第四十三話 レオン視点 ~これが僕らのハッピーエンド
あれは確か、攻略本を読んだ二度目のときだったか。
一度目に聖女に攻略本を見せてもらった時は一枚の静止画──スチルのみだった。のみというかそれしか目に入らなかった。激しい憎悪と愛情の台詞にレオンは魅了されていたのだ。
一枚目のスチル。そこにいたのは雨にうたれて咽び泣くエリアルの姿。そばにはヒスイカズラの花が落ちていた。
そのスチルが使われた台詞はこうだ。
「あなた様がこのヒスイカズラをわたくしにくださったのは、この花に込められた〝私を忘れないで〟という意味があったからでしょう? 一日で枯れるしかない花をお選びになったのは、証拠を残したくないからですよね。同性同士の愛は神がお認めになりませんものね……でも、わたくしはたとえ枯れゆく花でも、あなた様の思いが嬉しかった……それなのに……」
次のスチルは彼女が怒り狂って聖女を殺すシーン。
「わたくしの愛を拒むというのなら、一緒に花と共に枯れてください! 聖女様!」
その台詞と共にゲームはエンドロールになる。彼女は聖女を慕うあまり、禁じられた同性愛に目覚めて、愛をこじらせて聖女を殺すバッドエンドをした。
彼女は、攻略対象者の一人、悪役令嬢。彼女の属性は、攻撃型ヤンデレ+百合だった。
その鮮烈さにすっかりレオンは魅了されたのだ。これほどまで愛されてみたいと思ってしまったのは、常軌を逸脱した愛しか育めないレオンにとっては仕方なかったかもしれない。
彼女を調べて焦がれて、彼女を悪役令嬢に目覚めさせるきっかけを作る攻略対象者の一人──司教を生き埋めにして潰して、彼女の婚約者話を進めていた時だ。
二度目の攻略本を目にしたのは。
現国王のエドモンが攻略本をレオンに再び見せた。
「聖女がヤンデレ同士をくっつけたら殺し愛になるんじゃないかと言っていてな。自分が発破をかけたことだが、知らせておいた方がいいと言っていたぞ。お前らのエンドはこの本には書かれていないから、心配になったらしい」
そう言って、エドモンはレオンに攻略本の隅々まで見せて、自分とエリアルの〝ヤンデレ〟のことを教えた。愛しすぎると殺すか自爆。見えてくるのは仄昏い未来だとでも思ったのだろう。
その時、レオンは思ったものだ。
それなら、好都合だ、と。
昏い想いを隠してレオンは爽やかに微笑む。
「ご忠告ありがとうございます。殺し愛なんてなりませんよ」
そう、嘘をついた。
***
レオンはソフィに言われたエリアルの本当の気持ちのことを考えていた。
「好きすぎて泣いていた」
「愛人を持って欲しくないほど好き」
それらはレオンにとって、どこか信じられない話だった。好きすぎると病んでしまう属性の持ち主の彼女なら、悪役令嬢のような行動をとるはずだ。自分を殺したくなるほど愛するはずだ。でも、彼女はどこまでもレオンを受け入れる姿勢をみせた。
それは悪役というよりも、むしろ……
──ヤンデレというのは、また違った愛し方をするのか?
レオンは考えても分からなかった。自分の内に滲む殺意はどう考えても、〝ヤンデレ〟が原因としか思えなく、それをしないエリアルが自分のことを愛しているとは確証がもてなかった。
──早めに確かめる必要があるかもな。
この殺意で理性を失う前に、彼女が悪役令嬢になっているか確かめようと思っている矢先だった。
ソフィの愛人の話を聞いたというエリアルが夜に尋ねてきたいと言ってきたのだ。ジュリーの話では、エリアルは攻略本の話は聞いていないらしい。これ幸いと、レオンは自室に彼女を呼び出した。
薄いシュミーズ・ドレスを着て神妙そうな顔でエリアルは姿をあらわした。ゆるめに結い上げた髪は、耳の前で少し垂れていた。
鎖骨が見える程度に開いた胸元から、白い肌が覗いている。あの肌に歯を立てたことを思い出して、レオンの喉仏が動く。
くらりと濃密な花の匂いと、加虐心をあおる憂いのある表情がレオンを快楽へ誘っているようだ。
早々に理性を崩されそうになりかけて、レオンはやや焦りながら、エリアルに部屋に入るようにすすめる。
しずしずと歩いていたエリアルが不意に立ち止まる。衣擦れの音がなくなり、レオンも彼女より前に出ていた足をとめた。
「どうしたの?」
出た声は甘く濁ったもの。思わず苦いものが込み上げたが、レオンはそれを作り笑いで隠す。
エリアルは胸に手を持ってきて深刻そうな表情で口を開いた。
「実は……今日、ソフィ様の愛人宅へ行って気づいてしまったことがあるのです」
ぱっと顔を上げたエリアルは瞳を潤ませていて、どうしようもない嘆きに満ちているようだった。それにまた煽られそうになるが、レオンは理性を留めてあくまで聞く姿勢を見せる。
「わたくしはきっと……レオン様に愛人ができたら、その人を殺してしまうかもしれません」
──ぞわり。
内から衝動が込み上げる。高笑いをしたくなり、口元が勝手にひくりと動いた。
エリアルはそんなレオンに気づくことなく、悲壮感を表情に漂わせる。
「どうしましょう、レオン様……わたくし、レオン様と同じ〝ヤンデレ〟にかかってしまったようです……」
毛穴という毛穴から鳥肌が立った。血が歓喜で逆流して、くらくらとした目眩まで感じる。
「ふっ……ははっ……」
もう堪えきれない笑みが漏れだして、やがて腹の底から声を出す。
「あははははははは! 最高だよ、エリアル!!」
レオンは喜びのあまり、目を見開き歯を見せて高らかに笑う。
ついにきた。
僕だけの悪役令嬢。
さぁ、一緒にフィナーレを迎えよう!
舞台役者になったみたいにレオンは仰々しくお辞儀をする。唖然としたままのエリアルの左手をとり、そっと唇を落とす。そして、その手をとりレオンは優雅に微笑んだ。
「僕の秘密を教えてあげる。君に恋をした理由をね」
うっとりと微笑むと、エリアルは何がなんだか分からないみたいでされるがままだ。蜘蛛が毒でがんじがらめに縛った餌を引き寄せるように、レオンは隠し扉へと彼女を連れ込んだ。
中は薄暗かった。灯りがないと見えないため、レオンは手持ちの燭台に蝋燭を灯す。火がついて明るくなった部屋。壁画に灯りを近づければ、幼い頃のエリアルがいた。
「これは……」
エリアルが震える声で尋ねてくる。だから、エリアルが幼い頃、懇意にしていた司教の話をした。それを殺す先導をしたのも自分だと打ち明けた。
エリアルはひゅっと息を飲み、口元を軽く手でおさえる。怖がり震える手を引き、奥へ奥へ。かつんと、靴音が二つ響いて進む度に、レオンの口の端は上がっていった。
かつん。一番奥の二枚の絵の前で歩みをとめた。レオンの執着のかたまりのようなそれをエリアルの前でさらす。静かに蝋燭の灯りが見せたのは、激しく怒りをあらわすエリアルの姿。
もうすぐ現実になる姿。
「これが僕が君を好きになった理由だよ」
レオンは頬を紅潮させて、エリアルを見つめる。彼女は血の気が引いた顔をしていた。目を見開く彼女は、信じられないものを見たような顔をしている。
レオンは悪意を表情にのせて、にたりと笑う。
「これはもう一つのエリアルの姿だよ。聖女に潰されたもう一人の君だ」
レオンは吟遊詩人のように滑らかな声で歌うように語った。エリアルがバッドエンドになってしまった理由を。
彼女は飢饉の回復の密命を受けた父親と共にパリにきた。その時、幼いころ懇意にしていた司教に出会う。司教は自分が信仰している以外の神──聖女に対して憎々しく思っており、聖女をベルサイユから遠のけたかった。エリアルを使って、彼女を排斥しようと目論む。
信仰心の強かったエリアルは最初は聖女のすることなすことを邪魔しようとするが、彼女の飢饉を救いたいという強い思いに、徐々に心を開いていく。そのうち、二人は強い稲の開発者である父親の補佐をしながら、聖女と共に飢饉で稲が育たなくなった各地へ周り、病気に強い稲を育てる為に奔走するようになる。そして、エリアルは聖女に対して信頼を越えた愛を芽生えさせた。
エリアルが聖女への愛を勘違いしたのは王宮の温室で育てられたヒスイカズラを見たときだ。一晩から数日で枯れてしまう花の花言葉は「私を忘れないで」。その花に自分への思いが実を結んだと勘違いしたエリアルは、聖女がその気がないと知ったときに、彼女を殺すバッドエンドをした。
ヒスイカズラは、エリアルとのバッドエンドをするためには必要なアイテムともいえた。
全てを語り呆然とするエリアルに、レオンは裏切りの言葉を吐く。
「僕が恋をしたのは、今の君じゃない。激しい憎悪にまみれた君だよ。それなのに……エリアルはすっかり騙されて愚かだね」
くすくすと、悪気を隠さず笑うと、エリアルの眉尻が悲しげに下がる。追い討ちをかけるように、レオンはエリアルの両頬を手で柔く挟む。
「僕はずっと君が悪役令嬢になるのを望んでいた。優しくしたのだって、今日という裏切りの日を迎えるためだよ」
エリアルの眉間に深い皺が刻まれた。苦しげな表情にレオンは静かに問いかける。
「僕が憎い? 僕は君に手酷い仕打ちをした。憎んでいいんだよ」
深く深く毒が全身にまわれ、と願いながらレオンは彼女を見つめる。彼女の瞳の奥にチリチリと炎が見えた。なんとも甘美な憎悪の片鱗を見て、レオンは彼女から手を離す。
もう一推し。
レオンは憎悪で見つめるエリアルの絵の額縁を持ち上げる。額縁の裏にくくりつけてあったのは凶器としては充分な小型のナイフ。革製に包まれた鞘からそれを抜き取る。銀色の輝きが、ナイフの隣に飾られていたヒスイカズラの押し花をうつした。
エリアルが秘めた想いを明かすように丁寧に作ったしおり。その中のヒスイカズラはまだ枯れずに藍色の花びらはそのままだった。
ここに隠したのは奪ったことがバレないように。
だが、本当にそれだけか?
どうして、凶器としおりを同時に置いたのか。
ふっとレオンの正気が戻る。心に流れ込むあたたかなもの。それは、紛れもなくエリアルがレオンに与えた愛情で、それを実感して彼は静かに目を伏せる。
エリアルがレオンを愛していること。
本当はどこかで気づいていた。
認めたくないというのは、狂気に苛まれて判断がにぶっていたからだろうか。
いいや、きっと。
この病を止める術がレオンには見つけられなかったからだ。
──僕は遠くない未来にエリアルを殺してしまうかもしれない……
狂気に内から食い破れる前に、エリアルに殺されたかった。それが自分達には相応しいハッピーエンドだろうと思った。
今も、ナイフをもつのは怖い。
彼女に振り上げそうで。
正気と狂気の狭間でレオンは揺れていた。
わずかな理性をかき集めて、レオンはナイフをとる。振り返った彼は攻略対象者にふさわしく凶暴な笑みを見せる。
びくりとエリアルが震えたのを見て、口角を上げる。
小刻みに震える彼女の手にナイフをそっと握らせる。そして、耳もとで甘く囁いた。
「僕を憎いなら、そのナイフを心臓に突き立てて」
「僕を愛しているなら、そのナイフで僕の息の根を止めて。そうすれば、病は治る」
びくっと震えてエリアルは一筋の涙を流した。綺麗だなと目を細めて、それをすくいとってやる。濡れた指を口元にもっていき、間接的に彼女を感じた。それをしたら彼女の唇を貪りたくなったので、一歩身を引く。
──エリアル。愛しているよ。
心の中で愛を語り、レオンは狂気を瞳に集めて、悪魔の笑みを見せた。
「君は悪役令嬢だ! 僕にその狂気を見せてよ!」
高らかに叫ぶと、エリアルは瞳に炎を燃やす。
強く。強く踏み出した一歩。
エリアルに迷いはないようだ。
向かってくる彼女を愛しく想いながら、レオンはそっと目を伏せた。
──カラン。
投げ出されたナイフが床に叩きつけられる音がする。それと同時にレオンが感じたのは唇に触れた激しいなにかだった。




