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第三十八話 晩餐会

 

 レオン様の殺意が自分に。それに酷く焦燥感を覚えましたのに、わたくしの頭は混乱しきっていて考えがまとまりません。


 ドクドクと、心臓は音を乱し、わたくしを急かすように動いています。焦るばかりで呆然とするわたくしにカツカツと靴音を鳴らして、誰かが近づいてきました。


「エリアル様!」


 顔を上げると額に汗をかきながらジュリーが近づいてきました。わたくしは迷い子が母を見つけたようにひどく安心してしまい、くしゃりと顔を歪めます。


 ジュリーは肩で大きく息をしながら、わたくしに近づき、寄り添うように体を屈めます。背中に手をおかれ、覗き込む顔は心配したと言わなくてもわたくしに伝えてきました。


「エリアル様……大丈夫ですか……?」


 その言葉に少し泣きそうになってしまいました。わたくしはジュリーに甘えっぱなしです。弱いところばかり見せて情けない。


 せめて、ジュリーの苦痛を取り除きたくてわたくしは微笑みます。


「ごめんなさい……大丈夫よ……」


 ジュリーに支えながら立ち上がると、びくりと彼女が震えました。下がった視線の先にあったのは、わたくしの手首につけられた紫色の(あざ)


 パッとジュリーから距離をとり、大したことのないような声を出します。でも、なんといえばよいのでしょう。何を言っても取り繕えないような気がして、わたくしの口から出たのは端的な言葉でした。


「大丈夫だから……」


 ジュリーはきゅっと口を引き結び、わたくしの痛みを感じてくれているような顔をします。それに罪悪感が募り、わたくしは素直に謝りました。


「ごめんなさい……勝手にこっちに来てしまって……」

「いえ……」


 ジュリーは何か言いたげな顔をしましたが、感じたことをすべてまた飲み干してくれて、ぎこちない笑みを浮かべます。


「これも隠しますか? 隠すなら……腕輪がよいかと思います」


 もうひいたはずの背中の傷がじわりと熱を帯びたような気がしました。わたくしは小さな声でお願いをします。


「そうね……腕輪を用意してくれる……?」


 ジュリーは大きく頷くとわたくしの部屋に向かいます。


 隠された痛み。わたくしは赤い花のドレスに似つかわしくない青い一粒の宝石があるブレスレットをつけました。


 嫌ではなかったと、遠くからでもレオン様に伝わりますように。


 願いを込めてつけました。



 ***


 ジャクリーヌ様たちが来られて、わたくしはご挨拶をして、晩餐会を始めます。楽しげな人々の笑い声。ジョスさんの豚頭の料理は驚きと会話を弾ませます。


 わたくしは微笑みながら、ジャクリーヌ様やソフィ様たちに相づちを打っていきます。


 全てが滞りなく進み、みなさま笑顔。あんなことがあったにもかかわらず、わたくしはそつなく晩餐会をこなしていたのです。


 そうできるのは、淑女として鍛えられたせいでしょうか。一年の間に磨かれたことが考えなくてもわたくしの体を動かしているようです。


 不思議な感覚でした。


 心はぽっかり空いているのに口元は微笑み、話す声は淀みなく澄んでいます。ですが、あたたかな空気や人々の姿が現実味がなくて、砂上の出来事のようです。


 自分はそこにいるようでいない、透明な人間になってしまったかのような不思議さ。


 それは目の前に座っていらっしゃったレオン様も同じでした。


 あの激しさが嘘のように微笑み、みなさまと言葉を交わしています。


 あの一時はすべて夢だと言いたいのでしょうか。


 ────いいえ。違う。違うわ。


 こういうのは前にもありました。トランプゲームをしたときも、アイスクリームを食べたときも、ブリオッシュを食べたときも、レオン様はわたくしの前でこういう態度を取っていました。


 それは、わたくしに忘れるようにと言いたかったのでしょうか。病の激しさを身に留めるために、わざと笑っていたのでしょうか。


 今のわたくしと同じように。


 切なさが込み上げ、きゅっと心臓が痛みます。微笑(びしょう)を浮かべるレオン様の顔が、ボロボロに傷ついているように見えてしまったのです。


 苦しくなってきた思いを抱えていると、ジョスさんがデザートにクグロフを持ってきてくれました。


「こちらは、エリアル様が作られたものですよ!」


 明るい声で紹介されて、銀色のワゴンが扉の向こうからやってきます。


 ホワイトチョコレートがたっぷりとかかってナッツを散らしたクグロフは素朴な味わいでありながら、飾りの甘さが舌を楽しませるはずです。


 みなさま、美味しい、美味しいと口々にいってくれます。わたくしは、それに微笑みます。


 ふと、視界の端でレオン様がクグロフを口に運ぶ姿が見えました。喉を通る甘いお菓子。癒しになればと願ったものが、噛み砕かれて、レオン様の体の一部に溶けていきます。


 すっと顔を上げたレオン様は爽やかに微笑みました。


「エリアルのクグロフは、やっぱり美味しいね」



 優しい労りの言葉。

 それは、社交辞令でした。



 わたくしの手からするりと握っていたフォークが落ちます。あっけなく、実にあっけなく。フォークは手から落ちて、ガチャンとみじめな音を立ててお皿にぶつかりました。


 穏やかな空気が一変します。シンと静まり返ってしまった部屋に走るのは妙な緊張感。


 すぐに「失礼します」と言えばよかったですのに、わたくしの口は固く引き結ばれたまま。ジュリーが慌てて近づいてきます。


 レオン様は驚くことなく静かに笑ってらっしゃいました。


 もう、それしか選択肢がないと言うような張り付いた笑み。


 ずっとわたくしが見てきた笑みは、レオン様の(まこと)の心ではないことにわたくしは気づいてしまったのです。


 あの激しさ。助けを求める声を知ってしまったから。目の前の表情は偽りであると感じてしまいました。


 眉根は下がり、わたくしは泣きそうになるのをこらえます。こんな笑顔をしてほしくなくて。今すぐ無性に抱きしめてあげたくて。わたくしは瞳で訴えます。


 ──レオン様……どうしたら、あなたの心に近づけますか……?


 自然と潤んでしまった瞳に思いを宿しても、藍色の瞳は答えません。触れてほしくなさそうな拒絶をまた感じて、わたくしは少しだけ視線を下に。


 ぐっと腹に力を込めて顔を上げたとき、わたくしの口から出たのは、積み重ねてきた淑女の笑みでした。


「失礼いたしました」


 何気ないしぐさでフォークを取ります。そして周囲を見渡して軽く頭を下げました。


 泣くのは後でできますから。

 今はそれをしてはいけない気がしました。



 晩餐会が終わると、一度みなさま席を立ち、おもいおもいに過ごされます。レオン様はジャクリーヌ様たちの息子さんと談笑していました。


 それを横目で見ながら、わたくしは紅茶とコーヒーの準備をするようにジュリーにお願いします。


「エリアル」


 それが終わるとふいに呼び止められました。振り返ると穏やかな表情をしたジャクリーヌ様がいらっしゃいました。衣擦れの音をたてながらジャクリーヌ様がわたくしに耳打ちします。


「ねぇ、あっちで話さない?」


 内緒話をするような小さな声でした。わたくしはひとつ頷くと、ジャクリーヌ様と共に部屋の隅、レオン様から最も離れたソファに腰かけました。


 柔らかい布地のそれは、わたくしたちの腰をゆるく沈めます。二人掛けのソファに座ると、ジャクリーヌ様が微笑みながら口を開きました。


「今日の晩餐会、素晴らしかったわよ。料理を一品ずつ出すのは、エリアルのアイデアなんでしょ?」


 思いがけない褒め言葉にわたくしは、戸惑いつつも返事をします。


「はい。あたたかいものをあたたかいうちに召し上がって頂きたくて」

「そう……あなたらしい配慮ね。思いやりが隅々まで行き届いているわ」


 優しい言葉にわたくしの口元は微笑を浮かべました。


「勿体ない言葉です。……主催だと言うのにボーッとしてしまい、お恥ずかしい限りです」


 そう言うと、ジャクリーヌ様は全身の力を抜くように一度、大きく息を吐きました。そして、にこっと微笑まれました。


「ここに来てからどう? レオンとは仲良くやれている?」


 びくっと大きく震えてしまい、わたくしはしまったと思います。動揺が隠しきれていません。何かあったと思われてしまう……


 と、そこまで考えてわたくしは、ジャクリーヌ様を見つめました。


「ジャクリーヌ様……」


 弱々しく情けない声で呼びかけます。わたくしはもうどうしていいか分からなかったのです。レオン様にどう振る舞えばよいか見失っていたのです。ですから、優しく声をかけてくださったジャクリーヌ様にすがりました。


 わたくしの表情の変化を見て、ジャクリーヌ様の顔が険しくなります。ちらりと横目で何かを確認されています。一層、険しくなった眉間を見て、わたくしは視線の先を見ました。


 ふいっと視線を逸らしたレオン様がいます。また談笑を始めたのか、その横顔は穏やかです。


「エリアル」


 呼びかけられて、ジャクリーヌ様を見ると真剣な顔をされていました。


「何かあったのね……別の部屋に行きましょう」


 そう言うと、ジャクリーヌ様は立ち上がります。それにつられて、わたくしもソファから腰を持ち上げました。



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