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第三十五話 晩餐会の朝~その後

「ごめん……」


 絞り出すように言われた謝罪の言葉。それに胸が詰りましたのに、わたくしの喉はひゅーひゅーと掠れた音しかでません。振り返った時には、もう扉は閉められようとしていました。かすかに見えたレオン様の残像。


「行かないで……」


 喉を震わせながら絞り出した声は、ひしゃげたみっともない音で、レオン様の耳に届きません。


 ──バタン。


 大きい音が響いて隔たれた距離に、わたくしは顔を歪めました。睫毛(まつげ)を震わせると、溜まりに溜まった涙がこぼれ落ちていきます。


 するするとコルセットがシュミーズ・ドレスの生地を滑り、わたくしの足にひっかかります。


 最後まで結ばれなかったそれに哀愁が込み上げ、わたくしは机に崩れるように突っ伏しました。


 次々とこぼれた涙がみっともなくて、わたくしはせめて声を出さないように口元を手でおさえました。



「エリアル様……!」


 焦った声が背後からして、わたくしは恥ずかしい泣き顔のまま振り返ります。


「ジュリー……」


 情けない声で呼ぶと、ジュリーは眉根をよせてすぐさまわたくしに近づきます。手早く椅子を手に持ち、わたくしの近くに置いてくれました。


「お座りください」


 何も聞かずにわたくしの体を支えて、椅子に座らせてくれます。もつれたままだったコルセットは、ジュリーが手で支えてくれて、足からするりと抜けました。


 丁寧に扱われたコルセットは、わたくしの心までも救い上げるようです。あたたかいものが心に流れ込んできました。


 呆然としたままのわたくしに、ジュリーは何か言いたげな顔をしましたが、それを全て飲み込んで、お茶を用意してきますと言いました。


 バタバタと走り出したジュリーの後ろ姿を見つめます。こんな風に慌てている姿を見るのは初めてです。


 一人になると、涙がとまっていることに気づきました。視界に入ったのは目映い光。窓から差し込む陽光の中を光の粒子が踊るように舞い上がっています。キラキラと光るそれらはわたくしに今の時を教えます。


 ──夜ではなく、朝なのね……


 そう自覚すると頭がゆるゆると現実を取り戻していきました。


 じわりと傷む背骨と首と喉。実感したのは夢の間に間に漂いたいからでしょうか。


 レオン様がくれた痛み。それがわたくしたちを繋げる唯一のものに感じてしまい、痛みを閉じ込めたくてそっと自分で自分を抱きしめました。



 しばらくすると、扉が控えめにノックされて、わたくしは腕の拘束を解きます。ジュリーが丸い茶色い木のトレイを手に持ってやって来ました。


 トレイにのった茶器は薄紅の花が描かれたものでした。紅茶を持ってきたわけではないらしくポットはありません。代わりに水が注がれたグラスがありました。わたくしはぼんやりとした頭で茶器を見つめます。


 ──いつものカップじゃない……


 わたくしが使うものは藍色の花が描かれたもの。それがお気に入りでした。


 ふと振り返ると、わたくしは深い青色のものが好きで、知らず知らずに側に置いてしまっていたことに気づきます。


 星屑を散りばめたドレスも。ヒスイカズラの花びらの色も。そして、カップの色も……レオン様の藍色の瞳を模した色ばかりを無意識のうちに周りに置いていたのです。


 ふ、と口元が静かな笑みを作りました。


 ──そう……わたくしは、最初からレオン様を愛してやまなかったのね……


 今さら。本当に今さら、そんなことに気づくなんて。これは盲目的になってしまった代償でしょうか。


 そんなことを考えていると、ジュリーがわたくしに茶器を差し出します。わたくしを安心させるように微笑みかけられ、カップとソーサを受けとりました。


 甘い匂いが鼻孔をくすぐります。色は前に飲んだコーヒーのように深い茶色でした。


 あのアイスクリームの甘さを思い出そうとしたのか喉が勝手に動きます。飲み込んだものは甘さはなく、ただ枯れた喉をじくじくと痛めました。


 思い出せない甘さが恋しくなり、カップに口をつけます。


 口に広がったのは、ひどく優しい甘さでした。


 わたくしは驚いてジュリーを見つめます。ジュリーは朗らかに笑っていました。


「ホット・チョコレートです」


 そう言って、ジュリーは床に両ひざをついて、わたくしの膝の上に手をおきました。安らぎを与えるように、その手がわたくしの膝をさすります。


「エリアル様……甘いものは心を癒してくれます。悲しいことを吹き飛ばしてくれますよ!」


 晴れやかな空のような微笑み。それにわたくしの沈んだ気持ちが少しずつ持ち上がっていくのを感じました。


 それと同時に思い出しました。


 レオン様に〝ヤンデレ(やまい)〟を告げられた日のことを。


 あの時、わたくしはレオン様の膝の上で誓いました。この人の力になろうと、支えていきたいと。


 あぁ、本当にわたくしは愚かですわ。あの日の誓いをおろそかにして、ただ欲に溺れてしまったのですから。


 きっと、そのせいでしょうね。レオン様の冷たい態度も、与えられた痛みも、わたくしが誓いを忘れた罰なのでしょう。


 ──しっかりしないと……


 わたくしは思い出させてくれたお礼も兼ねて、ジュリーに微笑みかけます。


「ありがとう、ジュリー」


 そう言うと、ジュリーは明るく微笑みました。



 ***


 ジュリーに手伝ってもらいドレスに着替えてきます。なんの締め付けもなく体にフィットしたコルセットに一抹の寂しさはありましたが、ぐっと背筋を伸ばしました。


 着替えが終わり、髪を編み込んでアップにすると、ジュリーが困ったように声をかけてきます。


「エリアル様……その、肩にかけるスカーフの色なのですが……」


 透けた白いスカーフを持って、ジュリーは困惑した表情を浮かべていました。


「あの……これだと首の傷が……」


 歯切れ悪く言われて、わたくしは首の後ろに手を回します。レオン様に噛みつかれた痕が残っているのでしょう。透けた生地では痕が見えてしまうのをジュリーは懸念しているのでしょうね。


 わたくしは口元に微笑を作り、お願いをしました。


「このドレスの赤に似合うものにしてほしいわ。……レオン様が気にされるかもしれないから」


 そう言うと、ジュリーは眉間に深い皺を刻みます。ぐっと手のひらのスカーフを握りしめ、意を決したように口を開きました。


「エリアル様……エリアル様!」


 切羽詰まった声が部屋に響き、わたくしの心を揺さぶります。


「レオン様は、エリアル様がとっても、好きなんです! わたしはエリアル様の来る前からレオン様を見てきました! だからっ……」


 ジュリーが信じてほしいと全身で訴えてきました。


「……だから……レオン様がエリアル様を泣かすようなことをしてもそれは理由がきっとあって……それで……」


 言葉にできない思いをジュリーは懸命に伝えてきます。その表情を見ながら、わたくしは背中が押されていくようでした。前に進めるように。わたくしを高く羽ばたかせるような言葉。


 ふっと、レオン様の言葉が蘇りました。


──好きすぎて、ごめん。


 切なく震える声で叫ばれた声。あれがレオン様の思いの欠片だとしたら……


 わたくしは決意をあらたに、きゅっと口を一度、引き結びました。


 ひいていく痛みの意味を、わたくしは考えなければならない時かもしれません。


「ジュリー、ありがとう……レオン様の心を伝えてくれて」


 微笑んで言いましたが、ジュリーはまだ不安そうな顔をします。ぽつりと、小さな声で伺うように尋ねてきました。


「……レオン様のこと、嫌いになったりしていないのですか……?」


 予想していなかったことを尋ねられて、わたくしはポカンとしてしまいます。でも、すぐにその理由にたどり着きました。


 ──泣いてしまったからね……


 自分の行動を小さく恥じ入りながら、わたくしはゆるゆると首を振ります。そして、今の正直な思いを伝えました。


「わたくしね……レオン様のことがずっとずっと好きなのよ」


 言葉に出すとなんて単純な思いなのでしょう。そういえば、誰かにレオン様への思いを伝えるのは初めてかもしれません。


「だから、レオン様に何をされても嫌いになんかならないわ」


 ジュリーはパッと顔を上げると頬を紅潮させて早口に言い出しました。


「よかったです! わたしはエリアル様を全力で応援します! 支え続けますね!」


 ハツラツとした声にわたくしは顔をほころばせました。



 ***


 ドレスに着替えて、ぶとうやリンゴなどの果物をつまみ、朝食を終えるとキッチンへ向かいました。


 今日は晩餐会の日。心はレオン様に囚われたまま、わたくしは活路を見つけたくて、キッチンへ向かいました。



 キッチンは活気に満ちていました。慌ただしく料理人が動き、ジョスさんが次々と指示する様子が見えます。


「エリアル様!」


 料理人の一人がわたくしに気づいて、喧騒が止まります。一斉にみなさんがこちらを向きましたので、わたくしは少々驚きながらも、笑顔を作ります。


「おはようございます。今日はみなさん、宜しくお願いいたします」


 軽く頭を下げると、わらわらとみなさんが近づいてきます。「そんな、勿体ない言葉です」とか、「頭を下げないでください」とか次々に言われてしまい、わたくしは面食らってしまいました。


 料理人たちをかき分けながらジョスさんが近づいてきます。


「エリアル様、おはようございます」


 頭を一度深く下げて、ジョスさんはやや困ったような笑みを浮かべます。


「どうも、すみません。今日の晩餐会、エリアル様の主催デビューに相応しいものにしようと皆、朝から気合いが入っておりまして」


 ジョスさんがちらりと料理人の方を一瞥すると、みなさん肩をすくめてそそくさと散らばっていきます。


 また始まった料理場のざわめき。コンロに火をつける音に、ぐつぐつ煮込まれる音。銅製のフライパンが奏でる独特の音階。合間に人々の話し声が聞こえだし、みるみるうちに元の活気を取り戻していきました。


 それをやれやれと肩をすくめて見届けて、ジョスさんはわたくしに朗らかな笑みを向けました。


「メインディッシュも滞りなく揃えておりますよ」


 それを聞いて、わたくしは目をきょとんとしてしまいます。


 事前にメインディッシュのことは聞いておりましたが、そんなメニューがあるのかと驚いてしまいましたから。わたくしは、おっかなびっくりに小声でジョスさんに尋ねました。


「本当に豚の頭の料理を出すのですか?」


 動揺しながら尋ねると、ジョスさんは、はははっと声を出して軽快に笑います。


「当然です。見た目は仰天ものですが、豚の頬肉は美味しいのですよ。パリッと香ばしく焼けば、見た目を忘れる美味しさです」


 ジョスさんの説明にわたくしは呆気に取られながらも、そうですか、と返事をしました。


 ジョスさんが提案してきたのは、豚の頭だけを切り取り丸焼きにしたイリュージョン・フード。宮廷料理の一種にはこういう奇想天外料理もあるそうです。


 香ばしく焼かれた豚の頭は見た目がグロテスクです。豚の頬にナイフをいれてそぎおとすように食べるのですが、見た目が怖くてドキドキします。


 でも、試食したものは、パリッと焼かれた豚の皮の下に隠れたジューシーな肉が本当に美味しくて、わたくしは感激してしまいました。


 ただ見た目が見た目なので、お出しするのに躊躇ってしまいます。


 ジョスさんは晩餐会を盛り上げる話題のひとつになればと言ってくださって、それならば……と同意しました。


「準備は滞りなく進んでいますよ。エリアル様のブリオッシュ作りはまだ早いので、一段落したら声をかけますね」


 ジョスさんが話を切り上げようとしたので、わたくしはお願いを口にしました。


「ブリオッシュではなくクグロフを作りたいのですけど、メニューの変更をしてもいいですか?」


 わたくしはそれに一縷の望みをかけました。


 レオン様が好きだといってくださったクグロフ。また少年のように破顔した顔になってほしくて、また関係を元に戻したくて、わたくしはクグロフに願いを託そうと思ったのです。


 ジョスさんはお安いご用ですとメニューの変更を承諾してくれました。


 わたくしはあたたかい人たちに囲まれて恵まれておりますわ。


 それからわたくしは忙しなく動き回り、晩餐会の時間は近づこうとしていました。



 準備を整えおえて、後はジャクリーヌ様たちをお迎えするだけという時です。


 ふと、レオン様とあれからお話をしていないことに気づきました。


 ──クグロフをお出しすると、伝えてもいいかしら……


 そう思ったら最後、わたくしの足はレオン様の自室へと向かってしまいました。


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