第四十話 ソフィ視点
第三者視点になります。本日、六話更新しています。
エリアルに愛人の話をすると告げて、彼女が住む屋敷に足を運ぶことになった。
あそこに行くのは虫酸が走るほど嫌だったが、エリアルの泣き顔を見たら可哀想になってしまった。
まるで昔の自分を見ているようだ。自信がなくうつむいてばかりだった自分に。ソフィはエリアルの泣き顔に自分の残像を重ねた。
あの時の自分を救いだしたくて、自ら血を流しに行く。自分も母親になっているせいだろうか、とソフィは自嘲じみた笑みを漏らす。
母親というものを知らずに育った自分が母親らしい母性を持つなんて、不思議な気持ちだ。
そんな事を思ってしまうのは、自分の育った環境が原因である。
ソフィは侯爵家の一人娘として産まれたが、家族の情とは一切無縁であった。身分の差のある母に強い執着があった父は、ソフィに母を取られると危惧して、ソフィを寄せ付けなかった。彼女は母の声は女のそれしか聞いたことがない。
そんな彼女の側にいたのがオーラスだった。パリの汚泥の中で死にかけていた彼を拾い、従僕にした。当時を知るものは彼以外は一掃したので、それを知るのはソフィと夫のアランのみだ。
歴史あるミュレー侯爵家の社交界の評判も、サロン嫌いで母のみを愛する父の影響で、当時は地に落ちていた。
「卑しい血を好む奇人の一族」と揶揄されたのは古くない話だ。
社交の術はジャクリーヌの母親から学んだ。彼女の侍女をしていたのがソフィの母親だ。親しい間柄だったようで、何かと気にかけてくれた。
評判を回復したのはソフィが全ての汚泥を飲み干して、慈善事業や、慈愛の精神を見せたからだ。
誰もが羨む地位は、彼女という贄の上で成り立っていた。
ただ、ソフィも聖母みたいな精神でいるわけではない。自分はとっくに壊れているという自覚があった。笑顔でいられるのは、オーラスとの約束があるからだった。
そんなソフィは息子たちの結婚話が進まないことにやきもきしていた。彼らにはこの侯爵家を継いで安泰の道を歩んでいってほしい。
そうしないとオーラスとの約束も果たせない。だから、攻略本などに囚われて、エリアルとの婚姻を進めないレオンが歯がゆかった。
──まったく、あと一歩で引いてしまうところは父親そっくりね。
と、アランを思い出してムカムカしてくるが、それの原因の一つが自分達の恋の末路だというなら、皮肉なものである。
コルセットの出来事も、廊下での出来事も全てをオーラスから聞いていたソフィは、こんがらがった二人の関係を元に戻せないかと思っていた矢先に、ジャクリーヌが余計なことを言い出しそうだったので割り込んだ。
ジャクリーヌも攻略本にこだわって、それを引き合いに出そうとするからソフィは腹立たしかったのだ。
──本当にくだらないわ。聖女の予言書だろうと、大事なのは本人たちの気持ちじゃない。
そんなものを何も知らないエリアルに言って何になるというのだろうか。愛しすぎたら、その人を殺すかもしれないから注意しろ、とでも言う気なのか。実にくだらない。そんなもの理性を失くしたら注意なんてできないだろうに。
ジャクリーヌに辟易しながら、ソフィはエリアルから本心を引き出した。
レオンに殺されてもいいと言った時の彼女は本当に綺麗で、自分もそんな風に愛されたかったと思ってしまった。
レオンのことに発破をかけたのだって、彼がエリアルを本気で手にかけると思えなかったからだ。
──レオンは根っこのところはアラン様そっくりだからね。
これは母親の直感かもしれないが、身内を容赦なく切り捨てられる自分とは違い、なんだかんだと使用人や周りに甘いレオンを見ていればわかることだった。
──それにしても、思ったよりエリアルは愛人のことを気にしていたわよね……
あのレオンが愛人を持つとは思えないが、本人はエリアルの本心を知らないかもしらない。
ソフィは母親らしく一肌脱いでやりましょうと、ふふっと笑いながらレオンを晩餐会の後に呼び出した。
***
「なんのご用ですか……?」
警戒心をむき出しにした子猫のような態度の息子にソフィはくすりと笑ってしまう。ひとまず、部屋のソファに座らせて落ち着かせるようにする。
レオンは苛立っているのか、怪訝そうな顔でソファに座る。ソフィはいつものように猫のようにすり寄って隣に座った。
「晩餐会の時にね、エリアルとお話したのよ。そこで彼女、泣いていたわよ」
そう言うと、レオンの眉間に深い皺が刻まれていく。嫌悪……いや、敵を見た時みたいな顔をされて、ソフィはふふっと笑う。
「彼女に何を言ったんですか?」
今にも食いかかりそうな獣の顔をするレオンに、ソフィは真実を教えてやる。
「あなたのことが好きで好きでたまらないって、泣いていたわよ」
その一言は強烈だったのか、レオンの体がびくっと大きく震えた。動揺して、口が薄く開いている。唖然とした息子の顔を久しぶりに見た。そして、やはりとソフィは自分の直感が正しかったのだと確信した。
レオンはエリアルが自分を愛してやまないと思っていない。悪役令嬢のように凶行を見せないからだろうか。
──バカな子ね。あれは一つの可能性にすぎない。その未来があったとしても、その通りになるとは限らないのに。
その時の状況で人の思いも、性格だって変わる。それに彼は気づいていないのだろう。
信じられないような顔をするレオンにソフィは、目を醒ますように言葉を続ける。
「エリアルはあなたが愛人を作ったら許せないぐらい愛しているらしいわよ」
レオンは「は?」と、間抜けな声を出した。
「僕が愛人を持つ? バカな」
予想外の答えだったらしく、レオンの口元がひくりとひきつったが、ソフィは冷静に言葉を続ける。
「アラン様が愛人を作っていることで、そう思ったらしいわよ」
そう言うと、レオンは黙って考え込んでしまった。
「それは申し訳ないと思っているから、わたしの事情はわたしから話すわよ。エリアルとも約束したし」
「……話すんですか? 母上たちの破綻した関係を」
「そうね。話し方には気をつけるわよ? ちょっと刺激が強い話だしね」
ふふっと、弾むように笑うとレオンは瞳を鋭いものに変える。
「彼女を醜いものに引きずり込む気ですか」
「それを判断するのはエリアルよ。でもそうね……」
ソフィには確信があった。きっとエリアルなら、汚いものも上手に飲み干してくれるだろう。飲み込むまでに時間はかかっても、彼女の腹に入っていけば綺麗に溶けていってくれる。そんな予感がするのだ。
「あの子はタフよ。あなたが思っているよりもずっとしなやかで、懐が広いわ」
それにレオンは納得をしていないような顔をした。
「……まぁ、いいです。攻略本のことを言わなければ」
レオンは口の端を持ち上げた。うっすら笑う姿は企んでいる顔そのものだ。
「彼女に攻略本の中身を伝えるのは僕の役目です。あぁ、そうそう。ジャクリーヌ様をとめてくれてありがとうございます。あの場所でバラされたら、台無しになるところだったので」
なぜ、それをレオンが知っているのか。ジュリーを使ったのか? と、思いつつソフィは心の中でため息をつく。
──可哀想な子。囚われて身動きがとれないのね。
それを解放するのはエリアルしかいないのだろうか。
だが、彼女ならレオンをうまくたしなめるのではないか。そんな気がしてならなかった。
***
レオンが部屋から去ってしばらくした夜更け。ソフィはコルセットを外して、シュミーズ・ドレス姿になって、彼を待っていた。
静まり返った夜更け。その時間が活動時間といいたげに彼──オーラスはやってきた。
部屋はノックされない。音もなく開かれる扉にぬるりと入ってきた影。きっちりとスーツを着こなしたオーラスは、ソフィを見るなり微笑んだ。
彼が微笑みかけるのはソフィしかいない。昔から変わらないどこかあどけない表情に、ソフィも二人だけだった少女時代を思い出す。
ソファにしなだれかかったソフィに近づいたオーラスは、迷うことなく膝を床につけて、かしずいた。
決して隣に座ることはない。従僕時代も、こんな夜更けに会う今も、それは変わらない。
「レオンは眠ったの?」
「はい。寝付きが悪かったようなので、少々、熟睡できる薬を盛りました」
それにソフィはくすりと笑う。
「そこら辺の薬の調合はお手のもの? さすがは、悪魔……といったところかしら?」
悪魔と呼ばれてもオーラスは微笑みを崩さない。
「えぇ、私は悪魔に身を落とした存在です。あなた様を死後の世界で、花嫁にするために」
花嫁という響きに、ソフィは倒錯した気分になる。
約束を──自分の復讐を思い出させてくれるオーラスに込み上げるものはなんだろうか。
純粋な愛しさなのかもしれない。この人だけはソフィをただの一度も裏切ったことがないから。
オーラスはうっとりとソフィを見つめると懇願してきた。
「今日もあなた様の為に尽くしました。褒美をください」
ソフィはすこしむくれてみせた。それにオーラスは困ったように笑う。ねだるような視線をされて、ソフィは渋々スカートをたくしあげた。
靴も投げ出して、はいていた白いタイツをするりと脱ぐ。太ももまでスカートをたくしあげ、生足を見せつけて、足先をオーラスに差し出した。
この時代、足を出すのは胸元をみせるより恥ずかしいことだった。足を見せるのは裸体を見せる相手ぐらいだ。だから、ソフィはいまだに羞恥をぬぐえない。
オーラスは差し出された足を両手で丁寧に持ち、そこに唇を寄せた。万感の思いでそれをする彼を見ていると、妙な気分になる。
「オーラス。ちゃんと受け取って」
「かしこまりました」
やがて女であることを実感させてくれる彼のしぐさに、ソフィの体は熱くなっていった。
ソフィは翻弄されながらも、確認するようにオーラスの頭に手を伸ばす。
白い粉を撒き散らし、落ちた灰色のかつらの下に見えたのは、やはり灰色の髪。それに妙な気持ちが込み上げる。
レオンにそっくりな灰色の髪。
これは、神の悪戯か。
あるいは悪魔の所業か。
オーラスは下半身が不能だ。子を成すことはできない。彼は魔女と呼ばれ裁判にかけられた女の手によって、媚薬の実験をされ、その時に男としての本能を失っている。
アランの髪はブロンドだ。レオンが灰色の髪を持って生まれてきたのは、曾祖父の時代の夫人の色にそっくりだ。ありえなくはない遺伝の色。
でも、ソフィはレオンがどこかオーラスとの子供のように感じてしまっていた。そのせいだろうか。その後、いくらアランに求められても子供を作る気にはなれず、影で避妊の薬を飲んでいたのは。
もし、ブロンドの髪の子供が生まれてきたら、自分は両親のようになってしまうような気がして怖かった。
あの裏切りの日に囚われたまま。
ソフィは憎しみと愛の狭間で揺れている。
「オーラス……もっと。わたしに復讐を思い出させて……」
ソフィの懇願にオーラスはかしこまりましたと返事をする。
そして、彼女に聞こえない声で呟いた。
「優しい復讐が終わったら……あなた様の好きなダリアの花をたむけに捧げますね……」
ソフィは泣きそうな笑みで彼を見つめ、彼もまた同じ瞳で見つめ返した。




