さまのお祝いの日に、レオン様の前で失神して、軍艦がなかなか持ち上がらなかった令嬢──ヴェロニク様がいらっしゃったのです。
扇子をしゅぱーんとたたみ、側にいた使用人に目をつり上げて怒ってらっしゃいます。
それより何よりも、今日の装いに、わたくしは呆気にとられてしまいました。
ヴェロニク様の代名詞とも言える頭飾りの軍艦は、今日も白い帆をあげています。
頭の上にもう二つお顔があるのかしら?と勘違いしてしまうほど見事な盛髪。グレーの前髪をすべて上げて、サイドにはロールした髪が四段。まるで軍艦が荒波に向かっているようですわ。
盛髪を作るために、頭の中にクッションを入れて土台を作っているという噂ですが……本当なのでしょうか。どういう構造なのか知りたいです。
それにあの頭で一体、どうやって来たのでしょうか。
馬車では天井にぶつかりますし……腰を折って乗っているという噂は本当でしょうか?
馬車は揺れますし、あの立派すぎる頭を支えるための棒があると聞いたことがあります。Yの形をした棒のくぼみの部分に額をのせて、馬車の揺れに耐えているのだとか。
あの頭、とても重そうですし、ずっと腰を折っている体勢も辛いでしょう。
盛髪を維持するのは、見た目以上に大変なことだと思います。
ドレスもまたすごいです。パニエは何メートルあるのでしょうか。両サイドに人が立っているほどの長さです。ピンクの艶やかなドレスは胸の谷間がくっきりと分かるほど開いており、大粒の真珠の首飾りがこぼれ落ちそうでした。
まぁ、驚くほど白いフリルが贅沢に使われていて、胸まわり、袖口、スカートに至るまでフリル、フリル、フリル。
豪華絢爛というのはこの方のことを言うのでしょう。開いた口が塞がらなくなります。
ヴェロニク様の文句を聞き、使用人かたがソファの間隔を開いていきます。通りやすくなりヴェロニク様がソファとソファの間を通っていきます。稲穂を刈るように……いえ、波を割るようにヴェロニク様が通ると人が道を開けます。
ポカンとしているとヴェロニク様がわたくしに気づきました。そして、しゅぱーんと扇子を広げると口元を隠しながら、近づいてきます。
縦に並んだソファの隙間には入れないようで、わたくしが座っていたソファの端に立っています。パニエが突っかかりますものね。
「あら、これはこれはフォーレ男爵令嬢ではございませんか」
にんまりと目を細めるお顔は獲物を狙うケモノ……いえ、この場合、倒すべき敵を見つけた軍艦といったところでしょうか。
わたくしは側にあったわき机にワイングラスを置き、立ち上がりました。そして、歩み寄れないヴェロニク様に近づきます。なるべく微笑みながら近づき、距離をとった所で止まります。そして、両手でスカートの裾をつまみ、軽く持ち上げて、挨拶をします。
「ご機嫌麗しく存じ上げます。リザルト伯爵令嬢様」
顔を上げるとヴェロニク様の眉は不機嫌そうにつり上がっておりました。
しゅぱーん、と扇子がたたまれ、下から上まで舐めるように見つめられた後、ヴェロニク様は額に手をあてられて、一歩、後退ります。軍艦が重すぎるのでしょうか。
よろりと倒れそうになったヴェロニク様をすかさず一人の令嬢が支えます。
そちらの令嬢の頭にはなぜか金色の魚が踊っておりました。それも二匹。
「ヴェロニク様。気をしっかりしてくださいませ!」
「あ、あぁ……ごめんなさい。ルシール様。目の前の方のセンスがあまりにもなくて……わたくし、気を失うところでしたわ」
「えぇ、そうでしょうとも。こんな地味なドレスをよくもまぁ、着れたものですわ」
ルシール様にキッと睨まれます。わたくしは驚いて首をすくめました。
「色味もなく盛髪もしないなんて、あなたはおしゃれをなんだと思っているのですか?」
金の魚が二匹踊るのはおしゃれなのでしょうか。わたくしは理解ができず眉尻を下げます。
「よしなさい、ルシール様。フォーレ男爵令嬢は、まだ社交に慣れていませんのよ。田舎から出てきたばかりですもの」
ふふっと笑われると、ルシール様もくすくす笑います。
「そうでしたわね。では、ヴェロニク様。目の前の方にヴェロニク様の素晴らしい盛髪を説明してあげたらいかがですか?」
ご機嫌になったヴェロニク様が扇子を開き、パタパタと仰ぎます。そして、またしゅぱーんと、閉じました。こほん、と咳払いをしたヴェロニク様はわたくしに向かって、ご自身の頭の解説をし始めました。
「わたくしの頭をご覧になって。最先端のヘアになりますのよ。戦争が終わり、次は船で交易を深める時代になるでしょう? 大海原に繰り出す船は、次の時代の象徴です。わたくしは、先を見越し、未来を見据えてこの髪型にしているのですわ!」
「さすがですわ! ヴェロニク様!」
ルシール様が割れんばかりの拍手をして、金の魚が揺れております。落ちないのが不思議です。
「ルシール様のシャチホコヘアも素敵ですわ。これは東の国──日本の城の守り神なのですよね?」
ルシール様は感激したように両手を前で組みました。
「えぇ。雷をよけ、火事のときは水を吹き出す。家を守る神様ですわ」
うんうんと、ヴェロニク様が何度も頷きます。
「そのドレスの柄、珍しい模様をしていますが、日本のものですか?」
ルシール様が感激して体を震わせています。シャチホコと呼ばれた金の魚も揺れています。
「よくぞ気づいてくださいました! 日本のキモノを使ったドレスなのです!」
まぁ!と、ヴェロニク様が感嘆の声を出したので、頭の軍艦の帆が風を切ります。
「素敵ですわ! どこで作られたのですか? お教えくださいな」
「えぇ。もちろんですわ」
ふふふっと笑い合う二人にわたくしは置いてけぼりです。話が終わると、ルシール様がちらりとこちらを見ます。そして、真っ赤な口紅のついた口元に弧を描きます。
「やはり流行を取り入れてこそ、格式のある方に嫁げるものですよね?」
ヴェロニク様もにやりと笑います。
「本当に……おしゃれをするのは恋をする女性であれば当然ですわ。一番、美しい姿を見せる努力を怠ってはいけませんわよね?」
その一言にわたくしは思わず口を引き結んでしまいました。聖女さまのお祝いで感じたあの嫌なものが膨れ上がりそうです。
──わたくしが地味な田舎者だということは分かっているわ。センスがないことも……でも、それでもレオン様は頼ってくださった。頼ってくださったのよ。
そう言いそうになって、わたくしは大きく息を吐き出しました。そして、鏡の前でした淑女らしい笑みを浮かべます。
「えぇ、本当に。わたくしはまだまだ田舎者の小娘でございますわ」
手を叩いてにこりと微笑みます。
「お二人のお話、大変、勉強になりました。教えてくださってありがとうございます」
そう言って頭を下げます。もう一度、微笑むとルシール様は何か言いたげな顔をしました。ヴェロニク様はツンとそっぽを向き、捨て台詞を吐きます。
「分かればいいのよ」
そう言って、踵をかえそうとしてかえせなかったらしく、スタスタと歩き出しました。わたくしはほっと胸を撫で下ろし、椅子に腰かけます。そして、嫌な気持ちを流すようにわき机に置いたワインを飲みました。
ごくりと、一口飲み干せば、渋味が口に広がります。酔いそうになり、息を吐き出すと声をかけられました。
「エリアル」
声の方を見て、わたくしは顔を輝かせました。
「ジャクリーヌ様」
わたくしはスカートの両端を摘まんで持ち上げ、足早にジャクリーヌ様に近づきました。