第四十四話 これがわたくしの愛しかた
長めの話です。今さらだとは思いますが、R15の直接的ではない性描写があります。
わたくしがレオン様と同じ〝ヤンデレ〟を患う可能性があるという話はソフィ様から聞かされておりました。
「レオン様を解放してというのはどういうことですか……?」
問いかけたわたくしにソフィ様は攻略本と呼ばれる聖女様の教本のお話をしてくれました。わたくしが聖女様を慕って殺す未来があるなど、とても信じられない話です。眉根をひそませ、考え込むわたくしにソフィ様は言います。
「別に理解する必要はないわよ。知識として入れとけばいい話だわ」
軽い口調でソフィ様が言いますので、なぜと問いかけることをやめました。ソフィ様は攻略本を予言書の一つといわれました。予言なんだから、外れることもあるでしょ、とも。
「あなたが悪役令嬢にならずに、こうしてうちに来たことは僥倖だとわたしは思っているの。だから、今、ここにいることを悪く思う必要はないわよ」
それに心が軽くなっていくようです。深く考えると足が泥沼にはまったように、わたくしは歩むべき道はそちらなのかと思ってしまうところでした。
「エリアルは攻略本に囚われていないけど、レオンは違うの。あの子は、あなたの愛が伝わっていない。ヤンデレにならないと深い愛を感じられないみたいなのよね」
そのお話にわたくしは目を見張ります。どこか遠かったレオン様の心にやっと触れられたような気がしました。
「では、わたくしが〝ヤンデレ〟を患っていると伝えれば、レオン様にも想いが伝わるのでしょうか」
「そうね。たぶんね」
軽い調子で言われて、わたくしは考え込みます。レオン様の心を解く鍵が、ヤンデレになったということならば、わたくしはそれになりたいと願ってしまいます。
ですが、ヤンデレは無差別に殺意を抱く病。わたくしにはそこまでのものは芽生えておりません。嘘をついてレオン様の真の心を知るべきか。でも、そんなことをしたら、レオン様に見透かされて心を知ることはかなわないかもしれません。
黙り混むわたくしに、ソフィ様がどうしたの?と声をかけてくださいます。
わたくしは嘘をつく自信がないと正直にお話ししました。
「レオンの為にヤンデレになったふりをする……ね。それは、いいアイデアだと思うわ」
「……でも、わたくしは演技が下手で、いつもレオン様に見透かされてしまいます……」
「あら、そう? それは、エリアルの思う気持ちが足りないのかもね」
ソフィ様は藍色の瞳を細めて、わたくしに呪文をかけるように囁きます。
「わたし、思うんだけど。女は愛のためなら、どんな淑女にだって、どんな悪女にだってなれるわ。怖い生き物なのよ」
呆然とするわたくしに、ソフィ様が背中を押します。
「あなたがどんなに愛しているか、レオンに見せてあげなさい。持てる全てをもってね」
その言葉はわたくしの胸に深く深く刺さりました。
その後、ソフィ様はジュリーになにやら耳打ちをしていました。ジュリーは青ざめて何度も頷きます。どうしたのかと尋ねる前に、ソフィ様がしぃーっと、人差し指を唇につけて秘密のポーズをとります。
「エリアルが演技しやすいようにね? 小細工は必要よ」
その言葉の真意は、ソフィ様は教えてくださりませんでした。
ですが、わたくしの為であることは理解できました。だから、わたくしはソフィ様の言われたことを胸にヤンデレになったふりをレオン様の前でしたのです。
***
レオン様にお話があるとジュリーを通して伝えると、返ってきたのは「自室で待っている」でした。
レオン様の私室に場所が指定されて、わたくしはこれはチャンスなのかもしれないと思いました。
レオン様のプライベート空間に足を踏み入れることは、あの方の心に直接触れられるような気がしたのです。
わたくしはお風呂の時に念入りに体を洗ってもらいました。隅々まで体を磨けば、武器になるかもしれません。
わたくしが持てる武器はこの体と言葉のみ。それを極上にしたてたくて、わたくしは爪の先まで花の香りをまとわせました。
ドレスに選んだのは、軽やかなシュミーズ・ドレス。このドレスを着て何度も願ったことを現実のものにしたくて、わたくしは袖を通します。
コルセットはつけませんでした。結んだ時の焦燥をレオン様に思い出させたくなくて。わたくしは心の防御をなくしました。
レオン様はバニヤンも羽織らず、軽装姿でした。獣が舌なめずりして待ち構えていたような藍色の瞳がわたくしを囚えます。
思わず震えそうになった足を叱咤して、わたくしは演技を始めました。
「レオン様に愛人ができたら、その方を殺すかもしれません」
演技をしているはずなのに、わたくしはいつの間にか本心を打ち明けていました。
そこまでの凶行をしてしまうのか、わたくしにはまだ分かりません。でも、理性を失うほどの何かをするでしょうね。
わたくしは下手くそな演技を続けます。ただ震えて、レオン様のお話を聞く。
裏切り──レオン様の言葉はわたくしを容赦なく傷つけますのに、痛みを感じるのをいとわないと思ってしまいます。
あぁ、本当に。
わたくしは正気なのでしょうか。
このような愛しかたしかできないわたくしは……正気を保っていると言えるのでしょうか。
情愛にかられて、こんなにもこの方が欲しくて、わたくしはおかしくなっているのかもしれません。
それでも、わたくしはこんな愛しかたしかできません。
だから、受け取って。
受け取ってください。レオン様。
渡されたナイフを迷いなく捨て去り、触れたかったものに手を伸ばします。
焦がれた唇へ。思いは加速して、熱く口を濡らしていきます。首に腕を回して、離れないように。ずっと欲しかったものを手にしてわたくしは夢中になっていました。
「っ……エリっ……」
レオン様はわたくしの強行を咎めたいのか、体を引き離そうとします。ですが、わたくしは必死にしがみつきました。
飛び込む形でレオン様の体に体重を預けると、勢いがつきすぎて、足がもつれました。レオン様もよろけてしまい、二歩下がると、ドンっと壁にぶつかりました。
壁にかけてあったわたくしの虚像の絵がガタリと揺れます。大きな揺れは額縁を壁から外させました。
「っ!」
それを見たのかレオン様が、わたくしを庇うように抱きしめます。
ガタンと音を立てて落ちた壁画はわたしの体をかすることはありませんでした。
抱きしめられた肩越しに見えたものに、わたくしは目を見開きます。わたくしが無くしていたと思っていたしおり。ヒスイカズラが飾られていたのですから。
「レオン様……このしおり……」
レオン様がはっとして、気がゆるんだわたくしから体を離します。わたくしを射ぬくような瞳の強さはそのままです。ですが、そこにわずかばかりの動揺が見られました。
その瞳が昏い影をまとい始め、口元が弧を描きます。
「……君が本に差し込んだのを奪ったんだよ」
はっと乾いた笑みを漏らし、レオン様は口の端をさらに持ち上げます。
「それだけじゃない。僕は君に睡眠薬を飲ませて何度も君の部屋にいったよ? ジュリーに君のことを逐一報告させて、監視した。僕を見るように、僕を想うように、君が喜ぶだろうと思うことを、計画してやった。優しくしたのだって、打算だ。最低だろ? 僕は酷い男なんだよ」
自分を卑下する言葉をレオン様は吐かれました。わたくしに最低な男と印象づけたいのか、口調は乱暴です。
でも、その言葉がわたくしには強烈な愛の言葉に聞こえてしまったのです。
睡眠薬を飲ませたとか、監視とか、それらは常識から逸脱したものかもしれません。ですが、わたくしのことをそこまで思ってくれてたのかと、胸が震えました。
自然に口元は笑みを作り、喜びをあらわします。
それを見たレオン様は動揺して、わたくしを突き放そうとします。
「っ……わかっている? 僕は君に愛される価値のあることは何もしていない男だ」
その言葉でわたくしは、レオン様と自分は同じだったのだと、悟りました。もしかしたら、レオン様は病のせいで自分の価値を低く見ているのかもしれません。
ヤンデレという同じ病にかかっているのなら、それも納得ができました。同時に嬉しく思うのです。同じ病にかかっているのなら、誰よりもレオン様を理解できるはずですから。
わたくしは一歩、レオン様に近づきます。レオン様はびくっと体を震わせましたが、逃げませんでした。
「レオン様。わたくしは何をされても愛されていると感じてしまうのです」
そっと、レオン様の胸に頭をつけました。ほら、今度は。顔をあげていいましょう。
「愛しておりますわ。わたくしはレオン様に会えて幸せです」
心に宿った全ての想いを口にしました。レオン様は瞳を赤くして泣きそうな目をされます。そして、堪えるように口元は希薄な笑みを作りました。
「バカだなぁ、エリアルは……」
観念したようにゆるゆるとわたくしの背中に腕がまわります。
「こんな男を愛してるなんて狂っているよ……」
吐き出された思いと共に抱きしめる力は強く、強く。わたくしたちを一つにするように締め付けは強まります。痛みを伴いますが、それでもわたくしは幸せでした。
「狂っているの……かもしれません……でも、幸せです……」
息苦しくなって、言葉が途切れ途切れになってしまいます。レオン様がくっと堪えるような息を漏らして、わたくしの首に唇を落としていきました。
むき出しの心に触れるようなそれに、わたくしの口から熱い吐息が漏れます。
「……煽らないで、酷くしたくなる」
耳元にかかる息は同じように熱くて。わたくしの淫らな気持ちに火をつけるばかり。
乱されたいという気持ちはわたくしの目に、口元に、頬にあらわれ、全身でレオン様を誘います。
「酷くしてください。……わたくしに、痛みをあたえて」
ねだっていることを隠すことなく聞こえるように、丁寧語は外しました。すると、レオン様の唇は男の本性をあらわし始めます。そして、わたくしの息は女のそれに。
こんな風にタガを外させて、男を誘うのは悪い女でしょうね。でも、愛を頂戴するためならば、わたくしはどこまでもふしだらになりましょう。
時は夜。蝋燭の火を吹き消せば、暗闇が上手にわたくしたちを隠してくれます。声を殺せば、激しさなどわかりません。
誰も知らない。
誰にも見つからない。
わたくしたちだけの秘め事。
むせかえる花の匂いに包まれていると、レオン様がわたくしを横抱きにしました。
「ちゃんとベッドの上で抱かせて」
そう言われると、わたくしの心臓は乱れる音を鳴らしました。
薄衣のドレスを脱ぐとき「コルセットはつけていないんだ」と言われ「今度、レオン様の手で脱がせてください」と乞うと、叱られてしまいました。
「また……そういうことを……君は男を煽る才に富んでいるよね……いつから、そんな悪い女になったの?」
少しだけ拗ねた声にわたくしはくすりと笑います。
「レオン様に愛されるなら、わたくしはいくらでも悪い女になります」
熱いときめきを口にすれば、少しだけ悔しそうな顔が見えました。可愛らしく思っていると、反撃にあってしまいました。今度はわたくしが可愛い声を出すしかなくなります。
羽毛をたっぷりと含んだマットレスはなんなくわたくしたちを受け止め、秘密をこぼしても何もいわないまま。無音のそれは止まるなと言っているようです。
シーツを滑らせながら睦み合っていると、「声を殺さなくてよい」と言われました。
わたくしの手にキスをしながら、レオン様は理性を外してきます。
「エリアルが、僕の手で可愛くなっているところを皆に見せつけてよ」
甘くおねだりされたら、わたくしは抗えません。解放されたわたくしの喉から出たのは聞いたことのない音。それが、レオン様の理性を瓦解させ、わたくしはようやく痛みを与えられます。
朝露に濡れたようにしっとりと火照った肌は、雨に濡れたようになり、レオン様の焦燥感のある声にもわたくしは乱れるばかり。
「愛してる」と苦しい声で告げられ、わたくしも「愛しています」と想いを繋げれば、抱えきれない情熱が与えられました。
加速する想いに翻弄されていると、ふっとレオン様の動きがとまります。どうしたのでしょうと、涙のたゆたう瞳を開くとレオン様は吐き捨てるように言います。
「ダメっ……酷くしたくなる」
そして、レオン様は獰猛な瞳をしたまま、自分の腕を食いちぎらんばかりに歯を立てました。肌にめり込む歯に驚き、咄嗟にレオン様の頭を抱えます。
「ご自身を傷つけるくらいなら、わたくしにも痛みを分けてください!」
悲痛な叫び声をあげると、レオン様の口が腕から離れます。わたくしは必死でした。
──この方の全てを受け止めたい。汚泥も飲み干してしまいたい。
そう願っていましたのに、レオン様は泣きそうになりながら、「バカだなぁ……」と呟くように言います。
そして、与えられたのは優しい噛み痕。後はもう何も考えるなと言いたいのか、爪先まで巡る熱にわたくしは流されるだけでした。
────── side レオン視点
惜しみ無い陽光の光を感じてレオンは薄く目を開いた。だらしなく投げ出した手の腕に命の重みを感じる。それに視線をやれば、すやすやと何度も見たあどけない寝顔があった。
──一緒だ……
熟睡させて覗き見みた顔と同じだ。それに妙に安心した。自分の腕の中にいても、彼女は彼女のままなことに。
不意に目の奥が熱くなった。なぜ、涙なんて……カッコ悪いと思うのに次々と、流れた。
全ての狂気を見せたのに彼女が受け止めてくれたからだろうか。
「エリアル……」
愛しい存在を抱く。彼女はもうレオンが焦がれた悪役令嬢ではなくなった。それなのに、それが心より嬉しく思うなんて、自分でもおかしく思ってしまう。
レオンは涙で顔を歪ませながらも微笑みかける。
「ありがとう、僕の聖女」
彼女がレオンにとって真の聖女だった。
きっと、それだけの話だったのだろう。
一筋の涙を流した視界の端に、天井に描かれた絵が見えた。
それに深く噛み痕がついた手を伸ばす。
傷ついて、傷つけて、ようやく手にしたものの意味はなんだろうか。
もしかしたら、仮想のハッピーエンドになるかもしれないな、とレオンはまた泣いて、笑った。




