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第二十四話 キッチンでの出来事①

 今日は朝から心が弾んでいました。なんと、侯爵家のキッチンでパンを焼くことになったのです!


 なんて、嬉しいことなのでしょう。ここに来てからは、あきらめておりましたパン作りをできるなんて幸せです。


 パリの帰り道、レオン様にクグロフとパンを手作りしていることを告白して、それを許してくださいました。そして、帰ってからは、侯爵家のキッチンでクグロフを作れることになりました。


 その時、レオン様が美味しい、美味しいって何度も言ってくださって、わたくしは頬がゆるんでしまいましたの。


 天にも昇る気持ちというのはこういうことを言うのでしょうね。


 それからは、キッチンに自由に出入りしてよいとのお許しがでました。レオン様が夕食のときに、ソフィ様とお義父さまにも話してくださいまして、二人とも了承してくださいました。


「まぁ、エリアルは料理もできるのね。すごいわ。ふふっ。今度、わたしにも食べさせてね」


 そうソフィ様が言ってくださって、素人料理を食べさせるなんて……と思いつつ、ソフィ様のお心遣いが嬉しくて「はい」と返事をしてしまいました。


 ですから、少しでも腕を上げたくて今日はパンを作ろうと料理長にお願いをしました。



 いつものようにジュリーに着替えを手伝ってもらうのですが、今日はドレスではなく普段着なので、自分で着替えていきます。


 一人でも着替えられるのは、コルセットが前で紐を結ぶタイプのものだからです。


 ベストの形をした短いそれに腕を通し、前で紐を結んでいきます。胸の部分は空いているので、専用の逆三角形の胸当てを紐の間に差し込んでいきます。


 このコルセットは胸の位置を安定させるためのものなので、きつすぎずに息苦しくありません。


 ペティコート(アンダースカート)を腰に巻き、ポケットをつけていきます。パニエはつけません。今日は動きやすさ重視ですので、スカートのボリュームは必要がないのです。


 後ろでペティコートを紐を結んで固定したら、スカートを留めていきます。素材は布と布の間に綿をいれたキルト生地なので、もこもことしていて厚手のあるものです。今は寒い時期ですし、キッチンは地下にあるので冷えます。ジュリーが体を冷やさないようにと気遣ってくれて、これを選んでくれました。


「あったかいわ。これを選んでくれてありがとう」


 お礼を言うと、ジュリーが朗らかに笑いました。それにわたくしも微笑み返し、髪を後ろに流して一つにまとめます。わたくしの髪は腰までありますから、パンを作るときには、ひっつめてしまっています。


 美しい宗教画が描かれたスカーフを三角形にたたんで、うなじを隠すように肩にかけます。このままですと肩からするりとすぐ落ちてしまうので、スカーフの端をコルセットの中に入れて、ピンで留めました。


その上から丈が腰までしかないショートガウンを着て、ボタンを留めてしまいます。ガウンの裾には控えめに白いダリアの刺繍がありました。


 これはわたくしが縫ったものです。


 白いダリアを選んだのはわたくしの心が変わったから。


前に侯爵家の中庭でダリアの花を見たとき、わたくしがなりたかったのは赤いダリアの花でした。


 華麗な赤はレオン様に相応しい婚約者の姿に見えました。


 ですが……パリの帰り道、ありのままでよいとレオン様に言われて、わたくしは赤ではなく白いダリアのようになりたいと思ったのです。


 感謝と愛。その花言葉を持つ白いダリアになって、レオン様の横に立ちたいのです。



 たとえ、わたくしの腹の中のものが遠くない未来に暴れ狂ったとしても。



 わたくしは与えられた環境に感謝して、レオン様への愛を持ち続けたいと願っておりました。



 ***


 さらりとした肌触りの白いキャップをして、ジュリーと共にキッチンへ向かいました。ジュリーも同じような格好をしているので、並んで歩くと同じ使用人になれたような気がします。


 わたくしは口元に微笑みを浮かべて、ジュリーに話しかけます。


「この服を着て、こうして歩いていると、わたくしが侯爵家の婚約者なんて誰も思わないでしょうね」


 いたずらっ子のように言うと、ジュリーが真顔になって立ち止まります。


「エリアル様はオーラが違いますよ。わたしと同じような服装でも、気品さがあふれでています」


 至極真面目な顔をしてジュリーが言うので、わたくしは呆気にとられてしまいました。


「エリアル様に比べたら、わたしは存在感のないホコリです。いえ、わたくしのことなど空気と一緒と思って頂いて結構なのですよ」


 びしっと言われてしまい、わたくしは困ってしまいました。


「そんなこと言わないで。ジュリーはわたくしにとって大切な存在よ。ジュリーがいなかったら、わたくしはこうして笑って話すこともままならなかったわ。いつも側にいてくれて、ありがとう、ジュリー」


 感謝の言葉を紡ぐと、ジュリーは額に手の甲をつけて、ふらりふらりと一歩、二歩、後ずさりました。


 そして、ぐっと握りこぶしを作ってぶつぶつと低い声で呟きます。


「上目遣いとは……また墓場まで持っていく秘密が……」とか。


 よく聞き取れませんでしたが、苦悶の表情を浮かべています。どうしたのかしら? わたくしは言ってはいけないことを口にしたのでしょうか。


「ジュリー?」


 声をかけると、ジュリーははっとして真面目な顔をしました。


「エリアル様。ありがとうございます。その気持ちだけで充分です。それよりも今の表情。ぜひ、レオン様の前でしてください」


「え……?」


 わたくしがこてんと首をかしげると、ジュリーは真顔で話を続けます。


「今の上目遣いで見上げてからの、微笑みありがとう。これをレオン様の前ですれば大変喜ばれるかと思います」

「そ、そう?」


 わたくしはジュリーの気迫に押されながら、上目遣いというものをやってみます。


「こう……かしら?」


 ちらりと視線だけをジュリーの方に向けます。やや不安になりながら呟くように言うと、ジュリーが顔を赤くしてプルプルと震えだしました。


「ヤバい……一線を越えたい……」とか、なんとか。口元を押さえているので、何か呟いているようですが、やはり聞き取りにくいです。


 ジュリーが何かに耐えるように口元を引き結びながら、こほんと咳払いをしました。


「完璧です。ささっ、行きましょう」


 何が完璧なのかわかりかねますが、ジュリーが背中を押すので、足をもつれさせながらわたくしは歩き出しました。



 ***



 侯爵家のキッチンは地下にあります。地下とはいっても、邸が階段を登った小高いところにあるので、天井近くの窓からは外が見えます。


 ちょうど食堂の真下にあるキッチンは思わず感嘆の声をあげてしまうほど広々としたものでした。


 クグロフを作ったときは胸がいっぱいであまり見れませんでしたが、改めてみると本当に素敵なキッチンです。


 わたくしはパンを作る前に料理長のジョスさんに断って、キッチンをよく見せてもらいました。


 床と壁は掃除がしやすいタイル張り。乳白色のタイルがピカピカ光っています。


 中央には巨大な調理コンロ。鉄の調理台かと思いましたが、よくよくみると火を出るところが五口もあります。大人の男の人が三人並んでもまだ余りそうな横幅です。


 わたくしの家では暖炉をコンロに見立てていましたので、ちゃんとしたコンロを見るのは初めてでした。


 コンロの上には銅製の鍋おきがあり、ピカピカに磨かれた美しい銅鍋が並んでいます。


 ここに置いてある鍋はよく使うものなのでしょう。壁面にくくりつけられた棚にはずらりと銅鍋が並んでいますから。銅製のフライパンの数もすごいです。大小、微妙に大きさが違う丸いフライパンがぶら下がっています。二十はあるでしょうか。


 対面の壁には最新のグリルオーブンがあります。わたくしが両手を真っ直ぐ伸ばしてもまだ余りそうな大きさ。思わず口を開いて見惚れてしまいそうです。


 肉も魚も360度、全面を焼いてくれるんだとか。


 これも最新なのでしょうね。わたくしが肉の塊を焼くときは暖炉の火で炙るしかなかったので、すごいですわ。


 メインのキッチンの他にミニキッチンもあります。こちらは、お菓子専用のキッチンだとか。その横には、邸で働くみなさんが食べる専用のダイニングがありました。長い木製のテーブルにずらりと椅子が並んでいます。


 そうそう。驚いたのが流しの蛇口をひねると、お水が出てくるのです!


 わたくしの家の流しは、井戸から水を汲み上げているので、ポンプ式になっております。


 それなのに、ここの流しは蛇口をひねるだけでお水が出るんです!


 わたくしはどうなっているのか不思議すぎて、まじまじと蛇口を見てしまいました。


 四枚の花びらがついたような取っ手をひねると、細い水道管から豊かな水が出てきます。


 シンクも(すず)が貼られたものなのか、ピカピカしています。わたくしの家では石を切ったものでしたので、違いに驚いてしまいました。


 食い入るように見つめていると、料理人のジョスさんがわたくしに近づいてきました。


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