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第三十四話 晩餐会の朝 ~レオン視点

三人称になります。長めの話です。

 ──歯車が狂ってきている。今までうまくやってきたのに、なぜだろう……


 エリアルの背中についた赤紫色の痕を見て、レオンは眉根に深い皺を刻んだ。


 つけた執着の痕は毒々しく咲く花のようだ。白い肌から生気を吸い上げて、咲き誇る花に嫌悪しつつも魅入る。


 焦がれるように唇をまた寄せれば、エリアルの体は小さく震え、口からは熱い息が漏れだす。


 それに頭の芯が痺れるような甘い(うず)きを感じた。


 このままその白い肌に痛みを与え続けたくなる。情欲のままに彼女をこちらに向かせて、匂いを交じり合わせたくなる。


 いや、そんな生半可なものじゃない。


 だって、ほら、今も。


 片手は彼女の喉にかかっている。細い首に。華奢なそれに。手をかけて、自分は何をしたい?


 ──……っ……やめろ。それをするのは……


 朝というシチュエーションに一縷の望みをかけたが、止められない衝動にレオンは奥歯を強く噛み締めた。




 今日のサロンでジャクリーヌを使ってエリアルの気持ちを確かめる予定だった。目的はそれしかない。こんな甘い夢のような一時を貪る気はなかった。


 隠してしまう本音を吐かせて、その結果次第では、もう〝エンディング〟にいってもよいとレオンは思っていた。


 描くエンディングに向かうために、彼女が悪役令嬢になっていたら、自分の中の盲執を叩きつけてやる気だった。


 それなのに──今のこの状況はどうしたことだろう。ちっとも計画通りではない。


 彼女に肉体的な苦痛など与える気などなかった。骨が折れるではないかと思うような苦痛を彼女に与えられるわけない。


 与えるのは肉体的なものではなく、精神的な追い詰め。そう、レオンは決めていたはずだった。


 なのに……



 どうも、ブリオッシュの夜から自分の中の感情がうまくコントロールできていない気がする。


 きっちり隙間なく積んだものが、あっさり崩れ、今度はアンバランスに積み上がっていく。脆くなった土台は些細な刺激で崩れていく。


 それに気づいたのは、エリアルがドレスの相談に着た日のことだ。


 秘める狂気を隠すため、いつもは冷静さを求めて「青」を選んでいた。色の持つ効果にすがったのだ。


 なのに、躊躇いなく激しさを加速させる「赤」を選んでいた。苦く笑ってしまった。


 もっと先だと思っていたのに。狂気を叩きつけてしまいたくて仕方ない自分がいることに狂ったように笑ってしまう。


「ははっ……僕もとことん病んでるなぁ……」


 まだそんなことを吐けるのは、〝攻略本〟を見たせいだろうか。予言書のようなそれを見たから、その道にはいくまいと心が自制をかけるのか。


 ──エリアルを遠ざけた方がいいかもしれないな……


 このままだとエリアルを愛するがゆえに、手にかけかねない。自分は彼女とは違うタイプの〝ヤンデレ〟だから大丈夫だと思っていたが、それは大きな間違いかもしれない。

 

 ヤンデレは愛する人にこがれて、独占欲が強く、彼女と自分を隔てる全てのものに嫉妬してしまう。物や人。対象は全てだ。


 極端な話をすれば、彼女が着ている服にだって嫉妬して、剥ぎ取りたくなる。だから、デボラとの話し合いだっていつも平行線だった。どれも気に入らなくて。


 そう考えると、聖女に潰された未来の自分はこんなに狂気を見せていただろうか。


 いや、そんなことはない。


 最初は彼女に好印象をもたれたかったのか、彼女の望むままに兵士として、戦の勝利に貢献していた。


 口調は穏やかに。態度は紳士的に。最終的に騙すために、狂った思考はひた隠しにしていたように思える。


 思えるとしてしまうのは、攻略本の中に書かれている内容はレオン視点の話がないからだ。


 そのタイミングで自分が本当は何を考えていたのか、想像するしかない。自分のことなのに変な感じだが。


 予測するしかないが、最後になるまで狂気を聖女に見せることはなかったように思える。


 戦という発散方法があったからか。これはレオンにも予想ができなかったことだ。


 他に発散させるものがないと、自分は思いを抱えきれずに愛する対象にぶつけてしまう。


 彼女が受け入れる意思を見せればみせるほど、その思いは加速した。


 狂気の成れの果てはなんだ?

 少なくとも〝ハッピーエンド〟ではない気がした。


 彼女と同じ〝バッドエンド〟を自らの手でしてしまうような気がした。


 好きだ。好きだ。だから、殺す。


 同じヤンデレの道を歩んだ彼女は最終的にその〝バッドエンド〟にたどり着く。


 ──……そんなものは最悪の未来だな……


 どうすれば自制ができるのか。レオンは考えた末に、エリアルを遠ざける選択をした。



 はずだった。



 ドレスの相談を受けた日、話を早くに切り上げた。デボラがエリアルを使ったことは気にくわなかったが、消すのはいつでもできるだろうから、放置をした。


 エリアルを自分から遠ざけてひとまず計画通りにサロンを開いて、それからっていう時に、またもレオンは自分の理性をエリアルに試されてしまったのだ。


「もう少しだけ……そばにいていいですか?」


 懇願された言葉に喉が鳴った。あっさり崩れた理性に苛立つ。歪に持ち上がる口元も。


「……いいよ」


 あぁ、これはお返しだろうか。ずっと彼女の心の鍵を解放したくて、計画を立ててきた自分への。


 彼女によって、自分が解放されてしまう。


 愛を越えた狂暴なものを見せつけてしまう。


 それは恐怖でもあるのに、レオンは彼女の言いなりだった。




 結婚の話もしたのも、天井に描かれた仮想のハッピーエンドを語り、夫婦になるという望みの低い結末に酔いしれたかったのだろう。だから、どこか夢を語るように話していた。


 それを彼女は戸惑いながらも全て了承してくれた。


 ──どうしてそこまで……そんなに僕の〝ヤンデレ(やまい)〟を治したいの?


 強ばった顔は結婚の拒絶を意味するのに、口から出されるのはレオンを喜ばせることのみ。


 献身的な愛情。自分で敷いたレールの上をエリアルは忠実に守ろうとしているのだろうか。


 ならどこまで捧げてくれるのだろう?


 唇? 体? 心? ────命も?


 すべてを君は捧げてくれるのだろうか……?


 じわりと涌き出た衝動のままに、コルセットの話をした。


 下着姿をみせるなんて、少し前のエリアルなら恥じらって拒否しただろう。


 だけど、言われたのは「縛って」の一言。


 それはエリアルがレオンに支配されたがっているように聞こえて、たまらなかった。彼女をきつく抱きしめながら、レオンは奥歯を噛み締める。


 ──煽らないでエリアル……君をめちゃくちゃにしたくなる……


 それがただの比喩ではなくなりそうな予感がして、レオンは彼女を遠ざけたのだった。



 目も合わせず。言葉も交わさず。視界の端で彼女が悲しげに瞳を潤ませるのをみても、見ないふりをした。


 彼女を遠ざけ、晩餐会の日を待っていた。そこからリスタートできると信じたからだった。



 だけど。



 晩餐会の朝にコルセットを結ぶ話は、エリアルからジュリーに伝わり、オーラスが告げてきたことだ。


「今日、待っていますとのことです」


 淡々とした表情で伝えられたメッセージにレオンは乾いた笑みを漏らした。


「エリアルはとことん僕を追い詰めたいのかな……狂ってしまったら、戻れないのに……」


 独り言のように呟いても、目の前のオーラスは何の反応も示さない。影のようにそこにいるだけだ。


 それが気に障って、レオンは腹のうちを見せない従者に語りかける。


「ねぇ。手に入らないものに焦がれる気持ちってどんなものなの?……君は苦痛を見せないけど、痛みは感じないのかな?」


 幼い頃。たった一度聞いた声を思い出し、レオンはにたりと笑う。


 オーラスは表情を崩さなかった。無言でレオンを見ていた。


 レオンも返事があるとは思っていなかったので、ひとつ息を吐き出すとベストを手にとって着替えをしようとした。


 すぐさまオーラスが近づき、前のボタンを締めてくれる。最後のボタンが締め終わったとき、ぽつりと暗い声がした。


「……私たちは彼岸に行く約束をしています。だから、痛みなど感じませんよ」


 ずるりとレオンも闇に落とすかのような言葉。奇妙な恐怖を感じて、レオンは口を真一文字に結ぶ。


 すっと離れたオーラスはいつものように感情を一切見せなかった。


 その黒に染まりきった態度はどこか清々しくさえある。


 レオンははっと乾いた笑みを吐き出した。


「彼岸ね……死に至る病にかかっているのは僕だけじゃなく、君も母上も一緒かな。……血って怖いね」


 ミュレー家の人間はそういう生き物なんだろう。


 愛に狂って理性を失くす。

 相手も狂わされ、理性を失くす。


 素質はあったとはいえ、エリアルも理性を失くしかけている。


 そして、自分はそれを貪りたくてたまらない。


 だから、足は彼女の部屋に進んでいってしまうのだろう。



 ***


 吸い付いて咲いた赤紫を舌で慰め、レオンは朝露のように濡れた花から唇を離した。


「ごめんね……痛かったでしょ?」


 息も絶え絶えになっているエリアルにつぶやくと、彼女は震えながらも首を振る。


「大丈夫……です……」


 健気に声を出され胸がつまる。レオンを安心させようとしているのか、エリアルはこちらを向こうとした。彼女の首に手がかかったままだったので、筋肉の動きを感じる。


 今にも溢しそうな涙をたゆたわせながらもエリアルは微笑んでいた。


「……大丈夫ですから」


 自分の凶行を諭す言葉に、眉根がひそまる。


「もっと怒っていいのに……エリアルはバカだよ……」


 ゆるんでいた力を込める。ぐっと顎の下を持ち上げるように掴めば、彼女の眉根が苦しげにひそまる。


 細く。簡単に折れそうな首だ。


 握りつぶすことなど造作もない。


「嫌がりなよ。……そうしてくれないと……僕は君にもっと酷いことをする……」


 彼女を彼岸に引っ張りそうになりながら、レオンは昏い思いを吐き出す。ぐっと声を詰まらせながらエリアルは訴える。


「……レオン様にされて嫌なことなどありませんでした……今も……」


 それにかっとしてレオンは手を離した。離さなければ力を込めてしまうところだったから。


 解放されたエリアルは勢いのままに丸い机に突っ伏す。それに手が伸びたが、同じことをしてしまいそうでレオンはぐっと握りこぶしを作った。


「ごめん……」


 そう言うしかできなくて、レオンはエリアルの部屋から出ていった。



 ***


 外に飛び出したレオンは冬の寒さに身を震わせた。何も羽織らず出てきてしまったのを後悔した。一度戻って、部屋に保管してある剣をとりに戻るか。


 剣を振れば邪念が晴れる。端的な考えだが、それぐらいレオンには余裕がなかった。


 中庭を無言で歩いていると、不意に呼び止められた。


「レオン」


 なぜ、ここにこの人が。そう思ったが、レオンは歩みを止めて振り返った。


「何かご用ですか? 父上」


 そこにいたのは父親のアランだった。朗らかでいつも笑顔な父が神妙な顔をしている。こんな顔を家にいるときはめったに見せない。


 アランは高い身長を丸めて、ひとつゆっくりと息を吐き出す。


「エリアルとは仲良くやっているのかな?」


 それを今、このタイミングで聞いてくるのか。レオンは苛立ちながらも、笑顔を取り繕う。


「えぇ、そうですね。夫婦の真似事をするくらいは仲睦まじくしていますよ」


 その結果がどうだったのかは伝えない。家ではただ穏やかなだけの掴めない存在の父親がレオンはどちらかというと苦手だ。


 黙ってしまったアランにレオンは目を細めてほくそ笑む。


「父上はエリアルとの婚約を渋っていましたからね。それで気になるのですか?」


 そう言うとアランは「そうだな」と短い返事をした。それにレオンはくすくす笑う。何を心配しているのか、だいたい察してはいるからだ。


「……大丈夫ですよ。母上みたいに強引に事を運ぼうとは思っていませんから。あなたが感じた苦痛をエリアルにするつもりはありません」


 母と父の馴れ初めをレオンは詳しくは知らない。だが、観察していれば見えてくることはあった。


 父は母に強引に結婚をさせられた。父親の愛人のことを考えれば、そう思うのが自然だった。父の愛人の一人は彼の元婚約者だったから。そのため、彼が婚約を渋ったのはそこら辺の事情が絡んでいるのだろうと目星をつけていた。


 強引に奪い囚われた父。父を愛しすぎた母。そして、オーラスとの複雑な関係。


 見えてくるのは、理解しがたい破綻した関係だ。


 自分は母親に似ているからエリアルとの関係も破綻するのではないかと、父親らしい思考でアランは思ったのだろう。


 アランはレオンをじっと見据えると、父親らしい顔をした。


「お前は聡い子だ。周りをよく見ている。少々、見えすぎている気がするがね」


 そう言って、アランは言葉を一回切る。


「見えすぎて、本心を隠してしまうんだろうな。……もう少し、周りを信じて思っていることを言ってみてはどうだ?」


 その言葉にレオンは強い不快感を覚えた。


 ──何を言っているの? くだらない。……僕のすべてを見せたら周りはどん底に落ちるだけでしょ。


 苛立ちを隠さずレオンの口元は歪んでいく。己の狂気をうつすようにレオンの藍色の瞳は昏い闇に閉ざされていく。


 はっと、嘲りの笑いを漏らして、レオンはゆるりと口元に弧を描いた。


「ご忠告どうもありがとうございます。ですが、大丈夫ですよ。僕のことは僕が一番、わかっていますから。では、失礼します」


 そう言って、レオンは薄く微笑むと踵を返した。アランは声をかけてこない。それを心でため息をはいて、レオンは自室へと向かった。


 いつものように遠くから影のように付いてくるオーラスに従者部屋に戻るように指示する。彼は頭を下げて、部屋に引きこもった。


 レオンは部屋の隅に置いてあった剣を手に持つ。馬に乗っても扱えるようにと改良された細身の剣は、片手で軽々と持ち上がった。(さや)から抜くと、細身の刀身が銀色の輝きを放つ。


 それを人形みたいに表情の動きをとめてレオンは見つめた。


 すっと鞘から抜かれ、解放された剣。切っ先は倒すべき敵へ。迷うことなく自分の喉元に向かった凶器に、レオンは口の端を持ち上げた。


 ……まだ、大丈夫だ。倒すべき敵を見失っていない。


 それはレオンをひどく安心させた。


 自爆型ヤンデレ。愛する人は傷つけずに、自分を傷つける。迷いなく自らの手で死を選べる。


 今、このタイミングでそれを選べば──と、考えて天井の絵を見つめた。


 ハートを抱いて眠る少年の絵。レオンの仮想の〝ハッピーエンド〟


「ねぇ……エリアル」


 夢うつつのままに、〝攻略本〟にはなかった二人の結末を尋ねる。


「この剣を血で染めるのが先かな?……それとも君に殺されるのが先……かな?」


 あるいは──


 レオンは愛しい人に向かって微笑む。


 どの結末になっても、自分は幸せなことには変わりないな、と改めて思った。


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