第三話 レオン視点
三人称になります。
宮殿の一室には、王家と血筋が繋がる者しか出入りできない秘密の応接間がある。主に家臣にも言えない身内の会話をするために用意されたものだ。
広さはさほど大きくはない。あるのは二脚の椅子と本棚。執務机。そして、暖炉。寒い季節は冷えるという理由と、機密文章をすぐ燃やすために置かれていた。
身内の中で許された者しか知らない隠し通路を通り、レオンはその一室に赴いていた。借りていた本を国王に返す為だ。
応接間には国王本人が先に来ていた。けだるそうに椅子に座っていた彼は、レオンを見るなり、口元に弧を描いた。
「よぉ……うまくやったか?」
今年で三十五になる王はいつもの堅苦しい言葉遣いをやめて、ごく一部にしかしない気安い言葉遣いをレオンにする。
彼の言葉遣いに慣れたレオンは、本を脇に抱えたまま口角を上げた。
「おかげさまで。綺麗に騙されてくれましたよ」
藍色の瞳の奥に仄昏い影を落として、レオンは優美に微笑む。
国王はそれに満足げに笑った。
「ならいいが……随分と回りくどいことをするんだなぁ」
「そうでしょうか? エリアルはまだ固くなったままの蕾です。花開かせる為には多少の荒治療も必要でしょう」
彼女を思い出して笑みを深めるレオンに、国王は肩を竦める。
「俺ならもっとスマートに落とす」
「そうですか? 陛下のなさったことも周到だと思いますがね」
このくらいの軽口なら咎められないだろうと、レオンは口を開く。
「聖女さま──妃殿下がこの〝攻略本〟を持っていることを知っていて、力を貸した。ついでに妃殿下に心を寄せていた先王を二人で共闘して追い出した……ですよね?」
国王はレオンの指摘にも動揺などせず、逆に口角を上げた。
「あれは頭のキレるいい女だからな」
国王の言い分は分かるような気がした。レオンも実際は愛くるしい婚約者の為ならば、何しても構わないとさえ思っている。
この世界の〝攻略本〟の存在を知り、自分が〝攻略対象者〟として書かれていたことを知ったとき、馬鹿なと一蹴しつつも、妙に腑に落ちたものがあった。
婚約者に対して、愛情というには禍々しいものを感じとっていたレオンは、攻略情報を見て、自分の気持ちに整理がついたのだった。
それを逆手にとって、頑なな婚約者との関係を変えようと思っていた。
──これで僕が素を出しても、エリアルは病と思い込んで、逃げ腰になることはないだろうな。
可愛い婚約者が挙動不審になる姿を想像して、レオンは口の端を持ち上げた。
「ところで、残りの攻略対象者へも何かするのか?」
「そうですね……でも、一人は陛下が追い出しましたし、もう一人は潰しました。あと二人です。一人は妃殿下によって〝フラグ〟は折られています。もう一人は使えるので、そのままにしてありますが……まぁ、あの様子なら大丈夫でしょう」
──全てはあの理想の姿を見るために。
「彼女が〝悪役令嬢〟の姿を見せるのは、僕だけでいいですからね」
そう呟いて、レオンは藍色の瞳に影を落とした。
国王は興味もなさそうに息を吐く。レオンは借りていた〝攻略本〟を国王に手渡すと、彼はそれに視線を落とした。
「もういいのか?」
「えぇ。情報は頭に詰め込みましたし、複製できるものはしました」
爽やかに笑うレオンに国王は皮肉まじりの笑みを浮かべる。
「相変わらず読み込みが早いな。……そんなにエリアルとの差が怖いか?」
くつくつと喉を震わす国王に、レオンは動揺することはない。あくまで余裕のある男の態度を崩さない。
「それはそうでしょう。エリアルとは二歳の年齢差がありますし、何より彼女は勤勉だ。屋敷の美術品に興味を持ち、歴史まで調べて造詣を深めている」
それに、とレオンは付け加えた。
「黄金の淑女と呼ばれる彼女の美しさに並ぶためには、相応しい男であらねばと思っていますので」
おどけるように肩を竦めたレオンだったが、血の滲むような努力をしていることを知っていた国王は笑わなかった。
「まぁ、似合いの二人だな……」
小さな呟きはレオンの耳には届かず、彼は笑みをやめた。
「何か言いましたか?」
「いや……健闘を祈ると言っただけだ」
それにレオンは破顔して、大袈裟に頭を下げた。
***
屋敷に戻ったレオンは自室に戻ると、着ていた藍色のコートを脱ぎ、椅子にかけた。ラフな白のベスト姿になってしまうが、ここはプライベート空間。問題はないだろう。一人がけの椅子に腰を降ろし、首に巻き付けた白のスカーフを緩める。
空気の通りがよくなり、ほっと一息ついた。
彼は椅子から立ち上がると、壁の模様と一体化した隠し扉へと足を運ぶ。この部屋はレオンしか入れない私的空間だ。
レオンは扉の鍵を開く時はいつも高揚が抑えきれない。彼女が待っているから。
扉を開くと、中は灯りひとつなく薄暗い。部屋の大きさも広くなく、従者の部屋ぐらいだろう。小窓からスポットライトのように白い光が部屋に伸びていて、壁面に飾られていた肖像画をうつしている。それを見て、レオンは恍惚の笑みを浮かべた。
「ただいま、エリアル」
広くない部屋には無数の肖像画が飾られてあった。人物はエリアルただ一人。様々な画家で描かれた彼女は稲穂を背景に無邪気な笑みを浮かべていた。
まだあどけない表情をした幼少期のエリアルだ。笑顔は幼いが、身につけているドレスは若い肌を晒して、際どいものもある。どんな意図で描かせたのかみえみえの絵であった。
この絵は彼女に目をつけていた司教から没収したものだ。司教は幼女趣味の変態で、幼いエリアルを猫なで声で呼んでは、画家に絵を描かせていたらしい。
彼はエリアルを眺めているだけで満足していたらしく、想像したくないなにかはしていないようだ。これはエリアルにも確認済みだ。
だが、それを聞いたときは、相手の首をこの手でへし折りたくなった。銃殺などという一瞬の苦痛ではなく、じわじわと死へ向かう苦痛を与えたくなったのだ。
下衆な視線にエリアルが晒されていたと思うだけで、我慢ができない。たとえ、エリアルが気づいていなくともだ。
だから、聖女が教会の腐敗を一層する際に、彼を神のお膝元にいかせた。今頃、彼は土の下で、信仰心を満たしていることだろう。声はもう枯れ果てたと思うが。
──僕のエリアルに目をつけるから、そうなるんだよ。
レオンは瞳の光をなくし、口元には微笑を浮かべた。レオンは幼少期のエリアルをしばらく見つめると、最も奥にある絵画の前で足を止めた。
そして、向かいの壁を背にして置いてあった一人がけの椅子に腰かける。腰を落とすと、目の前には二枚の絵画が鑑賞できた。
そこにいるエリアルは髪を振り乱し、憎悪の瞳でこちらを射ぬいていた。隣の絵は脇目もふらず咽び泣く姿だ。泣くエリアルの側には〝ヒスイカズラ〟が雨に濡れていた。
その二枚を見るたびに、レオンはゾクゾクとした高揚感を覚えていた。
淑やかで、微笑みを絶やさない彼女がこのような激情を見せるのが信じられない。
いや、この絵は実際に彼女がしたものではないから、信じられない気持ちも当然だろう。
この姿は〝攻略本〟にあった〝スチル〟というものだ。聖女の話によると、ここは〝シミュレーションゲーム〟と呼ばれる世界らしく、〝スチル〟はゲームを進めると出てくる一枚の静止画だそうだ。
ゲームを進めて〝イベント〟を起こさないと出てこないものらしく、〝スチル〟を出すのは苦労すると聖女が言っていた。
この〝スチル〟は画家に描かせた絵画よりも素晴らしいもので、彼女の怒り、悲しみが目の前の出来事のように見えた。それに、レオンは心臓が貫かれるほどの衝撃を受けた。
そして、彼女に堕ちたのだ。
──これほどの情熱で求められたら、なんと甘美なことだろう。
甘く疼く心は大きくなり、彼女の婚約者となった。
彼女の家は青ざめ震えていたが、侯爵家の名の前では従うしかない。
母はともかく、父は彼女との婚姻には渋っていたが、レオンが銃兵隊を率いて敵を押し退けたことで納得してもらった。それに、彼女に会うたびに所作の美しさと勤勉さ、控え目な姿に心を許し、今ではすっかり彼女の信奉者だ。
早く婚姻をと、両親も思っているだろう。口にはしないが、レオンはひしひしと感じていた。
だが、彼女はまだ心を殺したままでいる。きっと、家柄を気にしているのだろう。自分の心が伝わっているのかも定かではない。
──こんなに君しか見えていないのに……
彼女の秘める熱を引き出したくて、わざと怒らせるようなことをしてみるものの、成果は今一つだった。それに理性が切れて、聖女の日では酷い仕打ちもした。
だが、彼女は余裕の笑みを崩さない。
献身的な態度も。
ただ、時折、ほんの一瞬。彼女の眼差しが鋭くなる瞬間がある。激しさを垣間見せてくれる。それを全身で出してほしい。すべてをぶつけるくらいの熱量を彼女から感じたいのだ。
思いは募り、レオンは〝ヤンデレ〟などという未知の病気をでっちあげたのだった。
「エリアル……早く、本当の君を見せて」
その激しさで貫いてほしい。
レオンはまだ見ぬ彼女に恋い焦がれ、瞳の奥を闇へと落とすのだった。
ここまでが序章です。
レオンの絵画鑑賞は、薄暗い部屋に写真を貼りまくっているか、アイドルのポスターを部屋中に貼っているイメージです。
レオンとの攻防をメインに貴族生活やドレスの話もたくさんあるので、楽しんでもらえたら嬉しいです。
ブックマーク、いつもありがとうございます!