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第三十話 晩餐会の準備①

 

「わ、わたくしが主宰ですか……?」


 その日、ソフィ様に呼び出されたわたくしは驚きのあまり、どもってしまいました。


 ソフィ様はいつものように屈託のない笑顔でわたくしに言います。


「エリアルはクグロフもブリオッシュも作るのが上手だと聞いたわ。この前はレオンが一人占めしちゃったし、わたしも食べたかったのに」


 子供っぽく頬を膨らませるソフィ様に、わたくしは驚いてきょとんとしてしまいます。


「それでね。せっかくだから、このサロン室で晩餐会を開いて、エリアルのブリオッシュを食べてもらおうと思ったの」


「そんな……振る舞えるほどの腕前ではありませんし……」


「あら、そんなことないわよ。あのジョスが泣いて絶賛したらしいじゃない。あのベストセラー作家を泣かせるなんて、誰にでもできることじゃないわ」


 確かにジョスさんは有名なシェフです。貴族料理を庶民がアレンジしやすいように書かれたレシピ本がベストセラーになっています。


 ですが、わたくしはジョスさんが泣いたのは単にブリオッシュのできがよかったからではないと思っています。


 それを説明したいのですが、ジョスさんが泣いた理由が分からず口を閉ざしてしまいました。


 それに、晩餐会といえば女主人が企画するものです。ソフィ様を差し置いてサロンの企画など、おそれおおいですわ。


「わたくしなどが主催など……」

「ふふっ。そんな固くならないで。招くのはジャクリーヌの家族だけだから、身内の夕食会だと思えばいいわ」


 その言葉にわたくしは目を点にします。


「エリアルとジャクリーヌは仲がいいと聞いているわ。ジャクリーヌの家族ならそんなに緊張しないだろうし、予行練習としてはうってつけだと思うの。ね? ね? やってみましょう」


 少女のように微笑むソフィ様に押されてそれならば……と、わたくしは頷きました。


「ですが、サロンの主催など何から始めたらよいか……」

「それは一緒にやりましょう。エリアルはどんな晩餐会にしたい?」


 ソフィ様に聞かれてわたくしは考えます。


 ──晩餐会……どんなものに……


 晩餐会で思いつくのは、華やかな場所でおしゃべりをしながら、贅を極めた料理を食べることです。


 でも、そう……わたくしなら……


 一つの考えが頭に浮かびました。


「わたくしなら、来て頂いた方にあたたかな料理を食べて、ほっとする時間を過ごしてほしいです。今は寒い季節ですし、あたたかなスープとかは心を和らげてくれると思います」


 庶民ぽい考え方でしょうか。わたくしは正解が分からず、言葉がだんだんと尻すぼみになります。


 ですが、ソフィ様はパッと顔を明るくさせました。


「素敵な考えだわ! いいと思うわよ」


 肯定されてわたくしは表情をゆるめます。


「ありがとうございます」


 背中を押してくれたソフィ様に、わたくしは前々から感じていたここでの料理についてお話をしました。


「それでしたら、料理は一品ずつ出してみたいのです」

「あら、一品ずつなの?」


「はい。ロシアの本に書かれてあったのですが、料理が一品ずつサーブされるらしいのです。あたたかいものはあたたかいうちに食べられるので、料理の美味しさがよく分かるんだとか」


 そう言うとソフィ様はそうなのと、感心したような声を出しました。


「料理をいっぺんに出す今の支給の仕方では、スープがぬるくなってしまいますし、料理も冷えてしまいます。ですから、一品ずつ食べたら、そんなこともなくなると思うのです……好きなものだけを食べるということはできなくなりますが……」


 さすがに残すのがもったいないので……とは言えませんでした。でも、ジョスさんたちが丹精込めて作ったものですもの。残したくないのが本音です。


 ソフィ様はわたくしの顔をじっと見つめました。その視線は鋭く、わたくしを見定めているようでした。


 わたくしは審判を待つ囚人のような気持ちになりながら、ソフィ様を真剣に見つめます。


 ふっと、ソフィ様の表情がゆるみます。


「いいアイディアだと思うわよ」


 その一言にわたくしは、ぱっと表情を明るくします。


「ありがとうございます……」


 伝わったことが嬉しくて、胸に宿った思いを素直に口にしました。


「ふふっ。エリアルが意見をいってくれるなんて、少しは打ち解けてくれたのかしら?」


 パチリとウインクしたソフィ様にわたくしは気恥ずかしくなります。ソフィ様はくすくす笑って、ソファから立ち上がりました。


「じゃあ、早速招待状を送りましょうね」


 わたくしも立ち上がりました。


「お手伝いします」


 それを見てソフィ様は満面の笑顔になりました。



 ***


 それからわたくしは慌ただしい生活になりました。初めてのサロン開催。親しい方の家族だけとはいえ、きちんとおもてなししたいです。


 料理長のジョスさんともお出しする料理や配給の仕方について話をしました。


 その時、また泣かれてしまいました……


「素晴らしいです、エリアル様。私も前々から冷めたら美味しくなくなるということが気になっていました。料理にとって温度は大事な調味料です。しかし、誰もそんなことを気にしていません。それを気にしてくださるとは……ううっ……素晴らしいです」


 はらはらと泣いているジョスさんに、うろたえてしまいます。


 ──しっかりしなさい。ジョスさんはわたくしの考えに好印象を持ってくださっているだけよ。多少、リアクションがオーバーなだけよっ


 わたくしは背筋を伸ばし、泣きはらすジョスさんの目をしっかり見ました。


「ジョスさん。改めて宜しくお願いします。お料理のメニューができたら、教えてください。それに合わせて、わたくしがブリオッシュを作る時間を決めますので」


 そう言うと、「気遣いありがとうございます」とジョスさんは目頭を手で押さえました。


 わたくしはまたびっくりしてしまいましたが、周りにいた料理人の方々まで瞳を潤ませていたので、辺りは異様な空気です。わたくしはなんとか微笑みを作り、みなさんに料理のお願いをしました。



 デボラさんとサロンの為のドレスの打ち合わせもしました。もうドレスはたくさんあるのですが、主催の記念にとソフィ様に言われてしまっては、頷くしかありません。わたくしは恐縮しつつも、新しいドレスを仕立てることにしました。


 わたくしのドレスはいつもレオン様が選んでいたのですが、ソフィ様が「主催なんだから、エリアルが選べばいいわ」と言われて、初めてのデボラさんにドレスの相談をしました。


 厳しい表情をしたデボラさんが、わたくしに問いかけます。


「今回のドレスの用途は晩餐会のものですね」

「えぇ。わたくしはパンを焼いたりするので、なるべく動きやすいデザインがいいと思っています」

「なるほど……」


 そう言うとデボラさんが、分厚い一冊の本を出しました。表紙に〝ドレス〟と書かれた本を手早くめくっていきます。


「このドレスなんかどうでしょう? 今、エリアル様がお召しになっているドレスは、ジャケット、胸あて、スカートが分かれていますが、このドレスは全てが縫いとめられた機能的なものです。脱ぎ着がしやすく、もし料理で汚れてしまっても、二着あればすぐにお召しかえができます」


 本のページのドレスを指差しながら、デボラさんは淡々と説明していきます。


「まぁ……すべて縫われているなんて便利ですね。ピンで止める必要もないですし」


 食い入るようにドレスを見ていると、デボラさんは話を続けます。

 

「このドレスの生地はチャイナ・シルクを使っています。生地に描かれた花と蝶は手書きなので、なめらかなタッチは晩餐会に相応しい上品さがあります。七分丈ですし、袖口のフリルも控えめなのでお料理の邪魔にならないでしょう」


「パリにお出かけになった時のドレスと同じく、スカートの生地をヒップで持ち上げたデザインです。あれほどのボリュームはありませんが、動き回るのであれば少ないボリュームで宜しいかと。前の胸元は大きく開いていますが、胸に花飾りをつければ視線が散りますし、もっと肌の色をおさえるなら、肩から胸にかけて透けた白いスカーフをつければよいと思います」


 デボラさんの説明にわたくしは素敵ね、と答え、着ている自分を想像してうっとりします。


 本に几帳面に張られた四角い生地のサンプルを見ただけでも、その美しさが垣間見れます。


 描かれているのは、細い花びらを幾重ももつ紅い花。花びら一枚をみても色のグラデーションが美しいです。先が淡いピンクですのに、中央に向かって紅に染まっています。それが幾重も描かれて、花が浮き出ているようでした。


「素敵なドレスね……わたくしはこれがいいわ」


 にこりと微笑むとデボラさんの頬がかっと赤くなりました。そして興奮ぎみに話し出します。


「な、ならば! 首にリボンの飾りもつけましょう!」


 そういって、デボラさんは別の本を取り出して、ばららっとめくると、あるページを指差しました。装飾品のページなのか、首に深紅のリボンがまかれた絵が描かれています。


「このリボン。艶のある生地で、胸にかけてリボンをたらせば、なんとも言えない色気が出ます」


 鼻息荒く言われて、わたくしは色気ですかと、言葉を繰り返します。


「色気です。ムラムラきます」

「ム、ムラムラなの……?」

「はい。ムラムラです」

「ムラムラ……」


 わたくしはじっとリボンを見つめてしまいました。


 ──色気を出したらレオン様は喜んでくださるかしら……?


「いいよ」と言われた時のあの甘い痺れが蘇り、わたくしの体はほてりだします。


 ──やだわ……思い出しただけなのに……


 レオン様を思うだけで、わたくしの体は壊れた温度計のようになってしまいます。熱に浮かされはじめた体をうらめしく思いながらも、デボラさんに感謝を伝えました。


「ありがとうございます。それでお願いします」


 すると、デボラさんがじぃっとわたくしを鋭い眼差しで見つめました。感情が顔に出てしまったのでしょうか。恥ずかしいわ……

 視線の厳しさに身をすくませていると、不意に手を掴まれました。


「エリアル様! わたしは感激しました!」


 興奮した様子で言われてわたくしは仰天します。


「こんなスムーズなドレス選びは初めてです! いつもレオン様の要求は厳しくて、『いつになったら、君は僕を満たすものを持ってくるの?』と言われる始末。……くっ。それに比べたらなんて、エリアル様はお優しいのでしょうか!」


 あまりの反応にわたくしは口を開いて呆然としてしまいます。


「今度からはエリアル様のドレスはエリアル様が選びましょう! わたしを助けてください!!」


 すがるデボラさんにわたくしは狼狽して、必死になだめました。


「……レオン様に聞いてみますから……あの……なるべく、わたくしがするようにお願いしてみますね」


 レオン様にお許しを頂かないと返事はできません。聞いてみると言うとデボラさんは、ありがとうございますと深々と頭を下げました。



 ***


 その日の夜、わたくしはデボラさんに頂いたドレスのカタログを持って、レオン様の書斎に向かいました。


 ジュリーにお願いして、わたくしが来ることは伝えています。選んだドレスのこととデボラさんのお願いを聞いてみようと思ったのです。


 夜にレオン様の書斎を訪れるのは少々、気恥ずかしいです。どうしてもブリオッシュのことを思い出してしまいますから。


 ですが、今日は薄い室内ドレスではなく、厚手のあるものを選び、コルセットも着けてきました。ウエストラインが持ち上がったデザインのもので、生地の色味はベルベットローズ。袖も長袖で余計な装飾はありません。


これは自分への戒めです。

雰囲気に流されてしまって、きちんとお話できないような気がしましたから。わたくしは静かに息を吐き、レオン様の扉をノックします。


「どうぞ、入って」


今日はわたくしが扉を開いてよいみたいです。少し驚きながらも、扉を開きました。


視界に入ったのは艶やかなベルベットローズ。今日は違う色味の室内コートを羽織ったレオン様は、書斎の椅子に腰かけて、少し驚いたような顔でわたくしを見ました。


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